身代わりの報酬
「報酬」の言葉にうっかり前のめりになったフィルを見て、エルンがため息をつく。
「領主殿……」
「エルン師、私はフィルの安全と、権利を守ると言いましたぞ。仕事を受けて報酬が出るなら、それも含めて受けるかどうか決めるのがフィルの権利でしょう」
エルンの今度のため息は大きかった。フィルは一瞬迷ったが、ヴァレリスにしっかりと向き合った。ヴァレリスがうなずく。
「この話を受けてもらえるなら、これから館に滞在してもらい、ウィルフォードの影武者をするための教育を受けてもらう。もちろん直接ヒルデガルド嬢と話す機会は最小限にするが、それでも貴族としての礼儀作法や所作、ある程度の領地の知識は身につけてもらいたい」
フィルはうなずいた。それくらいは当然だろうし、むしろ村でそれらを教わろうとしたら、こちらが授業料を払うような内容だ。
「そうだな、日当として三百シルだそう」
三百……と検討しようとして、はっと気がついた。
「あの、日当とおっしゃいました?」
三百シルといえば一般的な日雇いの日当の三倍である。
「え、それじゃ一月で……」
「大体九千シルですね。訪問日と合わせてキリよく一万シルくらいになりますかね」
セリウスがにこにこと追撃する。フィルはぽかんと口を開けた。もちろんそれくらいの計算は一瞬でできる。けれど、一月ちょっとの稼ぎが一万シルになるという話に実感が湧かない。
ふと、昨日セリウスが家に置いていった銀貨を思い出した。ピカピカと光っていたあの銀貨の額面が、確か千シルだったろうか。
「まあ、それはあくまで日当だ。何事もなく火領一行が帰領したあかつきには、成功報酬を別途払おう。……倍額で一万乗せるのが妥当か?」
「そうですね。いかがですか、フィルさん」
「……は?」
間抜けな声が出た。成功報酬ってどういうことだ。一万乗せると言うのは、火領のご一行にバレずにこの仕事が終われば二万シル持ち帰っていいという意味に聞こえるが。
商人の端くれとして情けないことに、金額に飲まれて呆気に取られていたフィルの表情をどう受け取ったのか、ヴァレリスがやや案じるような様子でセリウスを振り返り、小声で尋ねた。
「足りなかっただろうか」
「安すぎると言うことはないと思いますが。ええと、フィルさん」
「は、はい!?」
衝撃を飲み込みきれていなかったフィルの声は裏返った。
「強引にお連れしたことやご両親に相談する猶予がないことは重ねてお詫びします。ですが、今の条件はいかがでしょう。もし前向きに考えていただけるなら、色々とご相談させていただきますが」
「ご相談」
まだこの上があると言うことだろうか。もう十分ですと遠慮しかけて、すんでのところで商人の部分が踏みとどまった。高く買ってくれると言うならあえて値引く必要はない。
いやしかし、あまり適正価格から離れすぎるのも今後の付き合いに差し障るものだ。……しかし今後の付き合いってなんだ。こんな取引は一回きりだろう。
とはいえフィルが風領の民である以上、領主様との付き合いは今回のように直接的と言うことはないにせよ継続するものだし、今後の付き合いで間違ってないような気もするが。
そもそも適正価格っていくらだ。日当と危険手当、おそらく口止め料も込みとして……。日当とは言っても家に帰れず拘束時間が一日中というのも考慮すべきか。しかし、貴族の館で礼儀作法を教えてもらうとか、それ自体が報酬のようなものだ。
そこでハッと気が付いた。
「あの、滞在している間の食費とかってお支払いする必要は……」
今度はヴァレリスとセリウスが呆気に取られたような顔になった。
「……フィル、私が口を出すことではありませんが、流石にそこは向こう持ちにしてもらっていいのでは。というかこの状況で報酬から生活費を天引きするという条件ならそれ以上聞く必要はありませんよ。さっさと帰ります」
エルンが額を押さえながら言うのに、ヴァレリスがくつくつと笑う。
「いや、条件をしっかり確認するのは大事なことだ」
「フィルさん……昨日、身の回りの品などはこちらで用意するとお伝えしたと思いますが……。着の身着のままで呼んでおいて挙句に報酬から実費を徴収したらほとんど詐欺では。カルデンでそんな悪徳な求人などはまかり通っていないですよね?」
セリウスが呆れ顔から、次第に心配そうな顔になる。フィルは大変気まずく首を振った。
「うちの周りでそんなことあったらすぐに噂になります……。大きい家や村営の牧場では毛刈りの繁忙期とかに流れの人を雇ったりはありますけど、住み込みで賄い付きとかの条件は最初から賃金とは別で提示されてます……」
「そうですね。少なくとも私が赴任してから、その手の訴えは聞いたことがないです。まあカルデン村やその周囲では、繁忙期の臨時雇いの方々も大体毎年決まった方やその紹介ということが多いですので」
「なるほど」
セリウスが帳面を取り出してなにやら書きつけた。ペンをしまうと再度フィルを見る。
「フィルさん、この話がまとまった際には、具体的な仕事の内容は伏せた状態にはなりますが、ちゃんと労働の契約書をエルン師の立会いのもとで作成しましょう。あなたに不利な状態が起きないよう、ちゃんと手続きをさせていただきます。その上でどうでしょう。日当五百シル、四十日計算で二万シル。火領の方々が疑いを持たずお帰りになられた際には成功報酬として追加で一万シルお支払いするという条件でいかがでしょうか。もちろん、その間の生活費、何か必要になった際などの出費は、全て領主館で持ちます」
なんかさりげなく金額が上がっている。フィルはゴクリと唾を飲み込んだ。




