第78章
次の四年間で、ベレニスはヨガの修行のたくさんのさまざまな段階を実践した。最初は、瞑想して座っているときに背骨をまっすぐに保ち、それを感じないほど体をしっかり固定するために使われるヨガのポーズだった。ヨガによるれば、ディヤーナ……瞑想……とは無執着である。そして背骨がまっすぐになると、とぐろを巻いたもの、クンダリーニ(脊柱の根元の三角形)が覚醒し、スシュムナを通って背骨をのぼって七つの神経叢、または意識の中心に至り、最終的に脳の最も高いところ、もしくはたくさんの花弁の蓮、サハスラーラにたどり着く。ヨガによれば、この意識の最高の状態にたどり着くと、人はサマディもしくは超意識に達したことになる。しかし、クンダリーニの力がこの最終地点にたどり着こうが着くまいが、人の認識はその上昇の度合いに応じて拡大、上昇する。
ベレニスは勉強した。プラナヤマ……体の生命力のコントロール、プラティヤーハラ……思考を内省的にすること、ダーラナ……集中、ディアナ……瞑想。そして自分と一緒のクラスの他の教え子たちの何人かとよくノートを比べた。イギリス人が一名、若いかなり高度な知識を持つヒンズー教徒が一名、ヒンズー教徒の女性が二名いた。その後、ハタ、ラージャ、カルマ、ジナーニ、バクティなどのヨガを勉強した。ベレニスは、ブラフマン、絶対的現実、が完全な神であることを学んだ。それは定義や表現のしようがないものである。ウパニシャッドは、ブラフマンが存在、知識、至福であると言っているが、これらは属性ではない。ブラフマンは、存在する、と言えない。ブラフマンは、存在、である。ブラフマンは賢明でも幸福でもなく、絶対的な知識、絶対的な喜びである。
無限は分割できるものではなく、有限の中に含めることもできない。
この宇宙全体は、感覚で感じ取れない私の、永遠を表す形態の私で満たされている。私はどの生き物の中にもいないが、すべての生き物は私の中に存在する。それらが物理的に私の中に存在する、という意味ではない。それは私の神秘である。あなたは、その本質を理解する努力をしなくてはならない。私の存在は、すべての生き物を支え、誕生させるが、彼らとの物理的接触はない。
しかし、もし人間が私を崇拝し、迷わず私を瞑想し、すべての時間を私に捧げるなら、私はその者の必要とするものをすべてを与え、その者が持ちものを失わないようにしよう。他の神々を崇拝し、心の信仰で他の神々に犠牲を捧げる者でさえ、間違った方法ではあるが、本当は私を崇拝している。それは私がすべての犠牲の、唯一の享受者であり、唯一の神だからである。それでも、そういう人間は私を本質的に認識していないので、地上の生活に戻らなくてはならない。
さまざまな神々の犠牲者は、その神々のもとへ行く。祖先を崇拝する者は、自分たちの先祖のところへ行く。自然の力や精神を崇拝する者は、そういうところに行く。だから、私に帰依する者は私のところに来る。
ある日彼女のグルは言った。「私たちが呼吸する空気は、その脈動ごとに『梵我一如(汝はそれである)』を唱えます。無数の太陽と月をもつ宇宙全体が、話をするすべてのものを通じて、ひとつの声で『梵我一如!』と叫びます」
ベレニスはエミリー・ブロンテの美しい詩を思い出した。それは長いこと彼女のお気に入りの一つだった。
最後の詩
私の魂は臆病ではない。
この星を騒がす世界的な嵐でも震えない。
天の栄光が輝くのを見ると、
信仰が輝いて、恐怖から私を守ってくれる。
ああ、私の胸の中の神、
全能の、常に存在する神!
