受けて立つ
「……アウローラ殿」
呆れたような声とともに、セイレアの手元で扇子がぱちん、と音を立てて閉じた。
「言葉が過ぎます。フィルさんにはこちらから協力をお願いしているのです。彼女が我々の依頼に答えて努力しているところにその態度で、人がついてくると思いますか」
「…………」
アウローラの口元にきゅっと力が入ったのが見て取れた。ゆっくりとフィルに視線を向け、深々と頭を下げる。
「大変失礼いたしました、ウィル様。お耳汚しをお詫びいたします。無礼をどうかご寛恕くださいませ」
フィルは目を細めて口を開いた。
「……これが慇懃無礼というやつなのですね。さすが貴族の方は本格的でいらっしゃる」
アウローラが弾かれたように顔を上げる。セイレアがぎょっとしたようにフィルを見たが、気付かない振りをした。
庶民感覚上等だ。売られたケンカは倍値をつけて返さねば。フィルはにっこりと笑った。
「先ほどから何がお気に召さないのか平凡な身にはわかりかねますが……八つ当たりってクソですよね」
「は!?」
「ああ、思わず里が知れるような俗語が飛び出してしまいました。お耳汚しをお詫びいたします。無礼をどうかご寛恕くださいませ」
最前のアウローラの言葉そのままわかりやすくあて擦れば、アウローラが思わずと言ったように立ち上がった。
神殿学校の子ども同士ならこのまま取っ組み合いになってもおかしくない勢いだったが、流石にそこは踏みとどまったようだ。いや、そもそもこのお嬢様の常識に取っ組み合いなんて存在しないのかもしれないが。笑顔を崩さずフィルは続ける。
「察しの悪い平民にご教示いただけますか?……つまりさ、何が気に食わなくてそんな態度とってるのか、はっきり言ってくれない?」
アウローラの肩がわなわなと震え出す。
「あなた、誰に向かってものを言ってるの?」
「グラスリー家のお嬢様で次期領主ファビアン様の婚約者とうかがっておりますが」
「それがわかっててよくそんな口が利けるわね」
睨みつけてくるアウローラに、フィルは冷めた目を向ける。
「貴族の家に生まれて婚約者が領の偉い人だからって、あなたがそんなに偉いわけ? 真面目に暮らして税を納めてる平民を馬鹿にできるほど?」
「馬鹿になんかしてないわ!」
「貴族様から平民に対しての『お里が知れる』って言い草に、悪意がないとでも? 本気で言ってるなら相当鈍感でいらっしゃる」
「あなたの言い方の方がよっぽど悪意があるわよ!」
「先にケンカを売ったのはそちらです」
「それはあなたが……!」
激昂していた彼女の動きがぴたりと止まった。視線をフィルの後方に据え、口を押さえたと思うとみるみる真っ青になる。その急な変化に眉を寄せ、フィルも視線の先を追って振り返った。
「……取り込み中のようだけど。出直したほうが良いかな?」
困ったような声がする。振り返った先、扉の前に立つのはセイレア。彼女が開けた扉の向こうには大小の人影が二つ。その一人はセイレアと面差しの似た、そしてヴァレリスと同じ銀の髪色を持った青年だ。
「ファ、ファビアン様!?」
アウローラの裏返った声を聞くまでもなく見当はついた。そしてその後ろに半ば隠れるように、今朝のフィルのように髪を布で巻いて覆った少年が立っている。
――つまりこちらが。
「二人とも、少し落ち着きましたか?」
呆れたような、セイレアの声。
「アウローラ、風領の統承一位と二位に対する礼の手本をフィルさんに。フィルさん、こちらが私の息子であるファビアンと、隣がレイネシア殿の息子のウィルフォード殿です」
アウローラが左手でスカートの裾をつまみ、右手を胸の前に持って行って深く腰を折った。フィルも真似ようとして、左手でつまむ部分がないことに気づく。横目でアウローラを見ながら左手は体の脇につけたまま、右手を同じように胸の前に当てて腰を折った。
「次代の風の導き手たるファビアン様、次代の風を支えるウィルフォード様にご挨拶申し上げます。本日も良き風が吹きますように」
「……良き風の吹く日に、カル……じゃない、ご挨拶申し上げます。フィルと申します」
初対面の貴人に対する挨拶をしようとしていきなり詰まる。出身地はできるだけ隠せという指示だった。意図は伝わったらしく、ファビアンがうなずく。
「良き風を呼ぶ出会いに感謝を。風の領主の子、ファビアンです。顔を上げてください、フィル」
苦笑混じりの柔らかな声に、恐る恐る顔を上げる。と、隣でアウローラがまだ頭を下げた状態で固まっていた。
アウローラとファビアンを交互に見ると、ファビアンが困ったように笑う。
「ローラも顔を上げてくれないか」
声をかけられてアウローラの耳が赤くなるが、それでもまだ彼女は動かなかった。
「アウローラ殿、二人の分もお茶をお入れして。……私たちの分も、入れ直しをお願いできるかしら」
セイレアにそう言われ、アウローラはぎこちなく動き出した。茶釜に向かう彼女を見届けて、ファビアンは後ろのウィルフォードをフィルの方に軽く押し出した。
ウィルフォードは、聞いていた通りの橙がかった瞳でゆっくり瞬きすると、フィルに向かって頭を下げた。
「風の領主の子、統承二位のウィルフォードです。この度は、大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません」
声変わりもまだの幼い声が、挨拶に続けて大人びた詫びの言葉を告げる。緊張にか、握った拳が震えていた。
「……顔を上げてください。そんな、謝ったりしなくて大丈夫ですから」
やっとの思いでそう言った。それは領主の息子に対する言葉ではなく、途方に暮れている、年下の子どもにかける声だった。




