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報酬と、そして

 報酬の額に唾を飲んだフィルの目前で、ヴァレリスとセリウスはなおも会話を続ける。


「あとは何か、金銭以外にもこちらから便宜を図るような形で報酬に代えるというのはどうだ。仕事の内容的に、表立って名誉を与えるのは難しいが……」

「あの辺り、カルデンから水の領境への道や駅の整備を優先するとかはどうです? 水領まで頻繁に行商に出かけるなら、交通の便は大事でしょう」


 エルンがにっこりと笑った。


「セリウス殿、お気をつけください。フィルが断ったとして、それらが本来の優先順位より後回しにされるということはないですよね?」


 セリウスもまたにっこりと笑った。


「誤解を招く表現でしたね。領地全体にかかる交通の整備は、領主館主導で行っています。基本的には順番に、もしくは必要性の高さで順番を決めています」


 ふとフィルは気がついた。


「あの、実は前の火領との婚約破棄以降、火領との道の整備が優先されてるなんてことは……」

「最初の数年はあったかもしれんな」

「火領には魔害駆除を依頼する関係上、ある程度道を確保しておく必要がありますしね」


 ヴァレリスとセリウスが事も無げに言った。


「……」

「そんな顔をするな。グラスリーも他の水領寄りの土地持ちも、自分たちの側を放置されていると感じたら文句を言ってくる。そんなあからさまに偏るようなことはしないし、できん」


 ヴァレリスが宥めるように言ってくる。フィルは小さくため息をついた。……この辺りの力関係なんかも、貴族の勉強をすればわかることなのだろうか。


 フィルにとって勉強といえば、エルンのいる神殿学校に行って習う読み書き計算、生き物や環境の持つ基本の魔力について、それから天と各領の決まりくらいだ。神殿学校に通わせるのは親の義務とされ、学費もかからない。入学する歳と卒業までにかかる年数には子どもによって多少の差があるが、ここを卒業すれば風領の民として、なにかしらの仕事をして生活できるだけの能力があると認められる。

 ただ、領主や貴族の存在については、そこで領の仕組みとして教わるけれど、彼らの具体的な仕事内容については曖昧だ。


 フィルの兄のカイルは領都の外れにある上級学校に通っている。そこは神殿学校よりもっと専門的な知識や法律、魔力についてを学ぶ学校で、卒業すれば領の役人になったり魔力の研究者になったりする道が開ける。騎乗大鷲に乗るのも上級学校で取る資格が必要だ。

 兄の第一志望は大鷲の乗り手だが、平民の魔力量では乗り手は難しいらしい。鷲台に勤める整備士や風路設計も視野に入れていると、兄が前回帰ってきたときに言っていた。


「ふむ」


 うっかり思考に没頭していたフィルは、領主の声にハッとした。


「他になにか、私にできそうなことがあるかな? 褒美という形で衣装などを持ち帰ってもらうのもいいし、先ほど用意したパンはずいぶん気に入ったようであったが。貴族の所作の習得にも乗り気のようだし……ふむ、教育?」


 フィルは気を引き締める。風の属性の本質は移動と、それによって引き起こされる変化だ。風の民の気質もその影響を受け、物や情報を動かして利に替える商人に向いているなんて言われる。その地の領主であるこの方も、やっぱり商人なのだ。商談相手の望みを探り、最も高く売れる条件を見つけ出す。


 思わず唾を飲んだ。やっぱり逃げた方がいいかもしれない、という思いが浮かぶ。今なら先生だっている。私には無理です、絶対口外しませんので家に帰してください、そう言えばそれ以上強制はされないだろう。


 でも。相手の要求に飲まれて、向き合うでもなく無理の一言で逃げるのは、商人としても二流ではないか?


「……昨日と今朝と。大鷲を前にした時のような顔になっていますが、フィル。ちゃんと考えてますか?」


 エルンの声にフィルは思わず振り向いた。エルンは真剣な表情で、フィルの顔をのぞきこんでくる。


「あなたに領の責任を負わせるようなことはしないと領主殿は約束してくださった。けれどフィル、最終的な責任を取る立場ではなくとも、あなたにはウィルフォード殿としての振る舞いが求められる。この仕事を通したあなたの行動で、あなたの未来や他の方の人生が変わる可能性があると言うことを、ちゃんと認識できていますか?」


 フィルはエルンの言葉を噛みしめる。フィルを、カルデン村の子どもたちを教え導くいつもの先生の声だ。

 エルンのこの声が言うことはいつも正しい。子どもたちの挑戦を危険だからと闇雲に止めることはしない人だが、子どもたちがやらかす前にいつも一つ、疑問を投げかけていく。


 それは安全なのか。

 他のやり方もあるのではないか。

 今やろうとしていることは、安全を秤にかけてもやりたいことなのか。

 それでなにが得られるのか。

 勢いは大事だが思考を止めることもないように、といつもそんなふうに言っている。


 フィルももう一度考える。フィルがウィルフォードの影武者をすることは、フィルにとって危険はないのか。それはフィルのやりたいことなのか。成し遂げることで、なにが得られるのか。フィルの行動が、周囲にどんな影響を及ぼすのか。


 目を閉じて、考えを整理する。フィルを心配する母の表情。エルンにフィルのことを頼んだ父の声。大きくなってきたお腹をさする姉と、まとわりつく弟妹。机に置かれたピカピカの銀貨。間近に見た大鷲に目を輝かせるシュルク、そして上級学校の試験に合格した時の、兄の顔。


 最後にまぶたの裏に差し込んだのは、目を焼く光。体を振り回される感覚と、眼前にひらけた風の通り道。


……フィルは深呼吸をすると、ゆっくりと目を開けた。

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