人質という名の護衛
領地の一件から半月が過ぎていた。皇都に移り住んだレーヴェンハルト家は、与えられた屋敷でひっそりと暮らしていた。俺はその報告を毎日受け取っていたが、ケインにはまだ、屋敷を訪ねることさえ許していなかった。あの夜以来、ケインは執務室での必要な会話以外、ほとんど口を開かなくなっていた。三歩の距離だけが、以前と変わらず律儀に守られていた。
その日、俺は新たな命令を下した。表向きには、何の脈絡もない唐突な命令だった。
「レーヴェンハルト家の屋敷に、監視をつける」
執務室に呼び出されたケインの顔が、瞬時に強張った。だがその表情には、これまでのような単純な怒りだけではない、もっと複雑なものが滲んでいた。
「……監視、ですか」
「昼夜を問わず、屋敷の周囲に人員を配置する。出入りする者は、すべて記録させる」
「陛下」
ケインの声には、戸惑いと苛立ちが入り混じっていた。
「先日、あの領地の一件をお伺いした時、私は少しだけ、陛下を信じかけていました。理由は語らずとも、何か考えがあってのことなのだと」
「……」
「ですが、これはどういうことですか。家族を、あの土地の件で守ってくださったのではなかったのですか。それなのに、今度は監視をつけると仰る」
「そうだ」
「あなたのしたいことが、わかりません」
ケインの声が、初めて明確に揺れた。
「地位を奪い、領地を奪い、今度は家族まで見張ると仰る。守ってくれたんじゃなかったのか。それとも、あれもただの結果論で、私が勝手にそう解釈しただけなのですか」
「解釈は、お前の自由だ」
「これを、どう受け止めたらいいんだ……」
ケインは、ほとんど独り言のように呟いた。俺はそれに答えず、ただ黙って視線を合わせ続けた。ここで動揺を見せるわけにはいかない。
「命令は変わらない。屋敷の門には、常に俺の兵を配置する。家族の誰であれ、屋敷から出ることは当面禁じる」
「妹は、まだ十七です。友人に会うことも許されないのですか」
「許さない」
ケインの拳が、机に叩きつけられた。
「これは、もはや保護ではありません。監禁です。あなたは、罪もない私の家族を、牢の中に閉じ込めようとしている」
俺は書類から目を離さなかった。ここで動揺を見せるわけにはいかない。
「陛下は、いったいどこまで私から奪えば気が済むのですか。地位、領地、自由、そして今度は家族の自由まで。次は何を奪うつもりですか」
その問いに、俺は答えなかった。答える必要はない、と自分に言い聞かせた。
「……もう、何も言いません」
ケインの声から、怒りの熱が急速に引いていくのがわかった。代わりに残ったのは、深い疲労と諦めだった。
「陛下のなさることに、いちいち理由を求めるだけ、無駄なのでしょう」
その言葉は、これまでのどんな怒声よりも、俺の胸に深く刺さった。
「下がっていい」
俺はそれだけ言った。ケインは一礼し、何も言わずに執務室を出て行った。
*
執務室を出たケインは、そのまま自室にも戻らず、しばらく宮殿の回廊を歩き続けていたらしい。後になって、それを聞いたのは他でもないダレンからだった。
「団長、あの後ずいぶん荒れてましたよ」ダレンは後日、そう俺に――正確には、俺の耳に入るように、わざと大きな声で近くの文官に話していた。「妹さんのことまで持ち出されちゃ、そりゃ誰だって頭にきます」
その話を伝え聞いた時、俺は何も言わなかった。ただ、屋敷の警備計画を、もう一度見直した。ケインの妹が標的にされるという記憶の断片が、どうしても頭から離れなかった。
*
その夜、俺は密かに、屋敷の警備担当を呼び出していた。
「配置する兵は、近衛の中でも最も練度の高い者たちを選べ」
「畏まりました。しかし陛下、単なる監視に、それほどの練度は――」
「これは監視ではない」
俺は言葉を切った。担当官が息を呑む気配がした。
「屋敷に近づく者を、すべて排除しろ。招かれざる客が来た場合は、容赦するな」
「……承知いたしました」
「誰にも言うな。表向きは、あくまで監視だ」
担当官は深く頭を下げ、何も問わずに退室していった。この国で長く仕えてきた者ほど、皇帝の命令に理由を求めない。それが、俺にとっては都合が良かった。
一人残った俺は、窓の外を見つめた。原作の記憶が正しければ、この時期、レーヴェンハルト家の誰かが何者かに狙われることになっている。詳細までは思い出せない。誰が、どんな手段で、どこから侵入するのか――記憶は曖昧なまま、断片的にしか蘇らない。だが、狙われるという事実だけは、はっきりと記憶に残っていた。
思い出せない以上、俺にできることは限られていた。屋敷を要塞のように固め、誰も出入りできないようにする。多少の反発を買っても、それが最も確実な方法だった。
ケインには、この理由を話すことはできなかった。話したところで、信じてもらえるとは思えない。それに、これ以上あの男を巻き込みたくなかった。ただでさえ、これまでの仕打ちで、あの男の中の何かはすでに擦り減っている。
監視という名の、誰にも知られない護衛。それが今、俺にできる唯一の方法だった。
窓の外で、月が雲に隠れていく。屋敷に向かう兵たちの足音が、静かに遠ざかっていった。俺はしばらくその音に耳を澄ませ、やがて静かに窓辺を離れた。




