歓迎の宴
風領での宴は、車座になって行われる。
もちろん他領の客を迎えるときは椅子を準備するのが礼儀ではあるが、客の方も足を痛めているなどの事情がない限り、もてなす側の流儀に則るのが普通だ。
一応上座はあるが、宴もたけなわとなれば皆が移動して無礼講のようになることがほとんどだ。
逆に言えば、年の行かない子どもなどは最初のうちに挨拶だけ済ませ、頃合いを見計らって親や後見が退出させることが可能である。
ですから、ウィル様は真っ先に主賓のヒルデガルド様にご挨拶に行った後はファビアン様の隣に戻って、にこにこしながら食べられそうなものを摘んで、最初の杯を干したらシュナと退出してください――というのがセリウスの指示だった。……そのはずだったのだが。
「ウィル、これはどういう料理かしら。鶏を香草と煮たの?」
「そうですね、いい香りがします。お好みですか?」
「その香草でしたらこちらのサラダにも使われていますので、お取りしましょう」
「あら、次期領主夫人の手を煩わすなんてとんでもないわ」
「火領からのお客人ですもの、どうぞご遠慮なさらないで」
ウィルを挟んで、系統の違う美少女が笑い合っている。うふふ、と口元を隠して可愛らしく笑うヒルデガルドの瞳は全く笑っていないし、あらあら、と頬に手を当てるアウローラの瞳はものすごく冷たい。どうしてこうなった――とフィルもまた笑顔を貼り付けて、ファビアンを目で探した。
最初は隣にいたはずなのに、挨拶が済んだ途端にフィルの元にやってきたヒルデガルドにすっかり押されて、今は火領の男性と話している。
兄上、なんとかしてください、と念を込めて視線を送る。通じたのかどうか、ファビアンは一瞬ちらりとこちらを見て、そしてそのまますっとそらした。
「……」
大丈夫か、あれ。ファビアンが将来第二夫人を迎えることは確定のはずなのだが。
一方で、今日は珍しくレイネシアの姿がある。まあ息子の婚約者の歓迎の宴なのだから、多少の不調を押しても顔を出さないわけにいかないのだろう。
最初はヴァレリスの両隣にセイレアと二人で座っていたが、宴が始まって歓談する段階になると、セイレアは火領の客に挨拶をしたり、招待されている地方の領主と話をしにと席を立っている。
「ねえウィル、明日は少し遠出できないかしら。風領の領都を見てみたいの」
ヒルデの要望にアウローラが首を傾げる。
「ですが、今日の昼のお出かけと今夜の宴と、予定が詰まり気味でしたでしょう? 少しゆっくりする時間をとったほうがいいのでは?」
「あなたには聞いてないわよ。それに、私はそんなにやわじゃないわ」
「あなたはそうかもしれませんけど、病み上がりのウィル様には負担が大きいでしょう?」
うかつに口を挟むこともできず、フィルは冷や汗をかきながらにこにこしていた。さっきまではまだ「ウィル」を挟んで会話していた二人だが、だんだん直接のやり合いになりつつある。
「そんなに過保護なことでどうするのかしら」
「ご自分の都合でお相手を振り回すのが火領の誠意とおっしゃるの?」
婚約者に対して情熱的に振る舞うのが火領の誠意、と最初にヒルデガルドが言っていたのをアウローラが当て擦る。大丈夫か、これ。というか、誠意云々の話になると風領はものすごく分が悪いんじゃなかろうか、主に三十年前の件で。
と、レイネシアがすっと立ち上がった。
「ヴァレリス様、大変申し訳ないのですが、少々空気に酔いまして……」
「おや、それはいかんな」
ヴァレリスは周囲にちょうど聞こえるくらいの大きさで、気遣わしげな声をあげる。そして今気が付いたように、こちらに振り返った。
「ウィルフォード、母が風にあたりたいそうだ。付き添えるか?」
アウローラがすっと身を引き、ヴァレリスとフィルの間に視線が通る。
「はい」
フィルは立ち上がり、ヒルデガルドに向かって頭を下げる。
「申し訳ありません。母の付き添いで、中座させていただきます。……改めまして、風領へようこそ、ヒルデ。どうぞこの後も楽しんでいってください」
中座と言いつつ今日はもう戻らないことを匂わせると、ヒルデガルドは少し残念そうな顔を見せてから、笑顔を作った。
「歓迎の言葉をありがとう、ウィル。どうぞ、お母様のところに行ってあげて」
もう一度ぺこりと頭を下げて、フィルはレイネシアの元へと向かった。
「母上、ご気分が?」
「付き合わせてごめんなさいね。少し外へ出られるかしら」
「お供します」
レイネシアの離席はフィルに助け舟を出すための方便かと思っていたが、具合があまり良くないのは本当らしく、顔色が悪い。
