語られない理由
領地没収から十日が経っていた。ケインは相変わらず三歩の距離を保って俺の後ろに控えていたが、その距離は以前とは違う質のものに変わっていた。言葉を交わすことも、必要最低限に減っていた。宮廷の空気も、あの謁見の日を境に、どこか張り詰めたままだった。
その日、俺のもとに一通の密偵報告が届いた。国境沿いの反乱分子の動向をまとめたものだった。報告には、反乱分子の一部がかつてレーヴェンハルト領の外れに拠点を築こうとしていた痕跡があったこと、しかし土地の接収と同時にその動きが急速に消えたことが記されていた。俺はそれを一読し、記憶にある原作の展開と照らし合わせる。時期も、場所も、ほぼ一致していた。
読み終えた報告書を、俺はそのまま文机の引き出しにしまい込んだ。誰にも見せるつもりはなかった。これを表に出せば、俺がなぜあの土地を没収したのか、その理由の輪郭が誰かに見えてしまう。
同じ頃、ダレンが独自に集めた情報を持って、ケインの部屋を訪れていた。
「団長。妙な噂を聞きました」
「……妙な噂?」
「レーヴェンハルト領の周辺で、不穏な動きがあったらしいんです。反乱分子が、あの土地を拠点にしようと計画していたとか」
ケインの表情が、微かに強張った。
「いつの話だ」
「ちょうど、団長の領地が没収される少し前です。陛下が接収した直後、その計画自体が立ち消えになったとも聞きました」
「……確かな話なのか」
「俺の伝手で集めた話なので、確証とまでは言えません。ですが、複数の筋から同じ話が出ています」
ケインはしばらく黙り込んでいた。ダレンが持ってきた情報は、まだ断片的で、確証と呼べるものではなかった。それでも、無視できない符合だった。
「……偶然、か」
「俺には、とてもそうは思えません」
ダレンの声には、戸惑いが滲んでいた。皇帝を信じるくらいなら竜の卵を温める方が現実的だと言っていた男が、今は違う可能性を口にしている。
「団長、まさかとは思いますが」
「まだ何とも言えん。だが、確かめる必要はある」
ケインは静かに立ち上がり、上着を羽織った。ダレンがその背に何か言いかけたが、結局それ以上は続けなかった。
*
その夜、ケインは執務室に俺を訪ねてきた。三歩の距離ではなく、机の前まで踏み込んでくるのは久しぶりだった。
「陛下に、お伺いしたいことがあります」
「言え」
「あの土地の周辺で、反乱の計画があったという噂を耳にしました。陛下が没収した時期と、ほぼ一致しています」
俺は何も答えなかった。ただ、書類から視線を上げ、ケインを見た。
「偶然、とは思えません。陛下は、知っていたのではありませんか。あの土地が、反乱軍の拠点にされる予定だったことを」
「……」
「答えてください」
「答える義理はない」
「陛下!」
ケインの声が、静かな執務室に響いた。三歩の距離を、この男は完全に踏み越えていた。
「私はずっと、陛下のことを、ただの気まぐれな暴君だと思っていました。理由もなく奪い、理由もなく命じる。それだけの人間だと」
「今もそう思っていて構わない」
「ですが、もしこれが事実なら、話は違います。陛下は、私の一族が反逆者として処罰される未来を、事前に知っていたことになる」
ケインの拳が、微かに震えているのが見えた。怒りではなく、もっと複雑な何かだった。
「なぜ、それを黙っていたのです。事情を話してくだされば、私はここまで――」
「話せば、お前は俺を信じたか」
その問いに、ケインは詰まった。
「俺の考えを語ったところで、証拠もない。ただの妄言だと思われて終わりだ。それなら、黙って結果だけ示す方が確実だった」
「……それでも、私にだけは、話してくださっても良かったはずです」
「お前にだけ話して、何が変わる」
「信頼が、生まれたかもしれません」
俺はその言葉に、一瞬だけ言葉を失った。信頼という言葉が、この男の口から出てくるとは思っていなかった。
「今更、遅い」
「そうでしょうか」
ケインは俺をまっすぐに見つめていた。以前のような明確な怒りは、そこにはもうなかった。代わりにあったのは、答えの出ない戸惑いだった。
「私の一族は、あの土地のせいで反逆者にされずに済んだ、ということですか」
俺は答えなかった。だが、その沈黙こそが、答えだった。
「……そうですか」
ケインは深く息を吐き、それ以上は何も言わずに退室していった。扉が閉まった後、俺はしばらく、その場から動けなかった。
説明しないと決めていたはずだった。理解されなくてもいいと、何度も自分に言い聞かせてきたはずだった。だが今、ケインの去り際の表情が、これまでのどんな反発よりも、深く胸に残っていた。
怒りをぶつけられていた時の方が、まだ楽だったのかもしれない。怒りには、明確な形があった。だが今、ケインの中にあるのは、怒りでも赦しでもない、行き場のない戸惑いだった。それをどう扱えばいいのか、俺自身にもわからなかった。
窓の外はすでに暗く、宮殿の灯りだけが庭を照らしていた。俺は密偵報告の写しをもう一度取り出し、炎にくべた。証拠は残さない。この先も、同じように何かを語らないまま、何かを守り続けることになるはずだった。
それでいい、と俺は自分に言い聞かせた。理解されることよりも、生き延びさせることの方が、今はまだ優先されるべきだった。




