白鷺館へ
「ウィルフォード殿とレイネシア殿には、ご挨拶できるのでしょうか?」
エルンの問いに、ヴァレリスが困ったように顎をさする。
「機会があればと思ってはいるが……今はレイネシアが少々体調を崩している。落ち着き次第、フィルには二人にも会ってもらうつもりだが」
「そうでしたか。ちょうど時季の変わり目ですし、他属性の方には辛い時期でしょう。体調の落ち着いた時にご挨拶させていただければと思います」
「お気遣い恐れ入る」
ヴァレリスが軽く頭を下げたところで、セイレアが軽やかな声を上げた。
「それではヴァレリス殿、わたくしたちは一度、フィルさんと一緒に下がらせてもらいますね。ひとまずは白鷺館を使わせてもらおうと思うのですけれど」
「雲雀ではなくか?」
「雲雀にはレイネシア殿とウィル殿がいらっしゃるでしょう。それに白鷺にはアウローラ殿の使った教本があるので、そのまま授業ができますもの。ただレイネシア殿はともかく、ウィル殿は身代わり期間中は移動したほうが良いでしょうね」
ヴァレリスがうなずいた。
「なるほど。ああ、それと先ほどもその話が出たのだが、期間中はウィルを隼に預けようかと思う」
「良いご思案かと。ファビアンにも伝えて部屋を整えさせます」
「頼む」
「セイレア殿」
エルンの呼びかけに、セイレアが振り返る。
「私はこの後一度村に戻り、フィルのご両親に状況を説明してきます。フィル宛てに言伝を預かるかもしれませんので近日中にまたお邪魔しますが、その時にフィルから両親に宛てた手紙を預かることは可能でしょうか」
手紙、とセイレアが繰り返した。
「それは構いませんが……」
「フィルがすぐには戻れないことをご両親にお伝えするのに、フィルの手紙があればご両親も不安が和らぐと思いますので」
エルンの説明にセイレアが微笑む。
「なるほど、承知いたしました。……どうかご両親に、私からも娘さんをきちんとお預かりするとお伝えください」
「承知しました」
領主様の奥方からの伝言なんて聞かされたら両親はものすごく焦るだろうな……というのがフィルの正直な感想であった。ただ、気持ちとしてはありがたく、セイレアがそのような心構えでいてくれることは安心材料ではあった。
ふと、隣のアウローラがフィルのことを見ているのに気がつく。視線を向けると、アウローラはふいっとそっぽを向いた。
両親に宛てる手紙の内容についていくつか注意点を受け、フィルはセイレアとアウローラについて部屋を出る。部屋を出る時、セイレアはヴァレリスの方を向いて腰を折って見せた。続いてアウローラも同様に礼をする。二人とも背筋がぴんと伸びているのに動きは柔らかくて優美な印象を受けた。ええと、とフィルも振り返る。
「ウィル殿」
セイレアにそう呼びかけられて反射的に姿勢を正した。セイレアはその様子に満足気にうなずく。
「あなたがこの部屋で敬意を示す相手はお父上とエルン師になります。お二人の所属は異なりますのでお一人ずつに礼を取るのが正式ではありますが、部屋の退出程度であればそこまで厳密に行わなくてもよいでしょう。お父上に向かって、礼をお取りなさい」
セイレアは最後に、何事も練習ですからね、と付け加えた。
なるほど、とフィルは見様見真似で二人と同じくらい頭を下げる。フィルが姿勢を戻すと、すっとアウローラが進み出て扉を閉めた。
「ではまず白鷺館に向かいましょう。これからこの三人で館内を歩くことは多いと思いますが、基本的には、序列は領主の妻であるわたくしが一位、その次が領主の息子であるウィル殿、そして領主の息子の婚約者で領内の貴族であるアウローラ殿となります。……とは言っても、わたくしたちは家族ですので、公式の場でなければそこまで厳密に、部屋を出る順まで気にかけなくても大丈夫です。ただ、本来は序列があるということは覚えておいてください」
「は、はい」
ひょっとして今アウローラが扉を閉めたのもそういう理屈なのだろうか。さっさと自分で閉めてしまってはいけないのかもしれない。
フィルは軽く周囲を見渡す。人払いがされているのか、来たとき同様誰の姿も見かけない。先ほどの部屋はおそらく奥まった部分だったのだろう。しばらく歩くと窓から光が差し込んでいるのが見えて、外壁のすぐ内側に来たのがわかった。
「あの、セイレア様」
「なんでしょう、ウィル殿」
「白鷺館に向かうとおっしゃいましたが……」
「ええ、白鷺館はこの先の別館になります。アウローラ殿が泊まりで滞在する時などによく使用しています」
そこでセイレアは首を傾げた。アウローラをちらりと見る。
「ウィル殿の話し方、少しかしこまりすぎかしら?」
「難しいところですね。セイレア様にウィルフォード様が払う敬意としては問題ないと思いますが、家族としてはかしこまりすぎとも思えます。ウィルフォード様はまだ十二歳ですし、もう少し砕けていても不自然ではないですが」
ふとフィルは気になった。
「あの、父の奥様って、家族の認識でいいのでしょうか?」
セイレアとアウローラがそろってフィルを見た。
「えーと、村……いえ、平民の間では、結婚は基本一人とするものなので……」
本来、この国では多重婚姻が認められている。それは貴族も平民も変わらない。だから領主に二人の奥様がいるのは問題ないのだが、平民の間でそれをやると色々とややこしくなる。
結婚前の財産はどうするのか、家は誰が後を継ぐのか。女性の配偶者が複数の場合、生まれた子どもの父親は誰になるのか。そしてどの子が誰の財産を継いで、親は子の持つ財産をどれだけ動かせるのか。
仮に財産や相続の問題がなかったとしても、自分の恋人や配偶者に他の相手がいるのを歓迎する人間はあまりいない。そのため二人目以降の恋人や配偶者を迎える際には、一人目の了解を得るというのが不文律となっている。
夫婦間で揉めた時は神殿に仲裁を頼めば、恋愛や相続が人々の不和につながるのを防ぐためと積極的に調停をしてくれる。少なくともフィルの身の回りでは、同時に二人以上と結婚していると言う人は知らないし、話も聞かない。
昔、どこかの町の大富豪の跡取り娘が三人目の夫を迎えたらしいよ、なんて噂が街からの荷とともに聞こえてきたことはあったけど、一緒にいた姉が早々に兄とフィルの手をまとめて引っ張って、その場から引き離されてしまった。
「そうね、そのあたりは感覚の違いがあるかもしれないわ。白鷺についたら、お茶をしながらゆっくりとお話ししましょう」
セイレアがにこりと笑い、フィルはこくりとうなずいた。




