調和の教え
隣を向いて話を振れば、アウローラが何を言い出すのだとでも言いたげに見返してきた。ファビアンとウィルフォードは気まずげな視線をちらちらとよこし、セイレアはどこか面白そうにこちらを見ている。
そもそも、この国では人の争いが忌避される傾向がある。天神殿も人と人が争うことのないように、互いに調和して生きることをまず第一にするようにと教えている。
――昔、人々が富や領地を奪い合い争って、人も他の動物も植物も殺し、絶やし、それでも足りずに地の魔力にまで手をつけた。結果として国の各地で魔力に偏りが起き、魔力の大いなる流れに乱れが生じた。
乱れを正そうと、魔力は枯渇した部分に強引に流れ込み、それは突風となって周囲を吹き飛ばした。
偏って溜め込まれた魔力は限界を超えると暴発し、周囲の地は割れ、その地に生きていたものを飲み込んだ。
地割れは湖にまで届き、水に魔力を流し込んだ。その水の周囲の生物は魔力過多を引き起こし、人も動植物も姿を変えた。
最後には国を囲む山脈のあちこちが噴火し、溶岩が国内に流れ込んで国を焼き尽くしたという。
その魔力大災害で既存の勢力が失われ、わずかに残った人々のうち、魔力に適応しやすい天属性の人間が次第に中心となった。トゥーレと呼ばれる中央の地に神殿を作り、生き残った人々を導いて今の四領ができた……というのがフィルの習った国の成り立ちである。
この国の人間は魔力を持つ。人々が争えば必ず魔力が武器として使われる。争いは簡単に加熱し、さらに多くの魔力が争いに注ぎ込まれる。魔力を争いのために使い、世界の調和が乱れれば、またあの災害の時代がやってくる。フィルたち四領の子どもたちは、そう神殿学校で言い聞かせられて育ってきた。
とはいっても、平民の子どもはそもそも魔力が多くないので、例えば友だちと喧嘩をしようと思っても風で吹き飛ばしてやれなんてことはできないし、思わない。
それでも村や学校で取っ組み合いなんて起これば、たちまち大人たちに引き剥がされ、場合によっては学校や地方神殿に連れて行かれる。そこで悲しそうな顔の先生や神官様に、なぜ争いが起きたのか、原因を解決するには暴力以外の方法はなかったのか、争いの結果何が起きると思うか……と延々と諭される。
フィルも一度近所の子どもと喧嘩になって、地方神殿の説教部屋(と、子どもたちは恐れている)に入れられたことがある。フィルに「トビヘビばっかり見ててお前本当に人間かよ」と暴言を吐いたジョイは、説教部屋のおばあちゃん神官様にハラハラと泣かれて固まっていた。
人間には好きなものを好きでいる権利があり、たとえ他人のそれが理解できなくてもそれを馬鹿にしたり相手を傷つけるようなことを言ってはいけないのだ、と。
そしてフィルには、好きなものを大事にするのは素敵なことだが、たとえ馬鹿にされたとしても一瞬こらえて大人に相談してほしい、決して告げ口などとは言わせないから。暴力に訴えるとそれが次の暴力に繋がってしまう。初めはささいなことでも、始まった暴力を止めるのは大変難しい。そして、あなたもトビヘビの観察に夢中になって村の掃除を忘れたことをジョイとみんなに謝りなさい……と、手を取られながらやはり泣かれた。
解放された時にはフィルもジョイも互いに対する怒りも何もかも忘却の彼方に飛ぶほど疲れ果てていた。ただ、フィルの手を包むように握りしめていた神官様の手の、歳に似合わぬ力強さと温かさだけが残っていた。
今もその手の力強さを思い出しながら、フィルはアウローラに問いかける。
「ほとんど初対面の私の、何がそんなにアウローラ様の気に触るのかなって。というか、朝食を持ってきてもらったとこから、実はずっと不機嫌じゃなかったですか?」
「……それがどうかして?」
「これからしばらくお世話になるなら、ずっとその態度じゃこっちも腹が立つので、解決できるならしたいです。あと、私に貴族の女子に嫌われそうな要素があるなら、ヒルデガルド様に対しても使えるんじゃないかと」
アウローラはぽかんとした顔でこちらを見た。
「あなたって……」
「平民であることとか礼儀が足りないとことか、まあどっちかというと、がさつ寄りであることは否定しません。ただハキハキ答えるところについてはセリウス様にはむしろ褒められた感じだったんですが、アウローラ様には印象が悪いんでしょうか」
