35話 準備時間 3
ラバン・シュタールさんが紅陣営に戻った後、こちらも戻ろうかと踵を返せば、クスクスと笑い声が耳に届く。
「クランリーダーから何も言ってもらえないだなんて、可哀想ではありませんか?野蛮女さん?」
「そうですよねぇ、やはりシュタール家に泥を塗った方は違いますね」
「…チッ」
明確な悪意を感じ取った私は、ノクサラさんがシュトラーレンゾンネを離れた原因の一つがこれなのだと納得し、手を引こうとしてみた。
けれど彼女は、動こうとはせずに相手を睨めつけている。
そういえば、キンキラ男さんであるジークヴィンさんともこんなやり取りをしていたんだった。
「アローズになにかご用ですか?」
「ヒッポフォロスのおチビちゃんは黙っててちょうだい」
「大きな独り言だったようですし、私たちは戻りますか」
「そうしましょう」
私とアザレアさんで、ノクサラさんの手を引こうとしたのだが、不服そうな表情で手を振りほどかれてしまう。
「アタシのことをとやかく言うのも十分クソだが、うちのリーダーを貶すのは許せねえ。こいつはエラフォロスで、歴とした成人だよ」
「はぁ…?だからなんだというの?…正直、ヒッポフォロスだろうがテリアントロポスだろうが、皆等しく同じく非アントロポスよ」
すごい。かなりの差別発言だ。
そういえば初対面の時のノクサラさんにも、とんでもないことを言われた気がする。
あれは酔っ払った際に自制が効かなかったのが原因だろうが、一応、今後は悪酔いをしない飲み方をしてもらおう。
「まぁでも、裏切り者のノクサラにはそちら側の方がお似合いかもね、『落ち目』さん。馬の毛皮でも貼り付けたらどうかしら?クスクス」
「クソくらえアバズレ女、興奮で毛穴が開きっぱなしだぞ。…はぁぁぁ、シュトラーレンゾンネなんかを出ていったのは、やっぱ正解だったわ」
ノクサラさんは、あまり良くないハンドサインをしてから、踵を返して蒼陣営に戻ろうとする。
シュトラーレンゾンネの全員が、ノクサラさんに対して当たりが強いわけではないのかもしれない。
それでも頻繁にこういった言い争いがあるのなら、抜けたくなるのも理解できる気がする。
これ以上の長居は私も気分が良くないので、ノクサラさんの後を追おうとしたのだが、ノクサラさんに突っかかってきた人間種さんは、自分で喧嘩を売ったのにも関わらず言い返されたら憤慨し、腰に佩いていた剣に手を伸ばした。
「…はぁ。……『ウッドピラー』」
私は弓と矢を手に取りながら振り返り、縮地で距離を詰めてきた相手の足元にウッドピラーを作り出して打ち上げる。
勢いよく吹き飛んでいった人間種さんに狙いを定めた私は、彼女の手に持っている剣を射ち、無理やりに手放してもらう。
まさか対処されるとは思っていなかったのだろう。着地を取ることもできず、地面を転がっていった人間種さんは目を丸くしている。
「いくらルーシッド・エデンの中とはいえ、ノクサラさんを害そうというのは許せません。…人と人との問題ですし、折り合いのつかないこともあるとは思うんですけど、少し冷静になりませんか?」
「このッ、周りに恵まれただけの馬畜しょ―――むぐっ!?」
「はーい、ストップ。キミたち何やってんの?」
バサリと黒翼を広げ縮地の勢いを殺しながら、地面に転がる人間種さんの口に靴をねじ込んだのは、ジネストラさんだった。
「我輩はいつも言っているだろう……しょうもない喧嘩するんなら、配信者としてエンタメに昇華しろとな!そして、配信上で流せないような内容なら、オフでもやるなと!……我々は人気取りの水物商人であり、下手を打てば大手支援者からの支援を打ち切られる可能性だってあるのだよ。それなのに、やれ種族だ、やれ派閥だ、だの全くもって下らん。キミたちは政治活動家でも目指しているのかね?」
不機嫌そうなジネストラさんは、人間種さんの口から唾液で汚れた靴を引き抜くと、眉をひそめながら何かを探す。
「ハンカチ使います?」
「いや、さすがに汚いから、気持ちだけ受け取っておく。ありがとう、コハクさん」
「ジネストラ!よくも私の口に不潔な靴をねじ込んでくれましたね!?」
「悪いとは思っているが、この神聖なる会場に似つかわしくない言葉が吐き出されそうになっていたのでな、謝罪の一切はないと思うがいい!ワハハハッ!」
靴を振り、唾液を落としたジネストラさんは、ノクサラさんに向き直る。
「袂を分かちし銀眼よ、…同世代として、付き合いの長い友人として君には思うことが多くある。けれど、キミはキミの選択の先に、コハクさんとの道を見出したのだろう?…ならばすることはなんだ?これらに口汚い言葉を浴びせて、自身を守ってもらうことか?…それならばお笑い草だな、ノクサラ・“シュタール”」
「…チッ、わかってるよ」
「ならば行動で見せてみろ。キミが相対するべき者たちは、キミの首を掻っ切らんと今この時にも牙を研いでいるのだぞ、クックック…ワーッハッハッハ!」
魔力で作られた黒翼を大きく広げたジネストラさんは、お芝居のような姿勢をしばらく維持してから、ノクサラさんに突っかかってきた面々と姿を消す。
ノクサラさんは、私に顔を向けたのだが、バツの悪そうな表情を露わにしてから、顔を背けてしまった。
「悪い。…コハクだけを見とくわ」
「そっぽを向いてですか?」
「今はちょっと…恥ずかしいから」
「そうですか。…えいっ!アザレアさん、そっちです!」
「わかりました!」
私とアザレアさんで、ノクサラさんの顔を覗き込もうとしたら、盛大に怒られてしまった。
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