30階目前へと迫る。
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。
なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
あの岩オークは、やはり、ただの個体ではなかった。
皮膚の硬度、魔力抵抗、そして怯みづらさ。
すべてにおいて、並の個体より数段上。
おそらく“特殊個体”……
偶然か、それとも28階層直前の門番のような存在だったのか。
「……やけに硬かったね、あれ」
ユキが息を整えながら、ぽつりと漏らす。
「うん。でも……倒せたわ」
マキは少し笑った。
自分たちの連携が、確かな手応えを残したことが、なにより嬉しかった。
その言葉に、ユキが小さく息を吐いた。
「つまり、運が良かったってこと?」
「違うわ」
マキはすぐに首を横に振る。
「運じゃない。ちゃんと倒せた。連携で崩した。……それは事実でしょ」
エメダも頷く。
「お二人のおかげです。……次は、もっと役に立てるように」
その言い方は、謙遜というより誓いに近かった。
ユキが軽く笑う。
「十分役に立ってたけどね。エメダが引き付けてくれたから、いなかったら絶対きつかった」
「そうそう。魔法唱えながら攻撃避けるとか、こっちが先に折れてたよ」
マキもフォローする。
そのやり取りの中に、戦闘後特有の緩やかな熱が残っていた。
勝利の確認は、言葉にしなければ薄れてしまう。だからこそ、何度でも確かめる。
そうして一同は、小さな勝利の余韻を胸に、
岩の残骸を越えていよいよ28階層へと足を踏み入れる。
*
28階層。
踏み入れた瞬間、空気が変わる。
湿度は低いのに、なぜか重い。音が吸い込まれるように消え、足音だけがやけに明瞭に響いた。
ユキが眉をひそめる。
「……静かすぎない?」
「うん。さっきまでと違う」
マキも周囲を見回す。
罠の気配も薄い。魔物の反応も断続的で、まるで“空白”の中を歩いているようだった。
エメダが小さく地図を確認する。
「この階層はもう少し魔物密度が高いはずです」
「記録通りじゃないってこと?」
ユキの声に、わずかな警戒が混じる。
マキは少し考え、言葉を選ぶように答えた。
「……さっきの岩オークが、全部持ってったのかもしれないね」
ユキが首を傾げる。
「どういうこと?」
「強い個体が“場”を支配して、他の魔物を狩っていた可能性。」
エメダが目を細める。
「つまり……均衡が崩れた状態、ということですか」
「たぶんね」
その言葉に、ユキは小さく肩をすくめた。
「じゃあ逆に不安なんだけど。嵐の前の静けさってやつでしょ、それ」
マキは微笑む。
「似てる。でも、今は進めるだけ進もう。慎重に」
ユキが即座に返す。
「慎重って言う人ほど、だいたい突っ込むよね」
「それは偏見」
「事実でしょ」
短い掛け合いに、わずかな緊張がほどける。
エメダも小さく息を吐いた。
「……こういう空気、嫌いじゃないです」
「物騒な感想だね」
ユキが笑う。
「でも分かる気はする。静かだと逆に落ち着かないから」
マキは歩き出しながら言う。
「じゃあ、ちょうどいいね。何か起きる前に、できるだけ進もう」
三人の足音が、再び一つのリズムになる。
*
29階層。
ここもまた、異様なまでに穏やかだった。
魔物はいる。だが、どれも戦闘を避けるように距離を取る。まるで“この先に近づくな”とでも言いたげに。
ユキが小声で呟く。
「なんかさ……見られてる感じしない?」
「する」
マキも即答した。
エメダが周囲を警戒する。
「視線のような反応はあります。ただ、位置が特定できません」
ユキが顔をしかめる。
「それ一番嫌なやつじゃん」
マキは足を止めずに言う。
「でも、逃げてる感じはある。迎撃じゃなくて、誘導」
「誘導?」
「上に行かせたいのか、止めたいのか……どっちか」
その言葉に、三人の間に一瞬だけ沈黙が落ちる。
ユキが小さく笑った。
「どっちにしてもさ。選択肢ないよね」
「そうだね」
マキも笑う。
「ここまで来た以上、進むしかない」
エメダが静かに頷く。
「30階層が“節目”である可能性は高いです。注意を最大に」
ユキが剣の柄に手を置く。
「了解。で、たぶんそこからが本番ってやつでしょ?」
マキは前を見据える。
暗闇の奥に、見えない扉のようなものを感じながら。
「たぶんね」
乾いた足音だけが続く。
静けさは、優しさではない。
それは、次に来るもののために用意された“間”だった。
そして三人は、その間を切り裂くように、30階層へと歩を進めていく。




