仕立てられる偽物
ファビアンが部屋から出され――ついでにセリウスにフィル用の帳面と筆記用具を依頼するよう雑用を頼まれていた――フィルはまず服を体に合わせるのかと思いきや、浴室に突っ込まれた。
セイレアと腹をくくったアウローラは強かった。さすがに手ずからとはならなかったが、文字通り頭のてっぺんからつま先まで洗い方をきっちりと指導された。いやならその洗い布を貸しなさいと言われて逆らえるわけがなかった。十四にもなって人に体を洗われるなんてあり得ない。ましてやその相手が領主と次期領主夫人とか、風領山脈から吹く風が止まるくらいあり得ない。
髪を洗う前にまず念入りに櫛を通され、三種類くらい洗髪料を使い、洗った後はなんだか泥みたいなものをなすりつけられ、途中からフィルは呆然としていた。
「……女性のお二方はわかるんですが、ウィルフォード様も普段からここまでしてるんですか……?」
「そうね、香油は省くかもしれないわ」
「このドロドロは……」
「これは私たちも毎日はしないわ。でも今はまず髪の状態を改善しないと。艶が持続するようになるには普段からの手入れが大事ですもの」
そう言って、セイレアはふふ、と笑った。
「子どもの髪の手入れをするなんて久しぶりだわ」
そう言って、フィルの髪の青い色の部分を丁寧に櫛で梳いた。
「せっかくきれいなんだものね。……この髪は、ひいお祖母様譲りなんですって?」
一瞬何かが引っかかった気がしたが、まずは問われたことに思考を向けた。
「はい、水領の出身でしたので」
「そう。……失礼だったらごめんなさいね。ひいお祖母様と言うことは、直接お会いしたことは?」
「私が生まれた頃にはもう天上の住人でした。……曽祖父とは大変仲が良かったそうで、風領の家で見送ったそうです」
人は亡くなると天に上るというのがこの国における一般的な認識だ。亡骸は各領のやり方で地に返すが、人の本質である魂は魔力と共に天に還る。突然のことであればともかく、大抵の人間は死ぬ前には弱っているから、周囲の魔力の影響を受けやすくなる。他属性の地であればなおさらだ。他領の者と結婚して相手の住む領に居を移した者も、亡くなる前には生まれた地に戻ることも少なくない。
もちろん実家がなかったりとか、戻れない事情がある者もいるが、その場合は神殿で、魔力熱に対する治療を受けながら見送られることがほとんどだ。
フィルの曽祖母は、実家から戻ってきていいと言われていたそうだが、それを断って風領で見送った。曽祖父はギリギリまで曽祖母を家で看病していたが、いよいよその時が近づくと、自分も神殿に泊まり込み曽祖母に付き添った。曽祖母が亡くなると、曽祖父は彼女の青い髪を形見にと一房切り分け、亡くなるまでずっと肌身離さず持っていたと言う。
ポツポツと語るフィルに、セイレアは一言、そう、とだけ返した。
「ウィル様、セイレア様、服の候補を絞ったので、見ていただけますか」
アウローラの声かけに、フィルは泥を塗った髪を布で包んだまま浴室の外に出た。それを見たアウローラが眉根を寄せる。変ですよね?とフィルは尋ねかけたが、それより先にアウローラがセイレアに向かっていった。
「セイレア様、ウィル様の顔にも塗りますか?」
塗るって何を。まさかこの泥を顔にも?
