↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は暴君のまま、騎士団長を犬にした~わかりにくい暴君の恋~  作者: チュチュ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/20

兄を殺したのは俺だ


その資料は、宮廷書庫の奥深くに眠っていたものだった。古い反逆罪の記録を整理していた文官が、偶然見つけ出したという。もともとは、別件の調査のついでに紛れ込んだ書類だったらしい。


俺のもとに届いたその写しに目を通した瞬間、指先が冷たくなるのを感じた。五年前、反逆罪で処刑されたひとりの騎士――ケインの兄、アレク・レーヴェンハルトに関する記録だった。


当時の証言記録には、不自然な点が複数あった。密告者の証言は曖昧で、物的証拠と呼べるものはほとんどない。今読み返せば、誰の目にも冤罪だとわかるような、粗雑な裁きだった。当時の宮廷は、疑わしきは罰する、という空気に支配されていた。誰かを疑うことでしか、自分の身の安全を確保できない時代だった。


当時、俺はまだ前世の記憶を持たない、ただの暴君だった。誰かを疑い、誰かを罰することでしか、自分の立場を保てなかった。アレクの処刑も、その延長線上にあったはずだ。詳しい経緯までは、正直なところ、俺自身の記憶にも定かではなかった。あの頃の俺にとって、処刑の裁可を下すことは、日常の一部でしかなかったのだと思う。


だが記録は、はっきりとそこにあった。最終的な処刑の裁可を下したのは、他でもない俺自身だった。書類の末尾に押された印章が、それを何よりも雄弁に物語っていた。


*


その資料の存在を、俺より先に知ったのはケインだった。文官の一人が、良かれと思って彼に伝えてしまったらしい。


執務室に現れたケインの顔は、これまで見たどんな表情とも違っていた。怒りでも、悲しみでもない。もっと深く、静かな何かだった。


「陛下」


「……読んだのか」


「はい」


短いやり取りの後、沈黙が落ちた。俺は何を言うべきか、言葉を探した。だが、どんな言葉も、この状況にはふさわしくない気がした。


「兄は、無実だったのですか」


「……その可能性が高い」


「可能性、ではなく」


ケインの声が、低く、鋭くなった。


「陛下は、当時の裁可を下した本人のはずです。真実を、ご存知のはずだ」


俺は答えられなかった。五年前の記憶は、今の俺にとって、他人の人生のように遠い。だが、それを言い訳にするつもりはなかった。


「兄を、返せますか」


その問いに、俺は言葉を失った。


「返せるなら、どんな手段でも構いません。領地でも、地位でも、命令でも構わない。兄を返してください」


「……それは、できない」


「そうでしょうね」


ケインの声には、もう怒りすら残っていなかった。ただ、乾いた静けさだけがあった。


「では、せめて教えてください。なぜ、兄は処刑されたのですか。陛下は、本当に真実を知らなかったのですか。それとも――」


「知っていた」


俺はその言葉を、自分でも驚くほど平坦な声で口にした。


「詳細までは覚えていない。だが、疑わしい証言だけで人を裁くことに、何の躊躇もなかった時期があった。お前の兄も、その一人だったはずだ」


ケインの拳が、微かに震えていた。


「つまり」


「……殺したのは俺だ」


その一言を口にした瞬間、執務室の空気が、完全に凍りついた。


ケインは、しばらく何も言わなかった。ただ、俺をまっすぐに見つめていた。その目には、憎しみとも、絶望ともつかない、深い何かが揺れていた。


「詫びるつもりはない」


俺は続けた。


「詫びて許されることではない。詫びれば、俺の罪が軽くなるわけでもない。だから、詫びない」


「……それが、陛下なりの誠実さだとでも言うのですか」


「そうは言わない。ただ、事実だけを話した」


「兄は、最後まで陛下に忠誠を誓っていました。それでも、疑わしいというだけの理由で殺されたのですか」


「そうだ」


「その言葉一つで、人の人生が終わったということを、陛下は理解しているのですか」


「理解している」


「理解していて、なお、その立場に居座り続けるのですか」


「居座る。それ以外に、今の俺にできることはない」


ケインは長い沈黙の後、静かに背を向けた。


「失礼します」


それだけ言って、ケインは執務室を出て行った。振り返ることはなかった。扉が閉まる音が、いつもよりずっと重く響いた。


一人残った俺は、資料の写しを手に取ったまま、動けずにいた。これまでの嘘や沈黙とは違う。今回だけは、誤魔化しようのない、俺自身の過去の罪だった。


暴君であり続けることを選んだのは、他ならぬ俺自身の意志だ。だが、その選択の裏で、こうして誰かの人生を、取り返しのつかない形で壊してきたのだという事実から、俺は目を逸らし続けてきたのかもしれない。前世の記憶を得てから、ケインを守ることばかりを考えていた。だが、守る以前に、俺はすでに、この男から大切なものを奪っていた。


赦されるとは思っていない。赦されるべきだとも思わない。それでも、この事実を告げたことだけは、間違いではなかったと、そう信じるしかなかった。


窓の外はすでに暗く、宮殿の灯りだけが静かに揺れていた。俺はその夜、一睡もできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。