野掛けへの誘い
◇◇◇
フィルが半ば流されるように、初対面のヒルデガルドを「ヒルデ姉様」と呼ぶことになり、アウローラがハラハラしている間に、シュナは本館に走っていたらしい。
慌ててやってきたセリウスにヒルデガルドは軽く無作法の詫びを告げ、フィルに笑顔で手を振って客用館へと案内されていった。
「馬が来ますね。三騎かな。めっちゃ速い」
とりあえず次の連絡が行くまで雲雀館から出てこないように、とセリウスからの伝言を受け、フィルは雲雀館の上階から領主館に繋がる道を眺めていた。
「……」
「ヒルデガルド様に置いてかれた護衛かな。無茶をしますね」
「……」
「あ、女性も一人いる。侍女も兼ねてるんじゃないかってセリウスが言っていた気がします」
フィルはぐったりしているアウローラを振り返った。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫に見える?」
「大変お疲れのように見えます」
「大変お疲れよ、ヒルデガルド様をお迎えしただけなのに……!」
「大変でしたね」
「何を他人事のように……!!」
「いやなんていうか、この事態に頭と感情がついていかなくて」
フィルが淡々と言えば、アウローラは深々とため息をついた。
「……確かにそうね。私も驚いたわ」
「あの、ぶっちゃけ、ありなんですかあれ」
「言葉が乱れてますわよ、ウィル様。……ごめんなさいね、あなたのいうあれってどれのことかしら」
えーと、とフィルは考える。
「領主の姫君が護衛をつけずに他領を単騎で駆けちゃうこと、よその領主館の敷地に入って婚約者の館に直接乗り付けちゃうこと、どういうやりとりがあったのかわかりませんけどシュナの制止を聞き入れてくれなかったこと……他になにかあります?」
ふう、とアウローラがため息をついた。
「他にと言われれば、婚約者とはいえ十二歳の子に、夜の宴への同席を求めたことかしら。……でもどれも、ありかと言われればなしだけど、こちらから抗議するほどのことでもないわ」
「そうなんですか?」
アウローラは顔をしかめる。
「少なくとも予定された来訪で、入領の許可はとっているでしょう。そのあと単騎で来ようが護衛に囲まれて来ようが自己責任よ。火領が姫君に対して注意するくらいでしょうね」
確かに、風領の道を一人で馬に乗ってはいけないという法はないはずだ。
「領主館の敷地に勝手に入るのは確かに問題ですけど……予定より早いとはいえお客様だし、多分門のところで身分は証明しているでしょう。おそらく門衛も、火領の姫君の馬に手をかけることはできなかったのだと思うわ」
「……シュナの静止を聞かなかったのは?」
アウローラがため息をついた。
「抗議するならウィル様からになるわ。二年ぶりに会いに来てくれた婚約者に対して、時間より早く到着するなんて無礼ですって……抗議する?」
フィルは勢いよく首を横に振った。どっちが無礼だという話である。ましてやあのヒルデガルドに対して。いたずらっぽく笑った朝日のような瞳を思い出した。まるで獲物を見つけて喜ぶ大鷲のように光ったあの瞳を。
「宴の同行も、無理に言ったのではなくこちらの意向を尋ねていたものね。駄目だと言ったら引いたし。……ウィル様がうかつに、喜んで、とか返事しなくてよかったわ」
「……危なかったです」
思わずつぶやけば、アウローラがきっとフィルをにらみつけた。
「そうよ、あれは一体なに!?」
「あれってどれです」
「ヒルデガルド様に対する受け答え全般よ! なんであんなに調子良く、歯の浮くようなことが言えるわけ!?」
「歯が浮くってそんな大袈裟な。挨拶みたいなものでしょう」
「あなた、挨拶でいちいち女性に綺麗になりましたねとか言うの!?」
「久しぶりにお会いしたお得意様には普通に言いますね」
「……そう」
アウローラが再び突っ伏した。と、館への来訪を告げる音がした。なんとなく身構える二人が応答するより先に「ご無礼致します」といいながらセリウスとシュナが入ってきた。緊急事態ということだろう。さすがに入室はこちらの応答を待っていたが、今度はアウローラが許可を出すより先に自ら扉を開けに行った。
「なにかありましたか」
前置きなしに切り出すアウローラに、セリウスがうなずいた。
「今、ヒルデガルド様はヴァレリス様、セイレア様にご挨拶されてますが……その後、ウィル様を遠駆けにお誘いしたいとご希望です」
「ありなんですか、それ」
反射でフィルは聞き返した。
「ないです」
アウローラがピシャリと切り捨てる。
「何がどうして、そんなことをおっしゃってるんです?」
アウローラの詰問口調にセリウスがため息をついた。
領主夫妻に到着の挨拶と予定が早まったことの詫びを告げたヒルデガルドは、再び、夜の歓迎の宴にウィルフォードの同席を求めたのだという。年齢を理由にやんわりと退けたヴァレリスに、ヒルデガルドは言ったそうだ。
――確かにまだ十二ですもの、あまり遅くまで引き留めるわけにはいきませんね。
――では、本日の昼食をご一緒するというのは。
「なんて図々しい」
アウローラが呆れたような声を出す。
「火領の行儀作法はどうなっているんです」
「……まあ、ヴァレリス様も似たような事をおっしゃいまして」
さすがにな、とフィルも思う。カルデン村でだって、約束の時間よりだいぶ早く押しかけたあげく、客を迎える準備中の家に昼飯を食わせろとは言わない。
予定外の昼食への招待を遠回しに断られ、ヒルデガルドはにっこりと笑ったのだという。
――もちろん、こちらにご迷惑をおかけするようなことはいたしません。
――元々午後に到着の予定でしたから、今日の昼の分までは食事を持参しております。私たちの食事に、ウィルを招待する許可をいただけますか?
