大鷲の連れてきた影
水領から帰る荷車は、行きよりもだいぶ軽かった。
荷車を引く岩場ルッカが、のんびりと坂道を上っていく。フィルは荷車を安定させるため、車輪周りの目につく障害物を小さな風で吹き飛ばしていた。
「あまり風を吹かすと疲れるぞ」
手綱を握るシュルクの声に、フィルは右の前輪に嚙みそうな石ころに狙いを定めながら答える。
「もうすぐ家に着くじゃん、これくらい平気平気」
フィルの狙った石ころが前輪の進路から転がったとき、周囲の風が変わった。空を見上げると視線の先に、鱗に光を反射させながら身をくねらせる蛇がいた。
「叔父さん、あれ」
フィルの声に手綱を軽く引きながらシュルクも空を見上げる。
「ん?ああ、トビヘビか。珍しいな、もう火の季節も近いのに」
ぐんぐんと空へ登っていくトビヘビの軌跡を目で追うフィルに、シュルクが笑う。
「フィルは相変わらずトビヘビが好きなんだな。スズナリの木から飛び降りるのはもうやめたのか?」
からかう声音にフィルは鼻を鳴らす。
「それ、私がいくつの時の話? それに学校の先生からは、風を呼ぶスズナリとトビヘビの関係に気づくなんて素晴らしい観察力だって、褒められたんだからね」
フィルの答えにシュルクは吹き出した。
「先生ってのは本当に大変なお仕事だなあ。俺だったら子どもがトビヘビの真似して木から飛び降りたなんて聞いたら、尻を引っ叩いちまう」
「……」
フィルは無言でそっぽを向いた。実際のところ、両親には「先生が居合わせなかったらそのまま落ちて死んでいたかもしれない」と大層怒られ、フィルの尻は母に容赦なく引っ叩かれた。
村に近づくと、村で飼っている風毛ルッカの銀色が斜面のあちこちで反射するのが見えてくる。荷車を引いているルッカが心もち興奮する気配に、シュルクが手綱を引き締めた。
「お前のかみさんは岩小屋だろ。風毛たちにちょっかい出すなよ」
「うちの村のルッカは美人ぞろいだからね。目移りするのもしかたない」
フィルが軽口をたたけばシュルクが顔をしかめる。
「子どもがそういう物言いをするんじゃない。ルッカは、まあ強い仔をとるには仕方ないとこもあるが、人間ならこれと決めた相手から目移りなんて誠実じゃない」
誠実、とフィルは口の中で繰り返す。風の領には商人が多い。フィルの家も水の領と付き合いがあるが、祖父はよくフィルに言っていた。
――商売相手をいかに出し抜くか、自分だけ得をすることを考えるのは商人として二流だ。一流の商人てのは、相手もいっしょに儲けさせるもんだ。
そう言って、祖父は儲けた分をそのまま酒に変えていた。
曾祖母の代からの水の領との商売を広げてきた祖父にとって、人脈は商売の重要な要素だったのだろう。しかし祖父の言葉と同時にフィルの脳裏に浮かぶのは、儲けた分で村の皆に景気よく酒をふるまう祖父を、祖母が酒場から引きずってくる光景だ。
誠実は美徳には違いないが、甘く見られてカモにされるのはごめんである。
「それで、叔父さんはリアとはうまくいきそう?」
「だから、子どもがそういうことに口を出すんじゃない」
シュルクがため息混じりにたしなめてきたその時、不意に周囲が暗くなった。先ほどまで照っていた太陽が、巨大な影にさえぎられている。
今まで荷車の後ろから吹いていた風がぴたりと止み、次の瞬間、頭上から叩きつけられるような、重く冷たい空気の塊が降ってきた。荷車を引いていたルッカが驚いたように脚を止める。
「大鷲!?」
吹き付ける強風に身を伏せながら、フィルは思わず声を上げる。巨大な生き物が風に乗って、悠々と荷車の上を通り過ぎていく。大鷲がすっかり行ってしまうと、その行く手を呆然と追っていた目を再び陽の光が焼いた。
「ありゃあ紋章付きだな」
大鷲の影にうずくまってしまったルッカの首をたたいてなだめながら、シュルクが呟いた。
「鞍が見えたろ? 領主様や貴族様が急使をやり取りするのに使う、騎乗大鷲だ」
「なんでそんなものが、こんなところに?」
ふとさっきのトビヘビを思い出した。こんな近くで大鷲に出くわしたら、あのヘビは食べられてしまうかもしれない。
「あの方向はうちの村だが……まさか降りたのか? 羽でも痛めたのかな」
シュルクがなんだかそわそわしだした。ルッカを立ち上がらせて手綱を握る。
「なあフィル。家に着いたら、ちょっと見に行ってきてもいいか?」
「なにを」
「大鷲の降りた方向だよ。もし貴族様の大事な鷲が羽を痛めて降りてきたんだったら大変だろう」
「大鷲が降りてきたらみんな気づくでしょ。それに荷下ろしどうするの。この子だって返しに行かなきゃ」
荷車用の岩場ルッカはこのあたりの村落の共有財産だ。借りた後は餌をやって手入れをして、岩小屋まで返却に行かねばならない。
「じゃあ、荷下ろしだけするから後は頼む! 後で小遣いやるから、義姉さんにもうまく言っといてくれ!」
小遣い、と聞いてフィルはにやりと笑う。
「いくら?」
「十シルでどうだ」
「安い。百シル」
シュルクがギョッと目を見開く。
「ふっかけすぎだ! もともと半分はフィルの仕事だろう!」
「叔父さんと二人でやるはずの仕事を私一人でやるんじゃ、単純に仕事が倍ではすまないじゃん。セイラに手伝い頼むとしても、ただってわけにいかないし」
「くっ……五十シル!」
フィルはわざとらしく荷台で背伸びをした。
「それにしても、大鷲ってすごいね。高いところを豆粒みたいに飛んでるのは見ることあるけど、あんな近くを飛んでるのは初めて」
「……」
胡乱な目で見てくるシュルクにフィルは真剣な表情で言葉を続ける。
「ねえ、大鷲って地面に降りたら、あのおっきい羽どうするんだろうね? 普通の鷲みたいにたたんで立つのか、鶏みたいにうずくまるのか」
シュルクがしばし、葛藤するように頭を抱える。
「わかった、百シル!」
フィルはシュルクに向かってにっと笑う。
「先払いでよろしく」
シュルクは無言で鞄を探り、フィルに百シル銅貨を渡すとルッカの足を速めた。
「フィル、石をどけろ」
これくらいはおまけしてやろうとフィルはほくそ笑みながら、先ほどと同様に車輪周りの障害物を吹き飛ばす。しかしシュルクの期待は、家のルッカたちが見分けられるくらいまで近寄ったところで吹き飛んだ。
家の前にあった岩に、つい先ほど、フィルたちの頭上を通り越した大鷲が止まっている。
「大鷲がうちに!?」
驚きの後に不安が来た。貴族様しか持ってない急ぎの伝令に使う大鷲が、なぜ一庶民のフィルの家の庭先に降りているのだ。シュルクすらも、一瞬感動の声を上げた後、不安そうに視線をさまよわせている。
「なにがあった……?」
「とりあえず急ごう、叔父さん」
ルッカを急がせる二人の後ろから、街道に植えられたスズナリが追いかけるように枝を揺らした。