ぽかんとするフィルの前でセイレアは重々しくうなずいた。
「それは今日の夜からにしましょう」
「……」
やっぱり塗るのか。そもそも今あれだけ洗ったのに夜も風呂に入るのだろうか。とりあえず、自分の身体の洗い方だけは早々に覚えて、二人の手を煩わさないようにしたい。フィルは切実に思った。
衣装選びもまた、戦いのようであった。フィルとて衣類を扱う商家の娘だ。高級品に接したこともあるし、肌に合う服の色や小物の効果なども多少は知識があるつもりだった。しかし、やはり貴族の世界は勝手が違う。
まず平均の質が高い。高級な手触りをした布は多分糸からして高級だし模様を効果的に見せるように複雑な織りをしている。フィルの身の回りでは商品も含めて取り扱ったことのない色合い、さらに小物にも様々な意味があるのだと言う。
セイレアとアウローラの持っていた硬い骨の扇子が、閉じるときにぱちんと鳴るのがかっこよくて、自分も持てるのかと聞いたら、扇子は女性遣いだと言われた。じゃあ暑いとき男性は何で仰ぐのかと聞いたら、そもそも人前で仰いだりしないと言われた。じゃあなんで扇子を持つんだ。
「セイレア様、ウィル様にはこの色がよろしいのでは?」
「顔映りは確かに良いけれど、それに合わせるなら帯はこちらでしょう。あまり子どもっぽいのも雰囲気とは合わないわ」
「ですが、ウィル様はもともと十四歳ですから、あえて大人びた格好は避けた方がウィルフォード様との差が目立ちにくいのではないでしょうか」
「それはそうね。単にウィル殿に似合うと言うだけでなく、十二歳に寄せる必要があったわね」
やっぱり雲雀館から連れてくるべきかしら……とセイレアがつぶやく横で、アウローラは砂時計をちらりと見た後、てきぱきとフィルの髪の布を外した。
「ウィル様、一度泥を落としましょう。乱暴に剥がしてはいけませんよ。お湯で温めてながら櫛も使って少しずつ落としてください」
「……はあ」
泥が固まってなんだか重たくなった頭を触りながら、フィルは生返事をする。アウローラが顔をしかめた。
「やっぱり私も行きましょう。洗って差し上げます」
「結構です、自分でやります。やらせてください」
あわててそう返事をしてフィルは再び浴室に向かった。
最終的に二人が選んだ服は上下で二十着ほどあった。貴人とは洗濯をしないのであろうか。ほとんど日替わりで着替えることができそうなのだが。しかし彼女らはまだ納得していない様子で「いっそ新しく誂えては」などと言いだしたので、フィルは慌てて頭を振った。
「落ち着いてください、仕立てる時間なんかありません」
「でも、出来合いのものだと体型にしっくり合わないのよ」
「いっそファビアン様の昔の服はいかがでしょう」
アウローラがとんでもないことを言い出している。フィルがファビアンのお下がりなんか着たら、後で正気に戻った時に怒るんじゃないか。セイレアが首を横に振った。
「あの子は割と背が高くなるのが早かったから、このくらいの身長だと五年くらい前になると思うの。それではさすがにウィル殿に着せるものとしては布が古いし、流行からも遅れるわ」
うーんとアウローラが考え込む。
「火領の方々が来るのは一月後なのですから、そこで着る分はやはり作ってしまった方が良いのでは。それでも時間が充分とは言えませんけれど」
一体何を作るつもりなのだろうかこの人たちは。放っておいたら布を織るところから始めそうである。セイレアがにこりと笑う。
「フィルさんに合わせて作った服は、最後は持ち帰っていいですからね」
「……お気持ちだけで」
そんな服、着ていく場所もあるわけがないし、かと言って普段遣いで着られるわけがない。額縁に入れて飾っておきたいくらいだ。いや、顧客に向かって見本や組み合わせの例として提示するならありかもしれない。見本詐欺にならないだけの商品を品揃えしなければならないが。
気づけば、昼食の時間となっていた。
「今日の昼餉は本館の裏で取りましょう」
「裏?食事を取る場所に表と裏があるんですか?」
フィルの疑問にアウローラが説明する。領主館と呼ばれる館全体の中で、特に本館、大鷲館と呼ばれる中央の大きな建物には、領主が執務を行うための表区域と私邸にあたる裏部分があるという。
「ヴァレリス殿が側近たちと食べる時や、お客様を迎えてもてなすときに使う部屋もあります。館の構造についても後で教えますが、そちらは資料はありませんし、覚書にすることも禁じます。迷子にならないよう頑張って覚えてくださいね」
「……わかりました」
フィルは二人とともに再び本館へと向かった。朝はやはり人払いがされていたようで、本館に入れば立ち働く人々の姿が見えた。皆、先頭を歩くセイレアに気づくとお辞儀をし、そして後ろを歩くフィルに気づくと目を見張ったり、慌てて頭を下げ直したりと反応を見せる。
「堂々としていなさい」
アウローラがフィルにだけ聞こえるようにつぶやく。
「皆、察するところがあるのでしょう。そのうち領主様から内々に周知されます」
フィルはうなずく代わりに、黙って背筋を伸ばした。




