第57章
ベレニスは、クーパーウッドがひどく疲れた様子でイギリスに到着するまでに、不思議にも彼がこれまで訪れたことがなかったノルウェーに対する自分自身の思い入れを多少は彼に植え付けることができた。
それから間もなく彼は、ジェーミソンにヨットを見つけてチャーターする役目を与えた。しかし、ヨットが見つかる前に、クーパーウッドの意向をステインから聞きつけたティルトン卿なる人物が寛大にもその目的のために自分のヨット、ペリカン号を貸すと言ってくれた。そして、いよいよ夏も本番に近づく頃、クーパーウッドとベレニスは、スタバンゲル・フィヨルドに向けてノルウェーの西海岸沿いを順調に航海していた。
ヨットはかっこいい船で、ノルウェー人の船長エリー・ハンセンは腕のいい男だった。背丈は中ぐらい以下だが、たくましい体格で、血色がよく、砂色の髪が噴き出すように額を覆っていた。目はどんな海にも海にまつわるどんな経験にも挑みそうな鋼の青だった。平地を歩くときでさえ、動きが悪天候に自然に身構えているようだった……海とはずっとある種のリズムに合わせて一体化していた。生涯を通して船乗りで、喫水線の下、数千フィートの底から真っ直ぐに数千フィートそびえ立っている神秘の山々を、迷路のように切り抜ける内陸水路を、心から愛していた。それを地表の断層か地殻が割れた結果だと言う者もいれば、火山の噴火が引き起こしたと考える者もいる。しかしエリックはこれらが、世界の他の地域への通り道を作るためにどんな障壁でも突破する力を持った強力な先史時代のバイキングに、切り開かれたことを知っていた。
しかし、ベレニスは、こうした険しい丘の斜面や、水際から遠く離れた高いところにあるコテージを見ても、その住人がどうやって通り過ぎる船のところまで降りたり再び自分たちの小さな家まで登るのか、また、どんな理由があってそんなことをするのか、想像できなかった。すべてがとても奇妙に思えた。ベレニスは山登りの技術にはくわしくなかった。それはおそらくノルウェー人が必要に迫られて、ヤギが険しい岩場から険しい岩場へと巧みに移動するのを見て身につけたのかもしれない。
「何て変わった土地なんだ」クーパーウッドは言った。「ここに連れてきてくれてありがとう、ベヴィ、確かに美しいけど、この国は大自然の風土が犯した過ちの一つだと私には思えます。夏は日があたりすぎで、冬は少なすぎますね。ロマンチックな水路が多すぎで、不毛の山も多すぎます。ですが、それがものすごく私の関心を掻き立てることを認めねばなりません」
実は、ベレニスはクーパーウッドがこの国に強い関心を持ったことに気づいていた。質問するために、彼が尊敬してやまない船長を何度も呼んだからだ。
「この町の人は、漁業の他に何で生計をたてているんですか?」彼はエリックに尋ねた。
「そうですね、ディクソンさん」……クーパーウッドはそう名乗っていた……「他にいくらでもありますよ。ヤギを飼って、ヤギのミルクを売ります。鶏がいるから、卵だって売ります。牛もいます。実際には、持ってる牛の数で、豊かさを判断することがよくありますね。それに、バターもあります。みんな、丈夫で働き者なんですよ。五エーカーの土地で信じられないほど多くの収穫をあげられますから。私はその方面の専門家じゃないから、本当は大したことは言えませんが、あなたが考えてるよりもうまくやってますよ。あとはですね」エリックは続けた。「この辺の若い衆はほとんど、航海術の訓練を受けるんです。少し大きくなると、ノルウェーに出入りして世界中の都市や海運の町を結ぶ船長や航海士やコックになるんです」
ここでベレニスが声をあげた。「量の不足を質で補っているのかしら」
「そのとおりです、奥さま」船長は言った。「それが言いたかったんです」そしてさらに熱くなって続けた。「現実に彼らは自分たちの中で快適な生き方を学んだんです。でも、本の外だけでなく中の世界も知ってますよ。我々ノルウェー人は本好きで、教育を大切にします。ここには文盲はほとんどおりません。信じられないかもしれませんが、ノルウェーはスペインやポーランドよりも電話の数だって多いんです。文学や音楽で有名な人もいます。グリーグ、ハムスン、イプセン、ビョルンソン」……この名前を聞いてクーパーウッドは言葉がつまり、この男の人生は、文学が何て小さな役割を果たしていたんだろうと思い、ベレニスに読んでいた本の何冊かをこの男にあげてはどうかと提案したくなった。
ベレニスは彼がじっと考えにひたっているのに気がつき、彼がこの不思議な世界と自分の厄介な世界とを比べているのかもしれないと疑い、会話をもう少し明るいものに切り替えることにして、ハンセン船長の方を向きながら尋ねた。
「ハンセン船長、もう少し北に行くと、ラップ人たちに会えそうかしら?」
「そうですね、奥さま」船長は答えた。「トロンヘイムの北のどこかで出くわすかもしれません。もうそこにたどりついたも同然です」
