31話 福兎鈴商会 3
私がジェルブ・ドールに帰ってきたのはおやつ時を過ぎた頃だった。
福兎鈴商会のご厚意で、厨房の魔導具に対応したお釜をお借りすることができ、時期を見て御赤飯を炊くことができる。
「コハクちゃん、おかえり」
「ただいまです、女将さん」
「ずいぶんと色々買ってきたのね?」
「女将さんの出産祝いもあるんですよ。元気に赤ちゃんが産まれたら、私の故郷で食べるお祝いの料理を振る舞うので、楽しみにしててくださいっ」
「そこまでしてくれなくていいのに。でもありがとうね」
女将さんは日陰でゆったりとくつろいでおり、様子は安定しているようにも見える。
馬体のお腹は大きく膨らんで、最近では起き上がるのも一苦労という様子で、ジェルブ・ドールの従業員さんやスフル・デュ・クラージュの皆さんで手助けをしている。
もちろん私もだ。
「いえいえ、当然のことですよっ。では荷物を置いてきますね、何かあったらお声掛けください」
「ふふっ、わかったわ。……うっ!?」
私が自室に荷物を置きに行こうとすると、女将さんが苦しそうな声を上げたので、私は大急ぎで振り返って駆け寄る。
「何かありましたか!?」
「ちょっと痛が……い゛た゛っ、ぐっ」
「大丈夫ですか?!えっと、あっと、落ち着け恋白、落ち着け」
苦しみだした女将さんの手を握り、何か異変がないかを確かめると、臀部のあたりから薄っすらと乳白色を帯びた液体が広がり始めていた。
あれが破水ということなら、女将さんは産気を催していることになる。
…まず私がやることは。
「皆さーん、女将さん!女将さんが産気を催しました!分娩の準備が必要です!!…女将さん、大丈夫ですよ。深呼吸しましょう深呼吸、気持ちを落ち着けてくださいね」
「…ありがとう…コハクちゃん」
女将さんが横になるお手伝いをしていれば、ジェルブ・ドールに残っている方々が、出産のための準備を手早く行う。
元々、いつ産気を催してもいいように、ジェルブ・ドール全体で準備をしていたのだ。
「コハクちゃん、早くに気が付いてくれてナイスだよ!」
「運が良かったです。私は何を手伝いましょうか?」
「それじゃあ荷物を置いたら、お医者さんのところに走って。後はフラレールさんと女将のご実家もお願い。場所は―――」
「―――ですね、わかりましたっ。それでは行ってきますっ!!」
邪魔にならない場所に荷物を安置した私は、大急ぎでジェルブ・ドールを飛び出し、各所へと向かう。
―――
私がジェルブ・ドールに戻ると、ヒッポフォロスの女性陣が多く訪れており、これ以上ないほどの賑わいを見せていた。
てっきりジェルブ・ドールの人たちとお医者さん、ご家族で分娩をするのかと思っていただけに驚きだ。
聞いてみれば、ヒッポフォロスの出産は一大事なので、コミュニティの女性たちが協力して行うとのこと。
「私は何をお手伝いしたらいいんでしょうか?」
「あなたはたしか…」
「恋白です。ジェルブ・ドールでお世話になってるんです」
「分娩の手伝いをしたことは?」
「簡単な荷物運びとか、そういうのを故郷で」
「そうねぇ…あの娘は初産婦だから長丁場になりそうだし…厨房での軽食づくりや飲み物の準備を手伝ってちょうだい?」
「わかりましたっ!」
―――
分娩を手伝うヒッポフォロスの皆さんのために、軽食や飲み物を用意し配膳していると、外では夕日がほとんど沈んで夜になろうとしていた。
間を見て女将さんの様子を見に行けば、フラレールさんやご家族に見守られながら陣痛に苦しんでいるようだ。
陣痛の間隔が短くなってきており、そろそろ娩出が始まるのだとか。
「出産が始まりましたよー!先生、お医者先生!」
「今行くよー!これ、片付けといて」
「はいっ」
御歳を召したヒッポフォロスの女性医師は、私に軽食を手渡してから、女将さんの許へと駆けていく。
それに釣られるように、お手伝いに来ていた方々も追いかけていき、廊下から様子を伺っている。
私も駆けつけたい気持ちはあったが、ヒッポフォロスの方々は体格が大きく、私が向かったところで部屋の中を見ることは叶わないだろう。
忙しくしていたせいで厨房が散らかってしまっている。
厨房を片付けながら、女将さんと赤ちゃんの無事の出産を祈ろう。
私は元少女巫だ。明蝉国ではないけれど、麗天様が見守ってくれるかもしれない。
―――
「おんぎゃぁあ、おんぎゃぁあ!」
娩出が始まってから一時間ほど。
ヒッポフォロスの皆さんが沸き立つ声が聞こえたかと思えば、赤ちゃんの産声がジェルブ・ドールに響き渡り、新たな命が誕生したのだと理解する。
お手伝いに来ていた方々は、生まれたての赤ちゃんを遠目で確かめると安堵し、食堂に戻っていくと軽食とお酒を片手に談笑を始めた。
私は、戻ってくる方々と入れ替わるように女将さんの許へ行くと、柔らかそうなお包みに包まれた赤ちゃんがおり、まだ元気に泣いている。
「ヒッポフォロスの赤ちゃんって、結構大きいんだ」
「エラフォロスからは大きく見えるのかな?」
気が付くと私の隣にはアルセルさんが立っており、目を細めて赤ちゃんを眺めていた。
「こんばんは。…エラフォロスと比べると大きい気がしますね」
「こんばんは、ミセス・ピルグリム。そうか、あの小さく必死な命は、君からしたら大きいのだね」
アルセルさんは楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、食堂へと向かっていく。
赤ちゃんを抱いた女将さんは、疲労を色濃く露わにしながらも、その表情には幸福が宿っているようだった。
女将さんに抱かれて落ち着き始めた赤ちゃん。
彼女の名前はマルグリット。真珠を由来に持つ植物の名前らしい。
私は、自身の胸に着けている玉鈴の真珠飾りに触れてから、食堂に戻ることにした。
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