ヒルデガルドの来訪
いよいよ、火領のヒルデガルド一行がやってくる日。
雲雀館では朝からアウローラが鼻息も荒く「ウィルフォード」の装いを整えていた。――彼女の名誉のために言い添えると、アウローラ本人はあくまでいつも通り上品で優雅に振る舞っていたのだが、彼女の意気込みにフィルは気圧されっぱなしだった。
「夜の宴にはこっち……いえやっぱりこっちね。ちょっと気温も上がったし。灯りもあるから多少光る装飾も必要でしょう? そうすると生地は暗めの方が映えるわね……それとも装飾は抑えめにして刺繍の多いものの方が上品かしら」
「あの、アウローラ殿」
「なにかしら、ウィル様。ああ、ちょっとそちらの窓の近くに立って。……そうね、やっぱりこちらがいいわ」
「今日の衣装についてはもう随分前からセイレア様と決めてましたよね?」
「手を少し上げてくださる?……うーん、この色ならやっぱり帯は暖色……」
「アウローラ様、帯をこちらの光沢のあるものにして、上衣は襟と袖口の刺繍のあるこちらにしてはいかがでしょう。大人っぽくなると思うのですが」
「でも基本は背伸びしない方向なのよ。十二歳相当に見せたくて」
「ですが本日は宴ですし、少し落ち着いた雰囲気でも良いのでは? 明日以降は普段着になりますし」
「確かに、今日の宴は領主様主催ですものね。あまり格が落ちるのもよくないかしら」
「あの、アウローラ殿、シュナ殿」
二人に向かって呼び掛ければ、シュナがあら、と振り返った。
「私のことは呼び捨てでよろしいのですよ、ウィル様。夫ともども、気軽に呼び捨ててくださいませ」
にこりと笑うのは、先日からウィルフォード、すなわちフィルにつけられている侍女である。以前にも領主館でセイレアに仕え、侍女というよりは夫のセリウス同様、書紀のような仕事をしていたらしい。妊娠出産を経て一時職を辞していたそうだが、火領一行の訪問にともない領主館で人手を必要としていたため、仮に復帰をした。……要は、領主とセリウス直々にフィルのお目付役を命じられているわけである。
「お子さんは大丈夫ですか?」
ここから十日はおそらく一日中フィルにつきっきりになるだろうシュナに尋ねれば、彼女は頼もしく胸を叩いた。
「実家の母と妹が来ております。最初は私の不在で機嫌が悪かったそうですけど、そろそろ慣れてきて、母が甘やかすので調子に乗っているようですわ。多少心配ではありますが、そこは妹が見計らってくれるでしょう」
妹も自分の子を連れてきているのですよ、とシュナがにこにこと笑うのに、つられてフィルも笑った。なんとなく、姉のイルゼを思い出す。彼女もあと二月もしないうちに産月だ。自分も孫を甘やかす母を抑える叔母の役割になるのだろうか。
「それでウィル様、なにを言いかけてらしたの?」
アウローラが房のついた帯飾りを見比べながら尋ねた。フィルにも石のおおよその値段や房の豪華さによる雰囲気の違いはわかるが、どちらの格がどうとかまでに話が及ぶとお手上げだ。単に豪華であれば格が高くなるわけではないというのも大変勉強になった。
「……そうでした。今日の宴の衣装はもうとっくに決めていたのでは?」
なぜ当日になってこんなに見直しが出るのだ。まあ時間は十分にあるので大丈夫とは思うが。
「思っていたより暑くなったでしょう? そうすると風合いや小物にも変化をつけるべきですもの。もちろんこういう時のための候補も決めてありましたが、それでもやっぱり調整は必要です」
「日差しが強くなるのが例年より早い気がしますね。……火領のお方の来訪が歓迎されているのかしら」
「天が火領のお方を歓迎するというのなら望むところです。こちらも万全に整えて迎え討たなくては」
「迎え討ったらダメでしょう」
「それくらいの心意気で備えてくださいませ」
「……がんばります」
フィルは諦めて着せ替え人形に徹することにした。
最終的に裾が長く、袖口と襟元に銀糸で刺繍の施された暗色の上衣と同系色のズボン、帯は明るめの色に房飾りのついた帯留めを組み合わせた。一月念入りに手入れをされてきた髪は帯と合わせた髪紐で後ろにまとめ、青い部分は銀と混ぜて編んで、頬の横に垂らす。最後に小さな香袋を帯留めにつけて房飾りの隣に垂らした。
「これでよろしいでしょう」
「ええ、立派な若様ぶりですわ」
二人の女性が満足げにうなずくのに、フィルは良かった……と肩の力を抜いた。
「ウィル様、皺になりますからいったん着替えてくださいませ」
「ほら、背が丸まっていますわよ。緊張しなくてもいいので気を抜きすぎないように」
「……」
ファビアンも結婚したら、そしてセリウスも現在進行形で同じような苦労をしているのだろうか。シュナは宴の服を吊るしながら答える。
「うちの夫はそれほど飾りがいがないので。やっぱり見栄えのする若様がたの方が装束を考えるのも楽しいですわ」
「……シュナが楽しいならよかったです」
なんかこう、無性にセリウスに八つ当たりをしたい気分になった。ファビアンは将来アウローラに飾り立てられて苦労すればいい。
そのアウローラはフィルの様子に思うところがあったのか、お茶を入れ始めてくれている。やっぱりファビアンももう少し苦労すればいいんじゃないか、と少々やさぐれた気分になった。
館への来客を告げる音が鳴った。応答のためにシュナが入り口へと向かう。フィルは背筋を伸ばして、アウローラの出してくれた風露茶を飲む。アウローラがにこりと笑った。
「衣装が決まりましたので、この後は宴の次第を確認しましょうね」
「……はい」
「それが終わったら早めの昼食にしますから」
「がんばります」
当初はひたすらアウローラが厳しく、セイレアが適宜休憩や簡単なご褒美を入れてくれたものだが、最近はセイレアが客人を迎える用意や火の季に向けた準備に忙しく、不在が増えた。アウローラもセイレアや、その頃から参加するようになったシュナから助言があったのか、ちゃんと休憩を見計らってくれるようになった。
次期領主夫人として頼もしいことである……と思っていたところに、ふと外の騒がしさに気がついた。アウローラも疑問に思ったように立ち上がる。
「シュナ?何かありましたか?」
声をかけながらアウローラが階下へ降りていくのに、フィルもなんとなくついていってしまった。……後から思えば、フィルもアウローラも少々気を抜いていたのだろう。
玄関に近づくと、シュナがお待ちください、と叫ぶ慌てたような声と、動物の鳴き声が聞こえた。眉を寄せたアウローラがフィルに下がるよう手振りをして扉を開く。
「何事です……は!?」
外に出て行ったアウローラが聞いたこともないような大声を出したのに、フィルは思わず駆け寄った。
「アウローラ殿?」
雲雀館から外に出ると、ちょうど雲間から顔を出した陽の光がまぶしく目を焼いた。ふと、大鷲の背に乗った時のことを思い出した。あの時も登ってきた太陽の光が目を焼いたと思ったら、目の前に見たことのない風景が広がっていたのだ。
――なんてきれいな少女だろう、とフィルは思った。
「ウィルフォード?」
初めて聞く声だった。聞いた者がつい振り返るような、明るく力強い女の――少女の声。
雲雀館に馬に乗ったまま単騎で乗り付けたその人こそ、火領の三の姫だった。
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