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ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
74/79

第74章

 

 世間一般では、フランク・アルガーノン・クーパーウッドの死去に伴う主な関心事は、彼の財産だった。その規模、誰が相続するのか、それぞれがいくら受け取るのか、だった。遺言が検認される前に、アイリーンは最小限で切り捨てられているだの、クーパーウッドの二人の子供が遺産の大半を受け取るだの、いろいろなロンドンのお気に入りたちがすでに大きな贈り物を受け取った、などのゴシップや噂が流れた。

 夫が死んで一週間も経たないうちに、アイリーンは夫の弁護士を解任して、代わりにチャールズ・デイをすえて自分の唯一の法定代理人にした。

 クーパーウッドの死後五週間後にクック郡高等裁判所で検認された遺言には、使用人それぞれに残した二千ドルからアルバート・ジェーミソンへの五万ドル、十年前にシカゴ大学に贈呈された施設フランク・A・クーパーウッド天文台への十万ドルまで、さまざまな額の贈与が含まれていた。リストに載った十人の個人と団体の中には二人の子供たちも含まれていて、このはっきりしている贈与の総額だけでおよそ五十万ドルだった。

 アイリーンは財産の残りの収入で養われた。アイリーンの死後、三百万ドル相当のクーパーウッドのアートギャラリーと絵画と彫刻のコレクションは、市民の教育と鑑賞のためにニューヨーク市に寄贈されることになっていた。これまでにクーパーウッドは、このギャラリーのために七十五万ドルを管財人に預けていた。これに加えて、ブロンクス区に土地を購入し、そこに建設費用八十万ドル以内で病院を建てると遺言した。彼の財産の残り……病院の維持費に充てられる収入の一部……は、アイリーン、ジェームズ医師、アルバート・ジェーミソンを含む彼が任命した遺言執行人の手に委ねられることになっていた。病院はフランク・A・クーパーウッド病院と名付けられて、患者は人種、肌の色、信条に関係なく受け入れられることになっていた。治療費を支払う経済的余裕がない場合は、無料で治療を受けられることになっていた。

 クーパーウッドが亡くなったとたんに、アイリーンは彼の最後の望みと願いにやたらと感傷的になってしまい、最初の関心を病院に集中させた。実際、アイリーンは新聞のインタビューに応じて、制度的な雰囲気が一切なくなる療養施設を含む自分の計画を詳しく述べた。アイリーンは、こういうインタビューの一つをこう締めくくった。

「あたしのすべてのエネルギーは主人の計画の達成に向けられます。この病院を生涯をかけてやっていきます」

 しかし、クーパーウッドといえどアメリカ全土の裁判所の動きまでは考慮に入れきれなかった。司法とその限界、アメリカの弁護士がどの裁判所でも決定を遅らせることができる期間の長さまでは。

 たとえば、クーパーウッドのシカゴの〈コンビネーション交通〉を破産させた合衆国最高裁判所の判決は、財産に対する最初の打撃だった。〈ユニオン交通〉の債券に投資された彼の財産のうちの四百五十万ドルは、〈コンビネーション交通〉に保証されたものだった。今、彼らは、その価値だけでなく所有権を決定するために、何年もかかる法廷闘争に直面した。そんなものはアイリーンの手に負えなかった。すぐに遺言執行人をやめて、この問題をジェーミソンに引き渡した。そして、その結果、ほとんどというか何も達成されないまま、ほぼ二年が経過した。実際、このすべては一九〇七年の恐慌の中で起こったので、それを理由に、ジェーミソンは裁判所にもアイリーンにも彼女の弁護士にも知らせずに、問題の債券を再編委員会に引き渡してしまった。

「売り払ったところで、そのままの価値にはならないでしょう」ジェーミソンは説明した。「再編委員会は〈ユニオン交通〉を救う計画を練りたいんですよ」

 再編委員会は、シカゴの鉄道会社のすべてを一つの大企業に統合することに関心を持つ〈ミドル信託〉にその債券を預けた。「それでジェーミソンが何を得たのか?」が問題だった。財産は、シカゴでは二年間、決定の保留が続いたが、ニューヨークで問題の解決に向けた動きは何もとられなかった。五番街の邸宅の増築部分に二十二万五千ドルの抵当権を持っていた相互生命保険会社は、この抵当分の未払い利息一万七千ドルを含む、回収手続きを始めた。そして彼らの弁護士は、アイリーンにも彼女の弁護士にも知られることなく、ジェーミソンとフランク・クーパーウッド・ジュニアと計画を練った。それにより、オークションが開催されて、このギャラリーはその中の絵画もろとも売却された。この売却益は、保険会社と、水道料金と税金の未払い約三万ドルに対するニューヨーク市の請求をかろうしてまかなった。こうしたことに加えて、アイリーンと彼女の弁護士は、ジェーミソンを遺言執行人から解任するようシカゴの検認裁判所に訴えた。