私の中で安らぐ命、
私、不滅の生命は、あなたの中で力を持っています。
人の心を動かす千の信条は虚しい、
語りようがなく虚しい、
その価値のなさは、枯れ草か、
果てしない大海原に漂う泡沫のようなもの。
私の中に疑いを目覚めさせるのか、
あなたの無限の力にしっかりささえているのに、
錨がおりているのである、
不滅の堅固な岩に。
広く包む愛で
あなたの精神は永遠の歳月に命を吹き込む、
行き渡り、浮かび上がり、
変え、支え、解き、生み、育む。
大地と人が消え、
太陽と宇宙がなくなり、
あなただけが残されれば、
あらゆる存在はあなたの中にあろう。
死が入る余地はない
神がなくせる原子もない。
あなた……あなたは存在し息をしている、
あなたは、決して滅ぼされない。
また別のときに、グルは尋ねた。
「あなたではない者は、どこにいますか? あなたは宇宙の魂です。人があなたのところに来たら、自分から会いに行きなさい。すべては一つです。分離という概念は幻覚です。あなたは憎み、愛し、恐れます。すべては幻覚、無知と妄想です」
「優柔不断な考えや言葉はどれも、存在する唯一の悪です」
「太陽が消え、月が塵と化し、星系が次々に破滅に追いやられたら、それはあなたにとってどういうことでしょうか? 岩のように立つのです。あなたは不滅です」
不滅について。「数か月前に太陽の中にあったエネルギーの粒子は、今は人間の中にあるかもしれません。
新しいものは何もないのです。車輪がぐるぐる回るように、同じ一連の現象が交互に起きています。この宇宙のすべての運動は、上昇と下降の繰り返しです。体を持つ者が次から次へと、より繊細な形態から生まれ、自らを進化させ、より大きな形態になって、また消えてなくなり、再び原因に戻っていきます。すべての生きものがそうです。どの生命も現れてはまた戻っていきます。何が衰えるのでしょう? その形です。ある意味では、肉体でさえ不滅です。ある意味では、肉体と形は永遠です。どういうことでしょう? いくつかのサイコロをとって投げるとします。サイコロの目が五・六・三・四になったとします。サイコロをとってまた投げます。何度でも。また同じ目が出て、同じ組み合わせがそろう時がきっと来ます。
宇宙を構成している原子は、何度でも、投げられては目の組み合わせを作るサイコロのようなものです。しかし、まったく同じ組み合わせの目が出るときが、つまり、あなたがここにいて、この状態がここに成立して、この話題が出て、この賽を振る人がここにるときが、あるに違いありません。これがこれまで無限に繰り返されてきました。そしてこれからも無限に繰り返されるでしょう。
私たちは生まれませんし、死にません。ひとつひとつの原子は生き物であり、それぞれの独立した生活を送っています。こういう原子が合体して一つの目的をめざすグループを作り、そのグループがグループである間に、グループはグループ規模の知性をはっきりと形にします。そしてこのグループがまた順番に合体してもっと複雑な性質の母体を作ります。それがもっと高度な意識形態をめざす乗り物として機能するのです。死が肉体に訪れると、細胞は分離してばらけ、私たちが腐敗と呼ぶものが始まります。細胞同士を結びつけていた力がなくなり、細胞は自由にそれぞれの道を進み、新しい組み合わせを作るようになります。死は生の一面であり、一つの物体の破壊は、別の物体を構築するための前段階に過ぎません」
