未来への取引
「先生」
まずは、隣のエルンに呼びかける。
「はい」
「……自分の行動によって、自分や他の人に影響が出るのは、村で普通に生活してても起きることですよね」
エルンは瞬きをする。
「もちろん、それはそうです。私たちは共に生活する中で、互いに影響を与え合うものですから」
「でも、私が領主様や貴族様から影響を受けられるのって、今回が唯一の機会かもしれません」
エルンが首を傾げる。
「それは分かりませんよ、フィル。あなたが大人になったとき、どこでどんなふうに周囲に影響を与える人間になるかは、まだ未知です」
「まあ、理想はそうなんですが」
理想というか建前というか。フィルは肩をすくめた。
「先生はいつも、世界のことを学ぶように言いますよね。……ここでの経験は、私の世界を広げると思います」
エルンはふむ、とわずかに考えるような間をとった。
「あなた自身がそのように判断したのなら、普段であれば、私はそれを見守るだけです。ただ、今回はあなたの両親からあなたの安全と権利を預かっています。……念のため、私の考えをお伝えしますが、ご両親が同席してここまでの話を聞いていたら、やめるように言うと思いますよ」
「そうでしょうか」
エルンがうなずく。
「今回の話は、明らかにご両親の手に収まる話ではないからです。危険をはらむ、そこへ子を送り出すご両親とは思いません」
「……でも先生は、この話を聞いたのが村だったとして、親が反対した時に私が応援してくれと言ったら、応援してくれるんじゃないでしょうか」
「そう思いますか?」
「広い世界を見に行こうとする生徒のこと、先生はいつも応援してくれますから」
エルンが苦笑する。
「それが天の教師の務めではありますね。……フィルは、ご両親の説得を望みますか?」
「心配をかけるのは、やっぱりいやなので」
エルンがゆっくりとうなずいた。そしてヴァレリスとセリウスに向き直る。
「セリウス殿。フィルのカルデン村との行き来は控えてほしいということでしたが」
「機密保持、そしてフィルさんの安全のためにもそれが最善と思います」
「私が……そうですね、五日に一度ほど、様子を見にくるのは可能でしょうか」
「構いません。大鷲で直接おいでになりますか?」
「使わせていただけるのであれば、ぜひ。フィルがご両親と手紙などのやり取りをするのは?」
「……構いませんが、出す前に内容を検めさせていただきたい。もちろん勝手に改竄などはしません、問題があったときはフィルさん自身で書き直してください」
「ご両親にはどのように……どこまでお伝えしていいでしょうか」
ふむ、とヴァレリスが首をひねった。
「部分的にというのも却って難しいな。詳細は伝えられないが、私直々の依頼であること、フィルの容姿が条件だったのであって、難しいことはさせないこと。館で所作など教えること、最大で来月半ばまで館で預かること……」
そこでヴァレリスはニヤリと笑った。
「報酬についてと、生活費は館持ちであることも伝えてもらって構わない」
「……」
先ほどの生活費云々をからかわれたのだろうか。でも多分フィルの両親も似たようなことを心配すると思うからそれは必須だと思う。
「報酬については全部伝えますか?」
セリウスの発言にフィルは首を傾げる。
「全部?」
「例えばですが、フィルさんにへそくりしたいなどと意向があれば」
多少茶目っ気の混じった提案に、フィルは苦笑して首を横に振った。
「金額が大きすぎて私の手には余るし、伝えないと家族がひっくり返ると思います。どっちかと言えば支払い方法の方が気になります。エルン先生というか、神殿にいったん預かってもらうとかって……」
エルンも苦笑した。
「フィルもご家族も大金に羽目を外すとは思いませんが、防犯やご近所の目もありますからね。神殿で一度お預かりして、例えば月ごとに定額でお渡しするという形にもできます。あと、必要な時にまとまった額を受け取ることができるように、条件を決めておくといいと思います」
「なるほど」
さて、とヴァレリスが姿勢を正した。
「ではその条件で、これから一月半、息子になってもらえるかな?」
フィルもまた、姿勢を正す。
「……あと一つだけ、追加してもよろしいですか?」
「まずは聞こう。やはりへそくりが必要か?」
「ある意味へそくりかもしれません」
フィルは真面目くさって言った。
「私がこの後、上級学校への進学を希望した際に、奨学金を頂くことはできるでしょうか」
エルンがフィルを振り返り、セリウスが瞬きをする。ヴァレリスが首を傾げる。
「奨学金でいいのか? 報酬に、学費分を上乗せするのではなく?」
「ええと、まずは試験に受かるかが大問題でして。家族とも相談しなきゃですし」
「それはそうだな」
「試験には実力で合格していただかないとですね」
納得するような二人の声と、エルンが首を傾げてフィルを見た。
「ご両親との相談はもちろんですが……フィル、私は今まで、あなたが進学を考えているとは知りませんでしたが」
「半分は、今、思いついたので……」
もし、もう一度鷲に乗って、あの風景が見れるなら。
誰かに乗せてもらうのではなく、自分の意思で、鷲と飛ぶことができたなら。
九歳のあの日、ここからならトビヘビのように飛べるんじゃないかと、スズナリの枝から風を見下ろした時の気持ちを思い出す。
「まだ兄も進学したばかりですし、二人分の学費はやっぱりうちではちょっと大変だと思うんですが、先にその額をもらっちゃったら、何かのときに使っちゃうかもしれないし」
ふむ、とセリウスがうなずいた。
「それでしたらフィルさんが無事に合格した時には私が後見になりましょう。奨学金の手配もしますし、あなたが優秀な成績を収めるようなら個人的に出資してもいい」
ヴァレリス様では大袈裟になりますしね、とセリウスが言った。
「そちらも証文にして、フィルさんに直接渡しましょう」
「……ありがとうございます」
「いえいえ、優秀な後輩は歓迎します。試験、頑張ってください」
「はい」
「では後は私の領分ですね」
さらりとエルンが引き取った。フィルは振り向く。エルンの笑顔はまぶしかった。
「あなたの熱意に私は感嘆しました。この仕事を終えたら、試験対策も含めしっかりと勉強しましょう」
一瞬だけ、早まったかもしれないという思いが過ぎったが、慌てて逃げ腰な考えを振り払う。エルンの指導は進学に対する何よりの応援のはずだ。
「……よろしくお願いします」
では、とヴァレリスの声がした。
「その条件も問題ないな。……それでは改めて頼むぞ、息子よ」
フィルはヴァレリスを見て、しっかりとうなずいた。
「承ります」




