最も近くにいる敵
ミラの死から数日、ケインは休む間も惜しんで調べを進めていた。書庫に残された記録、彼女が最後に接触していた人物、屋敷への出入りの記録。一つひとつを丹念に洗い出していく作業だった。俺もまた、表向きの政務をこなしながら、密かに独自の調査を進めていた。互いに口には出さなかったが、この件だけは、他の誰にも任せられないという共通の認識があった。
「陛下」
ある夜、ケインが執務室に、一枚の紙を手に現れた。目の下には、この数日でできた濃い隈があった。
「ミラが最後に借り出していた記録の一覧です。ほとんどが、先帝の時代の人事に関するものでした」
「先帝の時代?」
「はい。そして、その記録の貸出印には、すべて同じ承認者の名がありました」
ケインは、紙を俺の前に置いた。そこに記されていたのは、見慣れた名前だった。
「宰相の承認がなければ、あの区画の記録には触れられません。つまり、ミラは、宰相の目の届く範囲で、何かを調べていたことになります」
俺は、その名を見つめたまま、しばらく動けなかった。手の中の紙が、やけに重く感じられた。
「それだけでは、証拠にならない」
「わかっています。ですが、あまりにも、状況が重なりすぎています」
ケインの声には、確信めいた響きがあった。
「陛下は、ずっと目を逸らしているように見えます」
「……何をだ」
「宰相が、この一連の出来事に関わっている可能性からです」
俺は、思わず語気を強めた。
「宰相は、父帝の代からこの国を支えてきた男だ。俺が物心つく前から、ずっとそばにいた」
「だからこそ、疑うべきではないのですか」
ケインの言葉に、俺は言葉を失った。
「あなたが俺に言ったでしょう。誰も信じるなと」
その言葉は、まっすぐに俺の胸を突いた。かつて、俺自身がケインに向けて放った言葉だった。それが今、そのまま俺自身に返ってきている。
「……だからこそ、疑いたくない」
俺は、自分でも驚くほど弱々しい声で、そう答えていた。
「兄弟を失い、母を失い、誰も信じられなかった俺のそばに、変わらずいてくれたのは、あの人だけだった。それを疑うことは、俺にとって、最後の拠り所を失うことに等しい」
執務室に、重い沈黙が落ちた。ケインは、しばらく何も言わなかった。
「……そのお気持ちは、わかります」
やがて、ケインが静かに口を開いた。
「ですが、陛下。目を逸らし続ければ、次に失うのは、拠り所ではなく、もっと大切なものかもしれません」
俺は、ケインを見た。その目には、責めるような色はなかった。ただ、真剣な心配だけがあった。
「調べを、続けさせてくれ。俺自身の手で」
「……わかりました。ですが、お一人で抱え込まないでください。それだけは、約束してください」
ケインの声には、押し付けがましさのない、静かな気遣いがあった。俺はそれに、小さく頷くことしかできなかった。
「……わかった」
ケインは、それ以上何も言わず、静かに頷いた。それから一礼し、執務室を出て行った。
一人になった執務室で、俺は宰相の顔を思い浮かべた。幼い日、誰もいなくなった部屋で、静かに寄り添ってくれた、あの穏やかな笑み。兄弟が一人、また一人と消えていくたび、隣で「陛下はまだ、お一人ではありません」と囁いてくれた声。それが偽りだったとは、まだどうしても、信じたくなかった。
机の上に置かれたままの紙を、俺はもう一度見つめた。証拠と呼べるものは、まだ何もない。ただの偶然かもしれない。そう思おうとする自分と、もう目を逸らせないと悟っている自分が、同時に胸の中にあった。
窓の外はすでに暗く、宮殿は静まり返っていた。俺はその夜も、また一人で、答えの出ない問いと向き合い続けた。