そして、退化について。「種子は植物になる過程のものです。砂粒は植物になることはありません。子供になるのは父親です。粘土の塊が子供になることはありません。この退化がどうして起こるのか、が問題です。種子とは何だったでしょう? それは木と同じです。未来の木の可能性のすべてが、その種子の中にあります。将来の人間の可能性のすべてが、赤ん坊の中にあります。あらゆる生命の可能性のすべてが胚の中にあります。これは、どういうことでしょう? これで、あらゆる進化は退化を前提にしていることがわかります。もともと関係ないものは進化させることはできません。ここでもまた、現代科学が私たちを助けてくれます。数学的な推論をすれば、宇宙に見られるエネルギーの総和は全体を通して同じであることがわかりますね。物質の原子ひとつとか、一フートポンド分の力を取り去ることはできません。このように、無から進化は生じません。それではどこから生じるのでしょう? それはその前の退化の中で生じたのです。子供は関係性を持つ人間であり、人間は進化した子供です。種子は木に関係性があり、木は進化した種子です。生命のすべての可能性は胚の中にあります。問題が少しはっきりしましたね。生命の継続という最初の考え方を、それに加えます。最下層の原形質から最も完全体の人間までに、生命はひとつしかありません。その設計図は形が進化する前の種子で継承されるのです」
ある日、ベレニスは尋ねた。「慈善についてはどうですか?」
グルは答えた。「貧しい者を助けるとき、少しも誇りを感じないことです。その機会を与えてくれたことに感謝してください。そうすることはあなたの名誉です。誇る理由にはなりません。宇宙全体があなた自身ではありませんか? 貧しい人がそこにいて、その人に贈り物をすることで、あなた自身を助けられることに感謝してください。祝福されるのは、受け取る人ではなく、与える人です」
ベレニスは美について再び尋ねた。とても多くの人が、あらゆる形の美を崇拝した。実際、人は美の奴隷だった。
グルは答えた。「最低の部類に入る魅力の中にさえ、神の愛の芽はあります。サンスクリット語の神の名の一つにハリがあります。これは神が万物を自分のもとに引きつけることを意味します。実際、神こそが、人の心に値する唯一の魅力です。魂を引き寄せることなど、いったい、誰にできるのでしょう? 神しかいません。男性が美しい顔に惹かれるのを見たとき、本当にその男性を惹きつけているのは、一握りの並べられた物質分子である、とあなたは思いますか? そんなことはありません! そういう物質的な粒子の背後には、神の影響力の戯れと神の愛があるに違いありません。無知な者はそれを知りません。しかしそれでも、意識しようがしまいが、人はそれに惹きつけられます。しかもそれだけにです。だから、最低の部類の魅力でさえ、その力を神からもらっているのです。『愛する人よ、夫のために夫を愛した人は誰もいません。内側にいるのはアートマン、神であり、神のおかげで夫は愛されるのです』神は偉大な磁石です。私たちはみな、鉄粉のようなものです。私たちはみな、絶えず神に惹かれています。私たちはみな、神にたどり着こうと努力しています。すべての形や模様を通してブラフマンの顔が反映されます。私たちは美を崇拝していると思っていますが、実際には、輝いて見えるブラフマンの顔を崇拝しているのです。その裏の絶対的現実を見ています」
改めて言った。「ラージャヨガの行者は、自然のすべてが、魂が経験を積むためのものであり、魂のすべての経験の成果が、魂が自然から永遠に分離していることを自覚するためのものであることを知っています。人間の魂は、それが精神であり永遠に物質ではないことと、それがこうして物質と結びつくことはあるが、ほんの一時的なものでしかありえないことを、理解し認識しなければなりません。ラージャヨガの行者は、この堅実そうに見える自然がすべて幻想であることを、最初から認識しなければならないので、すべての放棄の中で最も厳しいものを通して、放棄の教えを学びます。自然界のあらゆる種類の力の現れは、すべて魂に属しているのであって、自然に属するものではないことを理解しなくてはなりません。すべての知識とすべての経験が自然の中ではなく魂の中にあることを最初から知らなければなりません。だからただちに、合理的な信念の純粋な力によって、自然へのあらゆる束縛から自分を引き離さなければなりません。