セイレアがぽつりとつぶやいた。
「……まあ、あまり貴族相手に萎縮してしまう方だったら、今回の依頼はしなかったでしょうね」
「だからって、面と向かってそんな風に聞きます⁉︎」
「そうですね、本来なら時間をかけてお互いのことを知っていくのが大事だと思うんですが。でも、今回は明確に期限があるでしょう?」
ぐ、とアウローラが返事に詰まったように口を引き結ぶ。
「ヒルデガルド様がいらっしゃるまでに、私は貴族の所作を覚えてウィルフォード様の振りができるようにならなきゃですし、もしその中にヒルデガルド様に悪印象なことがあるならそこは活かしていきたいし」
ファビアンが首を傾げた。
「この仕事に熱意を持ってくれるのは、こちらとしては大変ありがたいんだけど。でも、そんなに気負って無理をしなくてもいいんだよ? 父上は、君とヒルデガルド殿の接触は最小限にするとおっしゃっていたし、セリウスも補助につくはずだし」
「それでも、挨拶や数回の顔合わせは必要になるとも伺っています。……私の身の安全については守ると領主様にもお約束いただきましたが、それでも正直、魔害駆除をこなしている火領のお姫様の怒りを買うのは怖いです」
「……」
ヒルデガルド様はそんなに怖い方じゃないです、とウィルフォードが小さく言った。そりゃあ本物の婚約者に対してならそうかもしれないが、フィルはあくまで影武者で偽物なのだ。万が一でもバレたくない。
「それに何より、私にだって、成功報酬がかかってます」
「成功報酬」
アウローラが呆気に取られたように繰り返す。フィルは力強くうなずいた。
「貴族のお嬢様にとってはそれほどじゃないのかもしれませんが、私にとっては大金がかかっているんです」
「……誤解しないでほしいんですが、一万シルはわたくしたちの感覚でもかなり大金ですよ」
セイレアが額を押さえてつぶやいた。
「そうなんですか?」
「少なくとも思いつきで払っていい限度は超えています。……あの方たちときたら、まったく」
絞り出すような声にフィルは深く同情してうなずいた。フィルの家だったらその十分の一の額でも家から叩き出されるだろう。
はっとセイレアが我に返ったようにフィルを見る。
「とはいえ、ヴァレリス殿の約束した金額を値切ったりするつもりはまったくありませんからね? 影武者をやり遂げていただけるなら、その働きは三万シルに値するものです。そこはご心配なく」
「大丈夫です。ちゃんと契約書にしていただきましたし」
セイレアとフィルは互いの目を見てしっかりうなずきあった。契約と相互理解は大事である。
「というわけで」
再びフィルはアウローラを振り返る。
「私も簡単には引けないので、どうぞ、気に食わないことがあるならおっしゃってください。直せることなら努力しますし、ヒルデガルド様対策に使えることなら使います」
じっとアウローラを見つめれば、彼女は深々とため息をついた。
「……あなたがふざけているわけではないというのは、理解しました」
「……」
ふざけていると思われていたのか。正直、それはちょっと心外だった。
「私のどこがふざけてたんです」
「領主館に初めて足を踏み入れた平民の方が……別に平民だからと侮るわけではないですが、出されたパンを三つも食べたあげく、どこで売っているかと聞かれるとは思いませんでした」
「……」
「ヴァレリス様が部屋に入って来たのにも気づかないし」
フィルはそっと視線をそらした。
「……私の態度が緊張感に欠けていたというのはわかりました」
「少なくとも食べかけのパンを片付けてもらうことよりもっと気にするべきことがあったのではないかと」
「私の中で一番理解の及ぶ失礼というのが、食べかけのパンの処理だったので……」
ふう、とアウローラが再びため息をついた。
「それを私が教えていかないといけないのかと思うと、大変理不尽に感じました」
「……それは私のせいではないような」
「そうですね。確かにあなたの言った通り、八つ当たりでした。ひどい態度をとったことをお詫びします」
アウローラは静かに……やはり上品で優雅な動きで頭を下げた。




