第60章
クーパーウッドはベレニスと一緒にディナーをとても楽しんだ様子だったが、思考は踏み車のように一つの輪の中をぐるぐる回っていた。それはあるところには、いろいろな商業や金融の関係者がいて、またあるところには、いろいろな人、彼がこれほど夢中になった壮大な交通システムの完成を目指して一緒に働いてきた男女、がいた。男性は基本的にとても協力的で、女性はとても楽しませてくれた。その全員がまとまって、華麗な三十年にしてくれた。クーパーウッドは今のところ、医者の診断をその額面どおりに致命的なものだと必ずしも信じなかったが、それでも、自分の余命を予測する医師の告知と、このテムズ川のほとりでベレニスと一緒にいるすてきな時間と、二人の前に広がるこの心地よい芝生のせいで、人生のはかない美しさと、つきまとう深い悲しみ、を感じずにはいられなかった。クーパーウッドの人生はとても充実していて、波乱に満ち、思い出に残るものが多かったからだ。自分だと見なすことができるもののすべてが突然終わってしまう可能性を考えさせられた今となっては、自分であり続けて楽しんだすべての価値を強調する傾向があった。ベレニス……とても若く、とても賢く、とても面白い人……は、好条件が重なれば、今後何年も自分と一緒にいられたのに。そしてこれは、彼も感じることができたように、彼女がとても明るく協力的に考え続けていることだった。今度ばかりは、生命の死に至る過程を、いつものように冷静に考えることができなかった。実際、クーパーウッドは、この時間の詩的な価値と、悲しみと悲しみ以外の何ものでもないそのはかなさ、を考えることしかできなかった。
しかし、その表面的な態度は精神的な落ち込みをまったく示さなかった。すでに彼は取り繕い、役割を演じなければならないと結論を出していた。もしこの医学的な予測があたるとしても、それがあたるぎりぎりの瞬間まで、いつものように自分の仕事をやらねばならなかった。だから、いつものように朝プライアーズ・コーブを出てオフィスに向かい、そこで決定や手続きなどでいつも見せたのと同じような冷静さと正確さで日常業務をこなした。それが今は、自分の死後に自分の個人的な願いを実現させるさまざまな手続きを始めておく必要があると思った。
そのうちのひとつが、クーパーウッドと失意のアイリーンのための墓だった。彼は秘書のジェーミソンを呼び、イギリスでもヨーロッパ大陸でもいいが、霊廟の建築で定評がある建築家の名前と確かな技術を報告するよう求めた。友人のために必要なので、できるだけ早く資料を欲しがった。これが済むと、自分の好きなこと、つまりアートギャラリーに注意を向けた。自分のコレクションが優れたものになるような絵画をそこに加えたかった。この目的のために、そういう傑作を売買する人物にたくさんの手紙を書き、最終的に非常に貴重な絵画を数点確保した。その中にあったのが、ブーグローの『キューピッドの世界へ侵入』、コローの『村への道』、フランス・ハルス『女性の肖像』、レンブラントの『聖ラザラスの復活』で、これらを船でニューヨークに送った。
しかし、こういう具体的な活動と並んで、地下鉄の計画にお決まりの細かい問題があった。要求、言いがかり、商売敵からの妨害、つまらない訴訟の数々! しかし、しばらくすると、この問題から生じる要件をすべて満たすことができた。またこの頃には、医師に相談する原因になった最初の痛みは全然深刻ではない、と自分で結論を出すほど、大幅に体調もよくなり始めていた。実際、最初にロンドンに来てからのいつよりも将来がずっとバラ色に見えた。ベレニスさえ、昔の体力が戻ったと判断した。
一方、ステイン卿は、数多くの新しい独創的なアイデアでそれ自体を表現しているクーパーウッドの創造的なエネルギーに感銘を受けて、そろそろクーパーウッドの名誉を称える社交行事を、美しい海辺の地所トレガサルで催してもいい頃だと判断した。そこは少なくとも二百人のゲストが収容できた。そして、招待される重要人物について熟考してから、日時が決まり、美しい敷地と、月明かりの輝きにも匹敵するシャンデリアを備えた巨大なダンスホールのあるトレガサルが舞踏会の舞台になった。
