身代わり教育の始まり
アウローラとの間に心強い同盟が結ばれたところで、扉を叩く音がした。立ち上がりかけたフィルをアウローラが止める。
「あまりないとは思いますが、もしあなたが一人で部屋にいるときに誰かの訪問を受けたら、まず部屋の中から誰何してください。そうすると扉の向こうから名乗りと用向きを告げられます」
そのままアウローラは手本を示すように、「どなたでしょう」と声をかけた。
「セイレアです。戻りました」
その返事を聞き、アウローラが立ち上がる。
「この場合、セイレア様は私よりもウィルフォード様よりも序列が上の方ですので、私が扉を開けます」
言いながらアウローラが扉を開けた。
「おかえりなさいませ」
セイレアと、それから両手いっぱいに袋やら行李やらをかかえていたファビアンが入ってくる。アウローラが首を傾げた。
「ウィルフォード様は……」
セイレアがため息をつく。
「雲雀でレイネシア殿に捕まりまして……まったくもう」
アウローラはセイレアに軽くうなずくと、フィルを振り返った。
「もし部屋の外にいるものが、ウィルフォード様より序列が下の者……といっても、領主様とセイレア様、ファビアン様、それから到着されてからはヒルデガルド様以外は皆ですが、その場合は口頭で入室の許可を出してください。外側から扉を開けます」
「アウローラ殿や、ヒルデガルド様以外の火領の方でも?」
アウローラがうなずく。
「この場合、戸を自ら開けて迎える相手は自分より明確に身分が上の方のみです。したがってあなたの場合、先ほど挙げた風領のお三方とヒルデガルド様のみと考えてください。……とは言っても、ウィル様お一人の部屋にヒルデガルド様がいらっしゃるようなことはないと思いますが」
「僕一人でない場合は?」
「私やセリウス殿、もしくは他に風領の者がいる場合はその者に受け答えごと任せてください。先ほど、私が誰何したのと同じです。あなたより序列が上の方しか部屋にいない場合は、あなたが誰何することになります」
「その場合はなんて?」
「ウィル様であれば『どなたですか』とのみ問い掛ければ大丈夫でしょう」
フィルはなるほど、と思った。平民の間の礼儀とも感覚はそれほど変わらない。ただ、もっと序列やら順序やらが厳密に決まってるという印象を受けた。
「わかりました。えっと、覚え書きとかってしても大丈夫ですか」
アウローラがうなずく。
「帳面と筆記用具についてはセリウス殿にお願いしましょう。今はこちらをお使いください」
そう言って、アウローラが書き付ける紙と携帯用の矢立をフィルに差し出す。
ふふ、と笑い声が聞こえた。
「ずいぶん打ち解けたのね」
セイレアに向けてアウローラがにこりと笑った。
「ウィル様なりに覚悟がおありだということは分かりましたので。とにかく仕上げてしまってから、後のことは考えます」
「あらあら。……でもその通りね。こちらも先に進めましょう。……とは言っても、ウィルフォード殿は来られなかったのだけど」
セイレアのため息にアウローラがフィルを振り返る。
「仕方ありません。まずはウィル様の身なりを整えましょう。どちらにしろ、衣装選びに関しては殿方にはご遠慮いただきますもの」
最後にちらりとファビアンを見て、アウローラが言った。
衣装選び……そういえばウィルフォードの服からフィルの着られるものを見繕うとか言う話だった気がする。ということは、ファビアンの持ってきたあれらはウィルフォードの服か。次期領主に荷物運びをさせているようだが、それはいいのだろうか。朝食を持ってきたのもアウローラだったことを思い出す。フィルの疑問を読み取ったのか、荷物を置きながらファビアンが苦笑する。
「策の詳細や君について、知るものは少ない方がいいとの父の判断だ。『弟』の手伝いくらいは喜んでやらせてもらうとも」
そう言ってファビアンはセイレアを見ると、フィルの方に身を屈めて声を潜めた。
「私が母上にあれこれ言いつけられる姿は、館の者も見慣れているしね」
「聞こえていますよファビアン」
ファビアンの持ってきたウィルフォードの衣服や小物を検めながらセイレアが言う。ファビアンが肩をすくめた。フィルも苦笑を返す。
「ありがとうございます、『兄上』」
母親同士の関係はまあ建前やら本音やら色々あるのかもしれないが、少なくともファビアンとウィルフォードの仲は悪くないのだろう。先ほど、部屋に入る時のウィルフォードが兄の背に半ば隠れるように立っていたことを、そのウィルフォードをそっと促し、けれどずっとすぐ隣で弟を見守っていたファビアンの眼差しを思い出す。
……そう、ちゃんとわかっている。だからちゃんと「兄上」と呼んだのだ。アウローラはこちらを何か探るような目で見るのをやめてほしい。
せっかく友好的なところを申し訳ないが、「兄」に必要以上に関わるのは避けようとフィルは思った。




