宴のあと
雲雀館に用意された部屋の寝台の上で、フィルは着替えもせずうつ伏せに転がっていた。
――なぜ、ここにいるのがあの子じゃないの?
「そんなこと言われてもさあ……」
レイネシアの嘆きはわからなくはないが、それをフィルに言われたってどうしようもない。フィルだって望んでウィルフォードの場所に居座っているわけではなく、むしろその穴を埋めるためにがんばっているのに。
それでも、今にも崩れ落ちそうな風情で泣いていた人に、そんなことは言えなかった。
「……なにをやっているんです」
呆れた声はアウローラだ。彼女が許可を求めず入ってくるなんて。……それとも、聞こえていなかっただけだろうか。
のろのろと顔を上げると、ふう、とため息をついたアウローラが、フィルの顔に熱い手拭いを当てた。
「支度もせずに寝るなんて。仕方のない人ね」
「……お母さん」
「誰があなたの母ですか」
声は呆れていたが、フィルの顔を拭う手は優しかった。
「……セイレア様に、聞いたんですか?」
顔を拭われながらぽつりとつぶやけば、優しい声で問い返される。
「なにかあったの?」
「……」
どう説明したものか、と口ごもるフィルに、アウローラが首を傾げる。
「セイレア様は、あなたが落ち込んでるかもしれないから、様子を見てやってほしいと。一体何を落ち込んでいるのかと思ったら、お母様が恋しくなったの?」
「……少し」
アウローラの手が止まる。
「……まあ、そういう日もあるわね。でももうあと十日でしょう。過ぎればあなたはお母様のところへ帰れるわ。なんなら、明日は一日休んでいてもいいのではないかしら」
作戦も練り直す必要がありそうだし、とアウローラがつぶやいた。
「あの、アウローラ様」
「なに」
「痛いです」
「あら、失礼」
フィルの頬を手拭い越しに圧迫していた力が弱まる。
「明日は休んでいいって……ヒルデは、どうなったんです?」
「レイネシア様のお加減がすぐれないのと、やっぱり今日はお疲れになったでしょうから、と、明日はおひとりで領都見物に行かれることになったわ」
「おひとりって」
「セリウス殿や他にも案内の方はつくわよ、もちろん。ただ、あなたは一緒に行かなくていいということ」
「それじゃ私……いえ、僕は」
「ヒルデガルド様との対決は明後日以降ね。建前上、交流の時間は設けないと」
手拭いを離したアウローラが、冷ややかな目をフィルに向ける。
「くれぐれも、これ以上好感度を上げることのないように、とのセリウス殿の指示……というより半分愚痴だったわね」
「……」
フィルはそっと視線を逸らした。
「とは言いますけど……正直、無理じゃないですか? ここからどうやったらウィルフォード様が嫌われる方向に持っていけるんです。そもそも好感度の初期値がだいぶ高いと思うんですが」
アウローラが黙り込む。
「ウィルフォード様からもう少しヒルデとのやりとりについて聞いておいた方がいいでしょうか……」
「あなたがヒルデガルド様の情報を得たら、余計に調子のいいことを言いそうだわ」
アウローラのため息に、フィルは首をすくめた。
「ええと、女たらし路線を詰めますか? ウィルフォード様の気遣いはヒルデだけのためでなくて、周囲の女の人みんなにいい顔をしてるんですって感じに……」
フィルの提案に、アウローラが少し考える様子を見せる。
「ヒルデガルド様自身の好感度は多少下がるかもしれないけど、あの調子ならそれくらいは飲み込みそうな気がするわ。その辺りは結婚してから厳しくしてもいいのだし」
やっぱり火領の方で何かあったのかしら、とアウローラがつぶやく。
「……アウローラも、結婚したら浮気は許さないんです?」
なんとなく気になって聞いてみた。いや、正式な第二夫人は貴族様にとっては浮気に入らないのかもしれないが、それ以外の場合もあるだろう。
「ファビアン様は浮気なんかなさらないわ」
アウローラは間髪入れずに言い切った。フィルは苦笑する。
「アウローラ様がそういうならそうなんでしょうね、『兄上』は」
アウローラはじっとりとフィルを見る。
「婚約者にショールどころか花も送ってこないのに、そもそも浮気なんかなさる暇も発想もお持ちでないわ」
「……そっちですか」
返事は即座で食い気味だった。
「羨ましいなんて思ってないわよ! そういう気が利かないところだってファビアン様の可愛いところなんだから!」
「何も言ってませんが」
「でも流石に誕生日くらい正確に覚えてて欲しいと思わない!? というか誰と間違えたのよ!」
「……それは怒っていいと思います」
兄上……とフィルは呆れた。そこを間違えるくらいなら完全に忘れてた方がまだマシではないだろうか。
「今日は誕生日じゃないって指摘したんですか?」
「……その場では言えなかったけど、さすがに後から侍女がこっそり伝えたらしいわ。翌年からはちゃんと覚え直してくれた」
「まあ、態度で覚え直したって示してくれる方が、口先だけで言いくるめようとするよりはいいかもですね」
「あなたがそれを言う?」
アウローラは呆れ口調である。失礼な、とフィルは思った。まるでフィルが誰かを口先だけで丸め込んでるみたいではないか。
「でも男性ってそういうとこありますよね。記念日とかにかける気持ちの比重が、女性と違うというか」
気を取り直してそう言ったフィルに、アウローラが胡乱な目を向ける。
「……知ったような口を利くじゃない」
「いえ、義兄が割とマメな人でして。周囲には珍しく」
「義兄?」
「姉にベタ惚れというか、こう、姉を喜ばせることが生きがいというか。誕生日とか結婚記念日とか、絶対忘れず毎回しっかり準備してて。父やら叔父やらは別の生き物を見るような目をしていましたが」
「……お姉さまはお幸せでしょうね。それじゃあなたも、そういう気の利く人がいいの?」
「個人的にはもうちょい覇気がある人がいいですね。姉夫婦は姉が覇気の有り余ってるほうなんで、釣り合いが取れてますが」
「それをいうなら、あなたの夫に覇気があったらとんでもないことになるんじゃないの?夫婦で他所の領に行ったきり、帰ってこなさそう」
「それは楽しそうですね」
「否定しなさいよ!」
「たくさんお土産買ってきますね」
こほん、と咳払いが聞こえた。アウローラと共に戻ってきていたシュナである。
「お二人とも、仲がよろしいのは結構ですが、話がずれております」
「……えっと、なんでしたっけ」
「そう、火領の事情に何か変わりがあったのか、と思ったのよ。ヒルデガルド様が婚姻を強く希望するような」
「ああ、昼にも言ってましたね」
そこでふと、フィルは気に掛かっていたことを切り出した。
「……あの、ウィルフォード様の属性って、本当にもう戻らないんですか?」
アウローラとシュナの視線が集まり、フィルは微かに身を縮めた。




