それは静かな夏の夜 6
夕食を済ませ、すべての仕事を終えたフィーアは自室に戻っていた。
ほとんどの使用人は通いだったが、コンラートにヘレナ、そしてルイーザにハンスは屋敷に自分の部屋を与えられていた。
使用人の部屋は二階部分にあった。
フィーアにあてがわれた部屋は、三階の一番西の部屋だった。二階に空き部屋がなく、もともと倉庫として使っていた部屋が使われた。
三階はエルンストしか使用しておらず、他に来客用の寝室が四部屋程と、今は使われなくなったエルンストの両親の部屋があった。
エルンストは自室近くの来客用の寝室をフィーアに使うよう勧めたが、そこは若い二人。コンラートとヘレナが猛反対した。
『本来ならば、同じ階であることも問題なのですぞ』
コンラートはエルンストに詰め寄る場面もあったとルイーザが教えてくれた。
閉め切っていたせいで部屋の空気は暑く重い。窓を開けると部屋に夜が満たされる気配がした。
元々部屋にあった小型ハープを膝に乗せる。
コンラートに使用許可はもらっていた。
シャラーン。弦を弾くと子供の頃に良く歌っていた故郷の歌を奏でる。そして静かに歌い出す。
懐かしさが込み上げてくる。
忘れることなんて無理。こうなる前の十数年間は幸せだったのだから。
わが身を呪いたくなる。
両親が殺されそうになった時、何も出来なかった。ただ怯えて、『逃げなさいっ』ていう父の声が私の背中を押した。
後ろを振り返らずに、走った。
けれど、結局捕まってしまったのだわ。
逃げずに、両親と一緒に死んでしまったほうが良かったのだと、今更ながら思ってしまう。
父の声が耳から離れない。フィーアは耳を塞ぎ、頭を振る。
涙はいつの間にか、頬を濡らしていた。
生きていたところで、自分の自由にはならない。
ご主人様は侍女として見守ると仰って下さる。それは幸せなのだけれど、本当の幸せじゃない。
・・・贅沢なのだわ、私。
けれど、ご主人様と奥様、そしてお子様が生まれたら・・・。
私はその幸せを見つめながら、生きて行かなくてはならない。
涙が溢れて止まらない。
私はどうしたらいいの。
私は何故生きているの。
私は・・・。
時間が無為に過ぎてゆく。考えたところで、何も変わりはしないのに。
「明日も早いのだから、寝なくちゃ」
ランタンの灯りを吹き消し、ベッドに体を横たえた時だった。
突然ドアをノックする音が、フィーアの胸に緊張を走らせた。
「こんな時間にだれ?」
使用人はみな各自の部屋に戻っていたはず。
エントランスの鍵は間違いなく閉めた。
不安な胸をかかえて、ドアの外にいる人物に声をかける。
そもそもこんな遅い時間に、誰なのだろう。
緊急の事態しか考えられない。
「ヘレナさんですか?」
ドア越しに呼びかけても返事はない。
「ルイーザなの?」
返ってきたのは、再びドアを叩く音だった。
一体――。
恐る恐る内鍵を外し、ゆっくりと扉をあけると。
「早く開けろ」
「ご・・・」
部屋着である白いシルクのシャツの前を緩やかにくつろがせた姿でエルンストが立っていた。
「ど、ど、ど・・・」
「騒ぐな。コンラートやヘレナに聞かれては面倒だ」
左手でフィーアの口をふさぐと、強引に部屋に入って来るなり、扉を閉めてしまった。
フィーアは完全に混乱をきたしていた。
おまけに今着ている夜着はルイーザからもらったもので、大きく胸元が開いた割と薄手のナイトドレスだ。
「な、な、な・・・」
焦るフィーアを見透かしたようなエルンストの言葉が、フィーアを現実に引き戻した。
「心配するな。その程度では興奮しないし、それに・・・」
ナイトドレスの下は大して見えないぞ。とも付け加えた。
良かった。って違う。
「今日のハープの音色は、何やら寂しげだったな」
言いながら、エルンストは窓辺に置かれた椅子に座る。
この部屋は誰の部屋からも離れていたので、夜遅くハープを弾いても迷惑はかけないと思っていた。
それに、エルンストの部屋からはだいぶ離れている。
夜の静けさといたずらな風が、エルンストの部屋まで音色を運んだのだろうか。




