お前と築いていく
反乱の鎮圧から、ひと月が過ぎた。
宰相――ヴァルター・グリムシュタインの身柄は、厳重な監視のもと、法廷にかけられることになった。彼が長年にわたって描いてきた筋書きの全貌は、集められた証拠と、投降した兵たちの証言によって、少しずつ明らかになっていった。先帝の代からの権力の私物化、皇位継承者たちへの謀略、そして今回の反乱の扇動。その罪状は、一人の人間が背負うには、あまりに重かった。最終的な裁きが下るまでには、まだしばらくの時間がかかるはずだった。
俺は、この一件を機に、これまで積み残されてきた過去の清算にも着手した。
疑わしい証言だけで裁かれた者たちの記録を、一つずつ洗い直させた。冤罪と判明した者には、たとえ本人がすでに世を去っていても、正式な名誉回復の詔を出した。密告によって成り立っていた監視制度は、廃止を命じた。恐怖によってではなく、信頼によって国を保つ道を、これから探っていかなければならない。宮廷の反応は様々だった。急激すぎると眉をひそめる者もいれば、ようやく息のできる国になったと、静かに安堵する者もいた。
没収していた領地も、順次、正当な所有者へと返還する手続きを進めた。レーヴェンハルト家の領地も、その一つだった。皇都に留め置かれていた一族も、ようやく元の暮らしへと戻ることが許された。
そして、何よりもまず取り掛かったのが、ケインの兄――アレク・レーヴェンハルトの件だった。
当時の記録を徹底的に洗い直させ、冤罪であったことを示す証拠を集めさせた。時間はかかったが、最終的に、正式な無罪の詔が発布された。名誉は回復され、レーヴェンハルトの家名に刻まれていた汚名は、公式に取り消された。
*
詔が発布されたその夜、俺はケインを私室に呼んだ。灯りを絞った室内には、静かな緊張が満ちていた。これまで幾度となく、この部屋で重い話をしてきた。だが今夜は、これまでとは違う種類の話をするつもりだった。
「お前の兄の件、正式に片が付いた」
「……聞いております。ありがとうございます」
ケインの声は、静かだった。喜びとも、安堵ともつかない、複雑な色をしていた。五年間、ずっと背負い続けてきた汚名が、ようやく取り除かれたのだ。簡単に言葉にできる感情ではないはずだった。
「礼を言われる筋合いはない」
俺は、そう答えた。
「本来、もっと早くにすべきことだった。お前の兄は、俺のせいで、五年もの間、汚名を着せられたままだった。お前自身も、その汚名を雪ぐために、誰よりも忠実な騎士であろうとしてきた。俺は、そのことにすら、長い間、気づいていなかった」
「……」
「許してくれ、とは言わない」
俺は、ケインをまっすぐに見た。
「詫びて済む話じゃない。お前の兄は戻らない。お前が失った五年も、戻らない。それでも、詫びる言葉だけは、口にしたくなかった。安易な言葉で、済ませたくなかった」
ケインは、しばらく黙っていた。
「では、陛下は、何を仰りたいのですか」
「許さなくていい」
俺は、はっきりとそう言った。
「許さなくていい。それでも俺は、残りの人生で返す。お前の兄に対しても、お前に対しても」
執務室に、長い沈黙が落ちた。窓の外では、夜風が静かに木々を揺らしていた。
「……それは」
ケインの声が、わずかに震えていた。
「一生かけて償う、と仰っているのですか」
「そうだ」
「陛下は、皇帝です。この国の頂点に立つ者が、たった一人の臣下のために、そこまで言い切っていいのですか」
「もう、たった一人の臣下ではない」
俺は、そう答えた。自分でも、思っていたよりずっと、率直な言葉が出た。
「お前は、俺がこの国を守るための、唯一の支えだ。政治的な意味でも、それ以外の意味でも」
ケインは、大きく目を見開いた。それから、ゆっくりと、これまで見たことのない、柔らかな表情を浮かべた。
「……随分と、素直になられましたね」
「お前のせいだ」
俺がそう返すと、ケインは小さく笑った。これまで、ほとんど見せたことのない、屈託のない笑い方だった。
「……なら」
ケインは、一歩、俺に近づいた。
「生涯かけて、返していただきます」
その一言に、俺は思わず、言葉を失った。
「……お前がそれを言うのか」
「言わせているのは、陛下ですよ」
ケインの声には、微かな笑いが滲んでいた。
俺は、その顔を見つめながら、ようやく実感していた。この男を守るために、暴君であり続けると決めた日から、ずっと張り詰めていた何かが、少しずつ緩んでいくのを感じる。処刑台の上で、この男に「今日からお前は、俺のものだ」と告げた日から、長い道のりだった。所有することでしか守れなかった男が、今、こうして自分の意志で隣に立っている。
「もう、三歩の距離はいらないな」
「……そうですね。もう、あの距離に何の意味もありません」
ケインが、さらに一歩、距離を詰めた。灯りの落ちた部屋に、二人分の影が重なる。
「陛下」
「名前で呼べ」
俺は、そう言った。かつて、誰にも許したことのない呼び方だった。役職でしか人を呼ばないと、自分自身に課してきたはずの決まりを、今この瞬間、自ら手放す。それは、恐怖政治を支えてきた最後の鎧を、自らの手で脱ぎ捨てるということでもあった。
ケインは、一瞬、息を呑んだ。それから、ゆっくりと、その名を口にした。
「……オルグレン」
その響きが、これまでのどんな言葉よりも、深く胸に染み込んだ。誰にも呼ばせたことのない名前が、この男の声で紡がれる。それだけのことが、これほどまでに胸を揺らすとは、思ってもいなかった。
「……これで、よろしいですか」
「ああ」
ケインは、そう言うと、そっと俺の頬に触れた。その手は、剣を握り続けてきた男のものとは思えないほど、優しかった。長年、戦場と宮廷の狭間で生きてきた男の、不器用で、それでいて確かな優しさだった。
「今夜だけは、陛下ではなく、オルグレンとして、そばにいてください」
「今夜だけ、とは言わせない」
俺は、それに応えるように、ケインの手を取った。
「これから先、ずっとだ」
ケインは、静かに微笑んだ。これまでのどんな表情よりも、穏やかなものだった。
長い夜が、ゆっくりと二人を包んでいった。政治も、玉座も、反乱の後処理も、その夜だけは、遠くに置き去りにされていた。ただ、互いの存在だけが、確かにそこにあった。暴君として生きると決めた男と、その暴君に人情を教え続けた男が、ようやく、対等な場所で寄り添っていた。