「背中をさすりましょうか?」
部屋を出ながら尋ねれば、レイネシアは首を横に振った。
「……部屋に戻りたいわ」
「雲雀館ですか?」
今雲雀館はウィルフォードの影武者をするフィルが使用しているが、レイネシアがそこにまったく帰らないのは不自然なので、レイネシアの使用していた部屋はそのままになっている。
しかしレイネシアは首を横に振った。
「……あの子の顔が見られるかしら」
「えっと……」
レイネシアの発言に、ふぃるはそっと周囲をうかがった。
今、本物のウィルフォードがいるのはファビアンが主に使っている隼館だ。雲雀館では影武者のフィルとの居場所の兼ね合いがあるし、本館は火領の者含め、人の出入りが多い。隼館であれば落ち着いて過ごせるだろうというヴァレリスの判断だったが。
……そりゃ領主の第二夫人が、成人してる第一夫人の息子の館に頻繁に出入りしてたらおかしいよね。
母や姉がフィルには読ませない読本の類にありそうな話だ。
とはいっても、まさか勝手にウィルフォードを隼館の外に連れ出すわけにもいかない。どうしたものか、と思っていると、不意にレイネシアが歩みを止めた。
「どうして?」
「母上?」
館の中で「ウィル」がレイネシアを名前で呼ぶわけにはいかない。当然のようにそう呼んだ。けれど、レイネシアの顔が暗がりの中でみるみると歪む。
「どうして、あの子じゃないの?」
絞り出されたようなその声に、フィルはその場で硬直した。
「私を母と呼ぶのが、どうしてあの子じゃないの?」
フィルは行き場を失った手を、胸の前で握り込む。レイネシアの言ったそれは、薄々フィルも感じていたことだ。フィルが周囲から気遣われ、色々教えてもらったり優しくされたりする度に、これは本来ウィルフォードの権利だったのではないかと、頭をよぎった。
――この度は、大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません。
ウィルフォードに初めて会った時の、幼い声がよみがえる。レイネシアの言葉もフィルを責めるようにも聞こえる言葉なのに、残りの半分は誰かに謝っているようだった。
「……なぜ、魔力熱にかかったのが、私のあの子なの」
それは、どうにもならない運命を呪う言葉であると同時に、子に降りかかった災厄を防ぐことのできなかった自分を責める母親の言葉だった。
ついに廊下の真ん中でうずくまってしまったレイネシアに手を伸ばすこともできずに、風領では見慣れない青い髪を――フィルの髪に混ざっているのと同じ色を見下ろしながら途方に暮れる。……いや、この髪はフィルではなく、ウィルフォードのそれと同じ色なのだ。
そのとき、廊下の曲がり角の向こうから足音が聞こえてきた。まずい、とフィルは焦る。この状態を誰かに見られたら良くないのは間違いないが、どうやったらレイネシアを動かせるのかわからない。せめてもとフィルはレイネシアを庇う位置に立つ。
「レイネシア殿!」
廊下を曲がって現れたのはセイレアだった。緊張を解いたフィルの横を、セイレアがすり抜ける。そしてそのままレイネシアを張り飛ばした。
何が起きたのか理解できず呆気に取られたフィルの前で、膝をついたレイネシアがぼうっとセイレアを見上げる。
「しっかりなさい!あなたはウィルフォード殿の母でしょう!」
「セイレア、さま」
頼りなげにセイレアの名をレイネシアが呼ぶ。
「……」
セイレアがゆっくりとレイネシアに近づく。先ほどの剣幕を思い出してフィルの背に緊張が走ったが、セイレアはレイネシアの腕を引いて助け起こしただけだった。
「……嘆きたくなるのも、投げ出したくなるのもわかります。なぜ、よりによって自分の子なのだと……そう思い詰めて、立ち上がる気力すら出なくなるのも」
「……」
「でもね、レイネシア殿。あなたのウィルフォードは、ちゃんと生きて、そこにいます。あの子の未来のためにも、あなたはまだうずくまっている場合ではないわ」
レイネシアがゆっくりと顔を上げる。涙に濡れた頬を、美しいと思った。その美しさが儚いとは、今は思わなかった。
セイレアがフィルを振り向く。
「とんでもないところ見せて、申し訳なかったわね。先に雲雀へ戻って、今日はもうお休みなさい」
「はい……」
踵を返そうとしたところで、肩を叩かれる。振り返ると、セイレアが優しい顔を向けていた。
「あなたは、よくやってくれていますよ」
「……」
「今日は本当にお疲れ様。助かったわ」
フィルは黙って頭を下げた。不意に、カルデン村の母に会いたいと強く思った。