 アイリーンがゼーベリング判事に伝えた内容を要約する。

「主人が亡くなってから、話し合いばかりで、お金がありません。ジェーミソンさんは気持ちよくお金の話をして、約束するのが上手でしたが、彼からはあまりお金を受け取ることができませんでした。直接要求すると、彼はないと言います。彼に対する信頼を失ってしまい、不信感を抱くようになりました」

 それからジャーミソンが、アイリーンの知らないうちにどのように四百五十万ドル相当の債券を譲渡したか、四十万ドルの価値があるとされていたのに総額二十七万七千ドルで売却されたアートギャラリーの競売をどのように手配したか、遺言執行人としてすでに報酬が支払われていたのにどのように千五百ドルの徴収料を請求したか、自分の弁護士が財産目録を閲覧するのをどのように拒んだか、を法廷で述べた。

「ジェーミソンさんがあたしに自宅とアートコレクションを売って、取引額の六パーセントを支払うよう求めたとき、あたしはただ、そんなものは払わないと言ったんです。もしあたしが払わないなら、ギルロイの凧より高くあたしを飛ばしてやるとジャーミソンさんは脅しました」アイリーンは締めくくった。

 審理は、三週間延期された。

「これは、わからないことに女性が口出しする事例です」フランク・A・クーパーウッド・ジュニアは言った。

 こうしてアイリーンがシカゴの検認裁判所でジェーミソンを遺言執行人から解任しようとしている間に、ジェーミソンはニューヨークで三年を何もしなかったのにそこで補助的な書類を申請していた。しかし、アイリーンの行動は彼の適性問題を生じさせた。おかげでモナハン遺言検認判事は、自分が補助的な書類を受け取るべきかどうかの理由を提示するために、十五日間決定を延期させることになった。ジェーミソンは同時にシカゴで、アイリーンの訴えを受けてゼーベリング判事に回答し、自分は誤ったことは何もしていないし、不法な金銭はびた一文受け取ったことがない、と主張した。むしろ、財産を守るために多くのことをした、と主張した。

 ゼーベリング判事は、ジェーミソンを遺言執行人から解任することを却下して述べた。

「未亡人への支給の問題についてだが、遺産全体から自分の報酬を得たうえに、支給金を徴収することに歩合を求めたり、自分の義務をよく怠ったりする遺言執行人が解任されるべきなのは事実である。しかし、その事由だけで解任する権限が私にあるかは疑わしい」

 これを受けて、アイリーンは最高裁判所に訴える計画を開始した。

 しかし、ここでロンドンの地下鉄会社が、正当な権利のある八十万ドルを回収するために、ニューヨークの米国巡回裁判所に提訴した。権威筋は、訴訟の過程で約三百万ドルが宙に消えたと声明を出したが、彼らは遺産の支払能力に疑問を持たなかった。裁判所は、この訴訟に関連してウィリアム・H・カニングハムを管財人に任命した。この管財人は、アイリーンが当時肺炎を患っていたにも関わらず、五番街の敷地に警備員を配置し、ロンドンの地下鉄会社の請求に応じるために三日間開催する絵画と敷物とタペストリーの競売を三日で手配した。競売にかけられる財産が何ひとつ消失しないように、警備員が一日二十四時間張り付いた。彼らは邸内を徘徊し、家庭の秩序を大幅に侵害して、所有権も占有権も無視した。

 アイリーンの弁護士の一人チャールズ・デイは、この手続きは、これまでこの国で試みられた司法の暴挙でも最悪のひとつであり、違法な手段でこの家に入り込むただの陰謀に過ぎず、家と絵画の売却の強制と、この家と中身を公共の美術館として残したいというクーパーウッドの意思と願いの破壊を目的にしている、と裁判所に申し立てた。

 しかし、アイリーンのニューヨークの弁護士が、一時的な管財人認定が恒久化されるのを防いでいたのと同じ時期に、シカゴの弁護士は、全財産の管財人をシカゴで選任させようとしていた。

 相互生命保険会社の差し押さえ手続きの結果として売却されはしたが、追加分のアートギャラリーの明確な所有権は取得されなかった。四か月後に保険会社は、管財人のカニンガムと、アートギャラリーの所有権の取得を拒んだ権原会社対して訴訟を起こした。