ヨットはトロンヘイムから白夜の地ハンメルフェストに向けて北上した。途中で何か所か寄港した。その一つが大きな崖の一つから岩が少し伸びているグロットという場所だった。おそらく家が十数軒しかないとても小さな場所で、主に捕鯨基地として使われていた。家は普通の石造りの小屋で、草と土とで屋根が覆われていた。
北へ行く船からも南へ行く船からも石炭や木材を買うのが、グロットの捕鯨船の習慣だった。さっそく、漁師の小さなグループがヨットに近づいてきた。石炭を渡すにしても実際に必要な量はなかったが、相手の備蓄はほんのわずかしかないと感じたので、クーパーウッドは船長に数トン分けてあげるように指示した。
朝食後にハンセン船長が上陸した。そして戻ってくると、ずっと北の方から来たラップ人の部族が到着して、グロットから半マイルほど離れた本土でキャンプを張っているとクーパーウッドに伝えた。およそ千五百頭のトナカイと、子供と犬を連れたラップ人が百人以上いると言った。これを聞いて、ベレニスはそれを見たがった。すると、ハンセン船長と航海士は、そのキャンプを訪れるために船を漕ぎ寄せた。
本土の海岸に降り立ってから、彼らは全方向に広がるテントの周りに点在するトナカイに向かって歩いた。相手の言語を多少は知っている船長がラップ人と話をした。そのうちの数名が訪問者たちの方に来た。握手をして一行を歓迎し自分たちのテントに招いた。あるテントで、大きな鍋が火にかけられていた。航海士が調べて「犬のシチューだろう」と言ったが、丸々太った肉汁たっぷりの熊だとわかった。みんなでごちそうになった。
もう一つのテントは、周辺国からの漁師や農民でいっぱいだった。実は、この集会は年に一度の見本市のようなもので、ラップ人はここでトナカイの生産品を処分して、冬に備えて必需品を買い求めた。するとそのとき、ラップ人の女性が一人、人垣をかき分けてやって来た。女性は古い知人としてハンセン船長に挨拶し、船長はその女性を部族で最も裕福なメンバーの一人だとクーパーウッドに告げた。歌ったり踊ったりするグループがついてきた。全員がそれに参加しようとした。そして、酒と食べ物がふるまわれて、周囲をたくさんの笑いで包んだあと、クーパーウッド一行は別れを告げてペリカン号に戻った。
沈まない太陽の光を浴びながら、ヨットは方向転換して船首を南に戻した。この時までに、十数頭の巨大なホッキョククジラがヨットの視界に入った。船長は、船が最も優雅にその間を航行できるようにすべての帆を張れと命じた。立ってクジラを見ている間、乗客も乗組員もものすごく興奮した。しかし、クーパーウッドは目の前の光景よりも、船長の腕前に興味があった。
「ほら、みてごらん!」彼はベレニスに言った。「どんな職業、どんな仕事、どんな種類の労働にだって、用心深さと技術が必要なんです。見ての通り、船長はヨットを完全にコントロールしてるでしょ。あれ自体が偉業なんです」
ベレニスは彼の意見に微笑んたが、何も言わなかった。一方でクーパーウッドはしばらく自分もその一部になったこの印象的な世界を考え、思索していた。この北国の景色全体で彼が一番感銘を受けたのは、これが彼のような気質の者には本当にまったく必要のない世界の、厳しい、社会的に重要でない局面である事実だった。広大な海は、大きな意味で、魚を供給することで住民を支えた。そして利益が出るときは、居住に適した十分な土の空間を構築したり作ったりして、比較的快適な生活を実現できるだけの仕事があった。それでもクーパーウッドは、この人たちは、彼や彼のような、お金をためることに懸命に取り組む何千もの人たちよりももっと多くのものを、純粋な美しさ、素朴な快適さ、魅力的な社会習慣のある生活、から得ていると感じた。なのに、自分ときたら、年をとる一方で、人生の最良の部分はすでになくなっていた。自分の前にはいったい何が待っているのだろう? さらに地下鉄に打ち込むのか? さらにアートギャラリーを増やすのか? さらに世論に苛立ちを募らせるのか?
確かに、この旅行はいい安らぎだった。しかし、クーパーウッドは今は絶えず、平和とはほど遠いたくさんのことに関わっていた。彼に続けられたところで、さらに議論が増え、弁護士が増え、新聞の批判が増え、家庭の揉めごとが増えるだけだった。クーパーウッドは内心苦笑いした。あまり考え過ぎてはいけない。物事をありのままに受けとめて、最大限に利用するのだ。結局、世界はほとんどの人のためよりも、自分のために多くのことをしてくれた。少なくとも感謝くらいはできたので感謝した。
数日後、帰りの旅でオスロに近づくと、人目につく危険を避けるために、ベレニスはそこでヨットを降りて、汽船でリバプールに帰った方がいいと提案した。リバプールからプライアーズ・コーブまでは短い距離だった。クーパーウッドはベレニスがおとなしくこの決定を受け入れてくれたのを見て喜んだ。それでも、彼女の表情から、絶えず二人の関係を支配し邪魔する力に、彼女がどれだけ憤慨しているかをクーパーウッドは感じ取ることができた。




