属性の消失
思わず大声を出したフィルは、さすがに無作法が過ぎると慌てて口を塞いだ。だがヴァレリスもセリウスも、フィルの無作法をとがめる余裕もない様子である。エルンも呆気に取られているようであった。
「熱が下がった後、セルマ師は再診察をなさらなかったのでしょうか?」
エルンが尋ねた。
「むろん、セルマ師からは容体を確認したいと申し出があった。……だが、なにぶん色が抜けてしまったことに私や周囲、なにより母のレイネシアが動揺して……
とても、外部の方に会わせられる状況ではなかったのだ」
「ウィルフォード様ご自身も熱が下がった後はお元気になられ、寝込んでいた分の体力消耗はあったものの、食欲も戻られ以前と変わらぬご様子であったので……」
セリウスがぼそぼそと補足する。エルンが軽くうなずく。
「お子様が長く寝ついた後、ご様子が変わられていたとなれば親御さんの動揺は理解できます。……ですが、属性が抜けたというのは、どのように判断されたのですか?」
ふう、とヴァレリスが息をついた。
「最初は、風が吹かないと相談をされたのです。なにせ、見た目が明らかに風の属性から外れましたからな。ひょっとするとと思ってはいたのですが」
エルンが難しい顔になる。
「……属性とは単なる魔術の発現種類だけではありません。属性がなければ魔力を体内で巡らすことが難しく、それこそ魔力熱などの症状を引き起こしやすくなります。その後、ウィルフォード殿の体調に変化はありませんでしたか?」
「疲れやすくなるなど、体力が落ちているような様子はあるようです。ただ、発熱のようにはっきりと症状が出ることはありませんでした。レイネシアが心配して、凪咲花や水の領でも魔力熱に使われるという流水藻を取り寄せて、ウィルの不調の時には使用しているようです。実際、それで大きく体調を崩すことなく、この二年過ごして参りました」
ふとエルンが眉根を寄せた。
「流水藻ですか?」
「ご存知ですかな? 風領で魔力熱の子どもの熱を下げるのに凪咲花を利用するように、水領では魔力熱の時に流水藻を入れた水を枕元に置くという事ですが」
エルンがうなずく。
「風領の凪咲花のように、水領で用いられる魔力吸収植物ですね。魔力過多で起きる魔力熱の時、魔力を吸わせることで魔力の蓄積を減らしたり、魔力排出の流れを作ることで症状が改善しますが……ウィルフォード殿は、魔力熱以前には水の属性があったのですか?」
「髪に青色が出ていましたし、母が水属性ですので、水混じりではあるだろうと言われていました。ただ水の魔術を使ったりはしなかったので、あくまで主な属性は風なのだろうと」
「魔力熱の後に、神殿の者は判定をしていないのですね?」
ヴァレリスがうなずく。エルンは少し考えるようにうつむいた。
「この発言はフィルの保護者としてでなく、一天氏族としてですが……領主殿のお子様とあれば属性に絡む様々な要因が存在すると推察します。ですが、できれば一度、神殿で状態を確認させていただきたく存じます。この国で生きている人間の属性が単純に消失するとは考えにくく、正確な状態の把握は天神殿としても、また、ウィルフォード殿の今後の健康や成長のためにも必要なことと考えます」
ヴァレリスが苦笑する。
「天のお方が知ればそうおっしゃるだろうと思っていた」
「セルマ師は優秀な方ですし、領都の神殿に派遣される者は四領の事情にも通じ、接し方も身につけています。一方的にご子息の状態を天神殿の都合で動かすこともないと思いますが……」
「私もそう思うし、天の方々の使命を軽んじるつもりもない。ただ、風領の領主としては、どうしても時期が悪い」
「時期ですか?」
ヴァレリスは頭を掻く。
「まったくこちらの事情なので少々後ろめたいのですが。……ご存知の通り、私には子が二人のみです。長子のファビアン、次子のウィルフォード。当然私の次の領主はファビアンですが……もし、ファビアンに何かあった際、ウィルフォードも不在となると、統承が途切れる」