「……えーと。行った方がいいでしょうか」
「まさか了承したんですか!?」
フィルとアウローラの声が重なる。セリウスがため息をついた。
「シュナからヒルデガルド殿が雲雀にいきなり現れて、ウィル様と対峙していると聞かされた状態でのお申し出でしたので……ヴァレリス様はウィル様の体調を理由に断ろうとしたのですが」
せっかくのお誘いだが、と言いかけたヴァレリスに、ヒルデガルドは笑顔を崩さぬまま続けたのだという。
――それにしても、ウィルは見違えるようでしたね。すごく元気そうで良かった。本復にお喜び申し上げます。
「……まさか、初見で怪しまれたってことはないですよね?」
ヒルデガルドがどこまで狙っていたかは不明だが、よりによって「見違えるよう」とは。ヴァレリスはさぞかし肝を冷やしたろう。
アウローラが額を押さえた。
「それは大丈夫だと思います。……まあ、ちょっと驚いてはいらしたようですけど、さすがに一瞬で怪しまれるような、そこまでの危うさはありませんでした」
「そうですか……」
セリウスは難しい顔で考え込む。そして顔を上げた。
「予定より負担をかけそうな形で大変申し訳ありませんが、フィルさん。腹を括っていただけますでしょうか」
フィルはごくりと唾を飲む。
「このあとヒルデガルド様が昼食のお誘いに来られます。……領主館の近くで、野掛けでの昼食となります。今、パンとお茶を持ち運べるように用意していますので、それをシュナに持たせて、ヒルデガルド様を案内してください」
「待ってください、私が付き添うことは?」
アウローラが割って入るが、セリウスが首を横に振った。
「ファビアン様も同行を申し出たのですが、こちらが先に準備中であることをほのめかしたのと、婚約者との時間を盾に取られて断られました。……兄君の参加を断られて、その婚約者を紛れさせるのは無理があります。アウローラ様の顔も、向こうはご存知ですよね?」
さっきばっちり挨拶しちゃったしな……とフィルは遠い目になった。
「……シュナの同行は大丈夫ですか?」
「さすがに敷地内とはいえ、他領の者とウィル様お一人だけを一緒にするわけにはいきません。こちらも昼食を出して、その給仕のための侍女であれば問題ないでしょう」
シュナが顔を上げた。
「ウィル様、心細く感じられるかと思いますが、私も精一杯努めます。ウィル様が先ほどのように落ち着いて、こちらでセイレア様やアウローラ様にお話しされるように、朗らかにお話を楽しまれる分には問題ありません」
アウローラがフィルの肩をつかみ、顔をのぞき込んできた。
「いいこと、ウィル様。なにか頼まれたり返事を求められたりした時は、うかつに返事をしてはだめよ。全部、父に相談します、母に聞いてみます、よくわからないです、そう言って困った顔をしておいでなさい。……おそらく、あなたに対してはそう無茶ぶりはしてこないわ」
緊張しながらうなずくフィルに、セリウスがすっと一枚の紙を差し出してきた。
「フィルさん。腹が決まりましたらここに署名をいただけますか」
ギクシャクとフィルは視線を落とす。契約書の形をとったそこには、もしフィルと火領の間で面倒が起きた時には、必ずヴァレリスが間に入ってフィルに味方する旨の誓約と、それから成功報酬を一万シルから一万五千シルに増額すると書いてあった。
「……」
フィルは無言で署名して、紙を大事に受け取った。
「できるだけのことをいたしましょう」