ステイン卿は正面玄関付近に立って、押し寄せるゲストを出迎えた。そして、そのときベレニスがクーパーウッドの腕をとって現れたのを見て、今夜は特に美しいと思った。ギリシャ風の簡素なデザインの白いトレーンドレスをまとい、ウエストを金色の紐で押さえ、赤い髪が金の花輪のようにこの衣装のてっぺんを飾っていた。そして、ステインが感極まったのは、ベレニスが近づいたときに自分を見て微笑みかけたことだった。「ベレニス! 美しい! 夢のようなかわいらしさですね!」と言うのがやっとだった。最も重要な大株主の一人と二、三言葉を交わそうと立ち止まったのに、クーパーウッドは挨拶のきっかけをつかみ損ねた。
「二回目のダンスをしなくてはなりませんね」ステインはしばらくベレニスの手を握りながら言った。すると、ベレニスは上品にうなずいた。
ステインはベレニスに挨拶してから、主賓のクーパーウッドを最も丁重に歓迎し、おびただしい数の地下鉄の職員とその妻たちが挨拶する間しばらく引き留めた。
夕食に案内されるまで、大して時間はかからなかった。ゲストは中に入って着席し、閑談したり、珍しいヴィンテージワインや、どんな舌のこえた者でも喜んでもらえるとステインが納得した特別なブランドのシャンパンを味わっていた。大きくなった笑い声や会話のざわめきは、隣の部屋から流れてくる音楽の穏やかな調べに心地よく緩和された。
ベレニスは自分がテーブルの上座近くに座っていることに気がついた。片側がステイン卿で反対側がブラッケン伯爵だった。伯爵はかなり魅力的な青年で、三品目が終わらないうちから、ダンスの順番はせめて三番目か四番目にしてほしいと求めてきた。しかし、ベレニスは関心を持たれたり、お世辞を言われながらも、目は絶えずクーパーウッドの動きを追っていた。クーパーウッドは、テーブルの向かい側の席で、片側の極めて魅力的なブルネットと陽気に会話をしていたが、明らかにもう片側のとても魅力的な美人のことも無視してはいなかった。しばらく会っていなかったので、彼がくつろいで楽しんでいる姿を見てうれしかった。
しかし、食事の時間はかなり長く、シャンパンの量に制限がなかったので、クーパーウッドのことが若干心配になった。明らかにシャンパンのせいで、身振りや会話が、どんどん熱を帯びてきたことにベレニスは気がついた。これは彼女を不安にさせた。そして、最後に、ステイン卿がダンスの希望者は全員、会場に移動していいと案内して、クーパーウッドがダンスを誘いに来たときのその得意げな態度に、ベレニスはさらに悩まされた。それにしても、クーパーウッドはそこにいる誰にも引けを取らないほど、しっかりした雰囲気だった。ワルツのリズミカルな旋律にのって移動する間に、ベレニスは彼にささやいた。「幸せですか、あなた?」
「この上なく幸せだよ」クーパーウッドは答えた。「こんなに美しいあなたと一緒なんですからね!」
「あなたったら!」ベレニスはささやいた。
「だって、すばらしいじゃないですか、ベヴィ? あなたも、この場所も、この方々も! これこそ、私が生涯ずっと求めていたものです!」
ベレニスは愛情をこめて微笑みかけた。しかし、ちょうどその時、クーパーウッドがわずかに揺れたのを感じた。それから立ち止まり、手を心臓にあててつぶやいた。「いっ、息が、外へ出よう!」
ベレニスは彼の手をしっかりつかんで、海に面したバルコニーに通じる開いたドアの方へ連れて行った。促し、介助して、一番近いベンチまで行くと、クーパーウッドはベンチにぐったりと重く沈み込んだ。この時にはもう、ベレニスはひどく心配になって、トレイを持って通りかかった使用人に駆け寄って叫んだ。「お願い! 手を貸して! 誰か呼んで、この人を寝室に運ぶのを手伝ってください。とても具合が悪いんです」
驚いた使用人はすぐに執事を呼び、執事がクーパーウッドを同じ階の空き部屋に運び込み、それからステイン卿に知らせた。到着したステイン卿はベレニスが悲しんでいることにショックを受け、クーパーウッドを二階の自分の部屋へ移すよう執事に命じて、すぐに主治医ミドルトン医師を呼んだ。また、この件に関して使用人全員が口外することのないように執事は申しつけられた。
そうしている間に、クーパーウッドは動き始めていた。ミドルトン医師が来るころには用心しないといけないことに気がつくほど回復して、この件については、つまずいてころんだ以外のことは言わないほうがいい、とステインに言うほどだった。きっと朝には治ってますよ、と言った。しかし、ミドルトン医師は彼の不調については別の考えを持ち、鎮静剤を渡した。その後で、何かの合併症でもおきないか確認するためにも、せめて一日か二日、病人はこのままここにいた方がいいと助言した。ステインにも伝えたが、クーパーウッドの症状は、おそらく失神の発作よりもずっと深刻だった。