しかし、すべての放棄の中で最も自然なのは、バクティヨガの行者の放棄です。ここには暴力はなく、いわば私たち自身から引き剥がすものが何もなく、暴力によって自分たち自身を引き離さなければならないものは何もありません。バクティの放棄は簡単で、穏やかで、流れるようなで、私たちの周りのものと同じように自然です。人は自分の街を愛し、それから国を愛し始めます。すると、自分の小さな街に対する激しい愛情は、穏やかに、自然に、減っていきます。再び、人は全世界を愛することを学びます。自分の国に対する愛情、激しい熱狂的な愛国心は、自分を傷つけることなく、何の暴力の兆しもなく、減っていきます。教養のない人間は、感覚の快楽を激しく愛します。教養を身につけると、知的な快楽を愛するようになり、感覚の喜びはどんどん小さくなります。
バクティの達成に必要な放棄は、何かを断ってできるのではなく、もっと強い光が現れると、それより強くなかった光はどんどん存在感が薄れて、完全に消えるのと同じように、自然にできるのです。だから、この感覚と知性を楽しむ愛は、神への愛によって、すべてがぼんやりし、脇に追いやられ、陰に放り込まれます。神への愛は成長し、パラバクティ、もしくは最高の献身と呼ばれる形になります。形は消え、儀式は飛び去り、書物は取って代わられ、像、寺院、教会、宗教や宗派、国や国民性、こういうすべての小さな制限や束縛は、この神の愛を知る者から自然になくなります。その者を縛り、自由を束縛するものは何も残りません。船は突然、磁力のある岩に近づくと、鉄のボルトや格子がすべて引き抜かれ、厚板がゆるんで、水面に勝手に浮かぶのです。神の恵みがこのように魂を束縛しているボルトや格子を緩めるので、魂は自由になります。だから、献身的な行為を助けるこの放棄には、つらさも苦しさも抑圧も抑制もありません。バクティは人の感情を一つも抑圧することはありません。人はただそれらを強化して、それらを神に向ける努力をするだけです。
この明らかな幻想の世界を捨て去り、すべてのものの中に神を見ることで、人は真の幸福を見つけることができます。あなたが望むものを持ちなさい、しかしすべてを神だと思いなさい。所有するものは何もありません。すべての中の神を愛しなさい。このように努力すれば、キリスト教の『まず神の国を求めよ』という教義に相当する道をあなたは見つけるでしょう。
神は、あらゆる生きものの心の中に住んでいます。神はマーヤーの回転にのせて、それらをぐるぐる回します。神の中に完全に逃げ込みなさい。神の恵みによって、あなたは最高の平和とすべての変化を超越した状態を見つけるでしょう。
時間のサイクル、もしくはカルパの終わりに宇宙が消えれば、潜在の段階……つまり種子の状態……に移行して、次の創造を待つのです。スリ・クリシュナの呼び方では、現れている段階が『ブラフマーの昼』、潜在している段階が『ブラフマーの夜』です。世界に住む生き物は、このサイクルに従い、その都度次の宇宙の昼と夜を迎えて、絶えず再生しては消滅しています。しかし、この消滅は『神に戻る』と考えるべきではありません。生き物は、世に送り出してくれたブラフマンの力に戻って、再び現れる時が来るまで、現れていない状態でそこにとどまるだけです。
ヒンズー教は、クリシュナ、ブッダ、イエスを含め、この先もっと多くなりそうな大勢の神の化身への信仰を受け入れます」
どの時代にも、私は戻って来る
神聖なものを伝えるために、
罪人の罪を滅ぼすために、
正義を確立するために。
そしてある日、最後の言葉がグルからベレニスに告げられた。グルも知ってのとおり、ベレニスは連絡があって、彼のもとを去ろうとしていた。
「これで私はあなたに秘中の秘である知恵を授けました」グルは言った。「よく考えてください。その上で、あなたが一番いいと思うことをしなさい。ブラフマンによれば、妄想から解放されて、私を絶対的現実として知る者は、知ることができることをすべて知っています。だから、私のことを心から崇拝します。
これは、私があなたに教えたすべての真理の中で、最も神聖なことです。それを理解した者は、真の賢者になります。その者の人生の目的は達成されます」