「ファビアン殿の次代の資質を問う声などは、神殿において聞いた事はございませんが」
エルンの言葉に、ヴァレリスが顔をほころばせた。
「天のお方にそう言っていただけるなら一安心ですな。……ただ、領主という役目上、どうしても『替え』というのは意識せざるを得ません」
エルンは軽く一礼した。
「各領の皆様が領主のお役目を果たされることに、天神殿としても感謝と尊敬を抱いております」
「こちらこそ、天の方々のお役目には常に敬意を払っております。……とにかく、できればウィルフォードを、風領の統承二位にもうしばらく置いておきたい。最低でも一人、ファビアンに子が生まれるまで」
「ファビアン殿は今年成人でしたね」
「そうなのですが、ファビアンの婚約者がまだ十五でして。婚礼は早くて三年後になります」
エルンが再びうつむいた。そしてゆっくりと顔を上げて言った。
「……これは、フィルの保護者としてはもちろん、天の氏族としても領分を超えた発言になるのですが。もう少し年上の方は候補にいらっしゃらないのでしょうか」
途中からフィルは完全に固まっていた。ウィルフォードの病気のあたりから、間違いなくこれは風領の機密情報だという事を察してはいたが、こんな政治だか領主様のご家庭問題を聞かされるとか許容範囲を超えている。
ヴァレリスが難しい顔になり、セリウスが困ったように口を開いた。
「今の風領に、ファビアン様とちょうど年の頃と属性の釣り合うご令嬢が少なく……ファビアン様の婚約者でいらっしゃるアウローラ嬢はグラスリーのご令嬢ですが、彼女が五歳の時からお約束していまして。……これを覆すとなると相当な覚悟と準備が要ります」
そりゃそうだ、とフィルでも思う。五歳ならおそらく本人の意思もはっきりしないうちから結婚を決められていただろうに――そしておそらく次期領主の妻となるために教育も準備も念入りにしてきただろう十五の女の子に、いきなり婚約破棄とか、将来の夫に年上の愛人を持たせるとかいう話になったら、平民同士だってどれだけ賠償が発生するかわからない。そのご令嬢だって傷つくだろう。
そして今グラスリーって言ったか。フィルのカルデン村や周囲の村落はグラスリーの土地にある。普段そんなに地主様の名前を意識しているわけではないが、「うちのお姫さん」が婚約者である領主の息子にないがしろにされたと聞いたら、多分グラスリーの住民のほとんどは良い気はしない。領都向けのルッカ毛をこっそり値上げするくらいはする。
と、ヴァレリスがため息をついた。
「アウローラが属性にも資質にも優れているのも確かでな。彼女とファビアンとの間に丈夫な子が生まれれば、ウィルの立場はだいぶ自由になる」
それもどうなんだ、と呆れついでにフィルは思った。子供が生まれれば、というなら子供が生まれるまではずっとウィルフォードは属性の消失を隠していかなければならないのだろうか。
それにそんな状況では、アウローラだって周囲からの期待と重圧がすごいことになるだろう。
エルンもまた、重々しくため息をついた。
「領分を超えた発言をお詫びいたします。……フィルの保護者としての立場に戻りますと、フィルの具体的な役目とはどうなるのでしょうか。ファビアン殿に子ができるまで、というわけではないのでしょう?」
フィルは思わず顔を上げた。そうだった、影武者というからには自分はウィルフォードとして誰かに接するということだ。
……でも、それって誰に対してなのだろう。
ウィルフォードの属性消失とやらは機密には違いないだろうが、おそらく領主館では共有されている情報だ。ウィルフォードの健在を見せなければいけない相手とは……
フィルの思考をさえぎるように、ヴァレリスが言った。
「ウィルは七歳の時に婚約している」
「は?」
フィルの口から再び声が漏れた。
「相手は火領の三の姫、ヒルデガルド嬢だ」
「ウィルフォード様の三つ上でいらっしゃいますので、婚約成立当時は十歳。今は十五歳になられてますね」
「は?」




