皇妃暗殺 5
ゾフィーの離宮を辞して、フィーアは夕暮れの町を歩いていた。
ハンスから夕食の材料を買ってくるように言われている。肉や香辛料などを買い、店から出てきたときだった。
フィーアは老婆にスカートを掴まれた。
「お恵みを」
突然のことに、一瞬身を引いた。
「お嬢さん、どうかお恵みを」
「困ったわ。お金はコンラートさんから預かっているだけだし」
老婆はフィーアのスカートを離そうとしない。
「——その娘さんを離してくれませんか」
声と同時に金貨が一枚老婆の目の前に落ちた。
振り返ると、ファーレンハイトだった。
老婆は急いで金貨を拾うと、礼も言わずにどこかへ走り去って行く。
「最近は物乞いが増えて困ります。あなたも気をつけてくださいね」
ファーレンハイトはまだ老婆を目で追っている。
「助けて頂いて、ありがとうございます」
「宮廷のごたごたのせいで、経済が停滞しているのです。しわ寄せは、あっという間に庶民に来ます。蓄えのない者はああするしかない」
もっとも・・・。そう蓄えのある者も少ないでしょうが。ファーレンハイトは肩をすくめた。
そう言えば、花屋のフランツも売り上げがだいぶ落ちたと言っていたっけ。
「皇妃様の件で、宮廷内は混沌としています。この機に乗じて、権力を奪取しようとする者ばかりです。皇妃様派と側室派に二分され、大混乱ですよ。せっかく大陸が平定されたのに、これでは意味がない」
「このまま宮廷闘争が続いたら、町はどうなってしまうのでしょうか?」
「そうですね。物乞いがもっと増えるでしょう。庶民に不満がたまり、暴動があちこちで起こるでしょう。乱世に戻ってしまいます」
不安な表情を浮かべるフィーアに、ファーレンハイトは優しく微笑みかける。
「そうならないために、我々がいるのですよ。フロイライン」
本当にこの方は私にお優しい。けれど、私の過去を知ったら態度を変えてしまうのだろう。
奴隷は忌み嫌われる存在なのだから。
「買い物でいらしたんですか?」
「皇妃様の所へ行った帰りです。ついでに夕食の食材を頼まれて」
「ゾフィー様はお元気でしたか?」
「はい」
「べーゼンドルフ閣下は、ゾフィー様の件で心を痛めておいでです。何とかしようと色々な所へ働きかけておいでなのですが・・・。中々お屋敷にもお帰りにならないし、お寂しいのでは?」
えっ!?
フィーアの瞳は大きく見開かれた。
「皆さまお忙しくて、大変ですね」
あえてファーレンハイトの問には答えなかった。
「私も何日屋敷に帰っていないか、分からなくなりましたよ」
笑いながら肩をすくめる。
「閣下のように屋敷に帰る楽しみもありませんから、帰らなくても平気ですが」
今度はフィーアが肩をすくめた。
「今日はお屋敷に帰られますよ。深夜になるとは思いますが」
笑って教えてくれた。
「あまり、嬉しそうではないですね」
「嬉しいって、どういう意味でしょうか?」
この方は、私たちのことを知っているのかしら?
「閣下と愛し合っておいでなのでしょう?」
「ま、まさか。私はただの侍女です」
「嘘が下手ですね。あなたの慌てようを見たらバレバレです」
ファーレンハイトはため息をついた。
「お幸せなのですよね?」
幸せ?
なのだろうか。
「閣下はあなたを愛していらっしゃいますよ」
ファーレンハイトの言葉がフィーアを切なくさせる。
私だって愛している。だから身が引きちぎられそうなのに。
『愛の形は色々ある』とエルンストは言った。
けれどそれでは名門べーゼンドルフ家が途絶えてしまう。私の家が途絶えたように。
本当にそれでいいの?
自分の欲の為に、そんなことをしてもいいの?
ううん、いいはずがない。
抑えていたのに、涙がポロポロと勝手に流れていた。
「フィーア殿」
視線がぶつかった。
大きく見開かれたファーレンハイトのコバルトの瞳はフィーアを見つめている。
「辛い思いをされているのですか?」
「いいえ、いいえ」
首を振る。
そして涙をぬぐう。
「驚かれましたよね。ごめんなさい」
「あなたは本当にお幸せなのですか?」
もう一度聞かれたけれど、フィーアは答えなかった。
「あなたの恋人が閣下でなければ、私があなたを奪っていました」
呆然と立ち尽くすフィーアを残して、ファーレンハイトは夕日の中、姿を消したのだった。




