「母」との対面
フィルが領主館に来てから半月が経ち、雲雀館に移るように言われた。その日、フィルは初めて、ウィルフォードの母であるレイネシアと対面した。
「このような格好ですみません」
「いえ、お加減の良くないところに、お騒がせして申し訳ありません」
雲雀館の一室で脇息にもたれているのは、青い髪のほっそりとした美女だった。
優美さはアウローラにも感じるが、この人の雰囲気は儚いというかなんというか。とても十二歳の息子がいるようには見えない。
「……」
挨拶を済ませると互いに無言になった。あまりフィル自身のことをぺらぺら喋るわけにもいかないし、かと言って、具合の良くない方に色々尋ねるというのも憚られる。
ヒルデガルドと話す機会が来たとき、母親であるレイネシアのことに全くウィルフォードが触れないのも、ヒルデガルドに何か聞かれた時に答えられないのも不自然になので、人柄がつかめる程度の交流はしておくべきなのだが。
「ええと、ウィルフォード様もお元気でしょうか。その、あまり最近お見かけしておりませんが」
すっとレイネシアの顔が曇る。
「ウィルは、隼館に移りました。……ファビアン殿はあの子によくしてくれますから、おそらく元気に過ごしていると思います」
「……そうですね」
ウィルフォードの話題は失敗だったろうか。しかし他に共通の話題もないし、母から見たウィルフォード像というのも聞いておくに越したことはないだろう。
「ウィルフォード様は、小さい頃にどんなふうに過ごされてましたか? 好きだった遊びとか……」
レイネシアがかすかに微笑む。
「あの子、人見知りをするからおとなしく見えるけれど、こうと決めたら譲らない頑固なところがあるの。積み木でも組み絵でも、自分が納得するまで繰り返し挑戦していたわ。せっかく遊びに誘ってくださったファビアン殿が困惑していたの」
「おいくつくらいの時ですか?」
「あの子が五歳くらいだったから、ファビアン殿は十かそこらだったでしょうね。ウィルのことをよく外に連れ出してくれたわ。大鷲を見に行って興奮していた」
「それは、風領の子なら誰でも通る道ですね」
領主の子でも平民でも変わらないらしい、とフィルは少しおかしくなった。
「お好きな食べ物とかは?」
レイネシアが頬に手を当てる。
「あの子は鶏の雑炊が好きでしたね。水領では米をよく食べるのですけど」
「お米、美味しいですよね」
「あら、あなたはお米をご存知? ……そうね、その髪ですもの。水領に係累がいらして?」
フィルの曽祖母の話を……というよりフィルの話を、この方は聞いていないのだろうかとちらりと思う。
「はい、曽祖母が水領の出身で、そちらとは商売を通して付き合いが続いています」
先日も行商に行きました、と言って、あまり話しすぎるのは良くないのかもとちょっと迷う。
「……レイネシア様は、水領の領都にお暮らしだったんですよね。どういうところなんでしょう」
そうね、とレイネシアはおっとりとつぶやく。
「水領では湖のそばに街があって、川もつながっているわ。街の移動にはもちろん街道も使うけど、水路も整備されていて小舟を使うの。ご存知?」
「私が行ったのは、もっと手前……風領寄りの街なんですが、やっぱり湖と川はすぐ近くにありました」
「南の方では水を引いた田んぼでお米を育てているのよ。土の季になると稲穂が実って、風に揺れるの」
懐かしそうに目を細める。
「……お帰りにはならないんですか?」
口に出してから失言だったと思った。なにより越権だ。
レイネシアは軽く目を見開き、それからまた微笑んだ。今度はどこか、寂しそうな心細げな風情が漂う。
「セイレア様にもよく言われたわ。無理をせず、故郷でゆっくりしてきなさいって」
「……」
「でも私にも、譲れないものがあるの。こんなふうに、役立たずでも」
ぎょっとしてフィルは飛び上がりかける。
「役立たずなんて、そんな……!」
「役立たずでしょう。セイレア様のように館の皆を指揮できるわけでも奥向きをまとめられるわけでもなく、実家との繋ぎをするわけでもない」
そこで一度言葉を切り、レイネシアが視線を落とす。
「なにより、私はあの子の異変に気づけなかった」
「……」
レイネシアは自らの腕を見つめている。そこには十歳の、熱に浮かされたウィルフォードがいるのかもしれない。
「あなたには迷惑をかけて、本当に申し訳ないわ」
「そんなこと、お気になさらず。……私は報酬をいただく身ですので」
失礼かと思ったが、思い切ってフィルはハンカチをレイネシアに渡す。アウローラから口酸っぱく言われる成果が出た気がした。
レイネシアは泣きそうな表情のまま笑った。
「前にも、こんなふうにハンカチをいただいたことがあるの。もらってばかりで何も返せないのが、心苦しくて」
「レイネシア様がお元気で笑ってくださることを、ウィルフォード様も領主様方も、一番にお望みだと思います」
「ありがとう……本当に、私はただ、ウィルフォードを守れれば、それでいいのだけれど……」
そう言って笑うレイネシアの姿は、とてもきれいだった。儚げでも、間違いなくこの方は母親なのだ、とそんなふうに思う。
会見は短く終わったけれど、もしヒルデガルドに「お母様はどんな方?」と聞かれたら、「僕のことをとても大事に思っている母です」と迷いなく答えられる、そんな気がした。