 さらに、シカゴの資本家からなる再編委員会が、ブレントン・ディグス下院議員と一緒にある計画に取り組んでいる間に、子会社三社の債券所有者が、差し押さえ法案の提出を要求した。アイリーンの弁護士は、クーパーウッドの財産すべてに対してはクック郡裁判所が裁判権を持っていると抗弁し、巡回裁判所に裁判権はないと主張した。前述の巡回裁判所の裁判官は、ジェーミソンがニューヨークの財産の管理を担当することに成功すれば、すぐに撤退すると発表して、それを認めた。

 しかし、アイリーンが巡回控訴裁判所に控訴してから五か月後、二対一で結審し、暫定的だったウィリアム・H・カニンガムの管財人の地位が恒久的ものになった。それにもかかわらず、反対した裁判官は、国の事務である遺言検認の問題に、連邦裁判所は介入できない、と主張した。一方、認めた裁判官らは、債権者が遺言検認裁判所に管理人の任命を要請し、その時点で財産を管理人に引き渡せるようになる相当な期間が経過するまで……巡回裁判所が判断したように……管財人はとどまるべきである、と主張した。同時に、ジェーミソンが補助的な文書を申請するのを禁じた仮処分も解除された。

 そして今や、延期、裁判、承認要求、下される判決、に終わりがなかった。これとは対照的に、死んだ夫が残した財産を丸々もらった、法律にうとい未亡人は、複雑な権利を守るために酷使され続けた。やがて病に伏し、完全に健康を損ない、実際の収入は今や危険なほど減っていた。

 そこで、アイリーンの弁護士は、ジェーミソンの弁護士とロンドン地下鉄の法定代理人と一緒になって和解をまとめた。それにより寡婦産権の代わりに、正当な個人資産の一部として八十万ドルを受け取ることになった。この記録に残されない合意の確認を求めて、シカゴの検認裁判所に請願書が提出された。

 相続税鑑定士はクーパーウッドの死後四年後に、遺産総額を千百四十六万七千三百七十ドル六十五セントと発表した。鑑定人に報告書の提出を控えるよう求める申し立て審問が、ロバーツ判事の部屋で開かれて議論された。アイリーンの代理で出廷したデイは、ゼーベリング判事がこの合意を承認すれば、あとは遺産を売却するだけだと主張した。デイは、アートコレクションは四百万ドル、二階以上の家具には千ドル以上の価値はないので鑑定評価額が高すぎる、と主張した。

 このときニューヨークで、ジェーミソンがヘンリー遺言検認判事に補助的な文書を申請した。アイリーンがこれらの補助的な文書を彼に取得させないようにする訴訟に負けたのとほぼ同時に、セイバーング判事は、彼女とジェーミソンとの間の合意を確認した。これにより債務返済後に八十万ドルと、全個人財産の三分の一の寡婦産権を受け取ることになった。この合意に基づき、アイリーンは、家、アートギャラリー、絵画、厩舎などを競売にかけるために管財人のカニンガムに引き渡した。シカゴで決定の保留が始まって四年以上が経過した後に、ジェーミソンがニューヨークで補助執行人に任命された。彼はニューヨークでの財産の競売手続きをとめるべきだったが、とめなかった。ギャラリーには百五十万ドル相当の絵画が三百もあり、その中にはレンブラント、ホッベマ、テニールス、ルイスダール、ホルベイン、フランス・ハルス、ルーベンス、ヴァン・ダイク、レイノルズ、ターナーの作品があった。

 しかし、シカゴでも同じ頃、検認裁判所ではジェーミソンの弁護士がゼーベリング判事の前で、債務超過から財産を救う唯一の方法は、〈ユニオン交通〉の債券の四百四十九万四千ドルを、新会社を作るための再編委員会に引き渡すことだ、と主張していた。アイリーンの弁護士は、その行為は裁判所の承認なしに秘密裏に行われたものだ、と主張していた。ここで、ゼーベリング判事は、双方が合意しない限り、そういう命令を出すことはできないと表明した。したがって、双方の弁護士が合意に達する機会を与えるために、裁判は無期限に延期された。

 またもや延期! 延期! 延期! 

 会社め! 会社め! 会社め! 

 判決め! 判決め! 判決め! 

 裁判め! 裁判め! 裁判め! 

 実際、フランク・クーパーウッドが所有していたものがすべて競売にかけられるまでに、五年が経過し、その収益はすべての不動産を含めて三百六十一万百五十ドルだった! 

 


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