第37章
一方、パリでひと月たつと、アイリーンは新しい友人が全員口をそろえて言ったように「別人」になっていた。体重は二十ポンド減り、顔色、目つき、気分まで明るくなり、サラ・シメールが述べたように髪は「雄鶏風」にセットされ、ドレスはリチャードにデザインされ、靴はクラウスマイヤーの手によるもので、すべてがトリファーの計画したとおりだった。リッツシュタット夫人とは本物の友情を築いた。族長は気配りが少々煩わしかったが面白い人だった。どうもアイリーンを気に入ったらしく、実際にアイリーンとの関係を発展させようと心に決めたようだった。しかし、あの衣装! 色は白、素材は最高級のシルクとウールで、ウエストに白いシルクの紐を巻いている。油ぎった、野蛮に見える黒髪! 耳には小さな銀のイヤリング! そして決して小さくない足には、細長くて、先の尖った上向きに弧を描く赤い革のスリッパを履いていた。そして、鷹のような鼻と黒くて鋭い目! 族長と一緒だと見世物の一部になり、みんなに見つめられた。もしアイリーンがひとりで族長をもてなしたら、ほとんどの時間を愛撫を避けることに費やしただろう。
「あら、いけませんわ、イブラヒム」と言うのがおちだ。「忘れないで、あたしは結婚していて、主人を愛してるんです。あなたのことは好きですよ、本当に。でも、あたしがやりたくないことをあたしに求めてはいけませんわ。だって、あたしにそのつもりはありませんもの。もし続けるのなら、もう会いませんから」
「ですがね、ほおら」族長は実に上手な英語で語った。「我々には共通点がいっぱいあります。あなたは遊ぶのがお好きでしょ、私もです。お話だって、乗馬だって、ギャンブルだって、レースだって少し好きですよね。それでいて、私に似ています、まじめと言うか、あれじゃないんです、ほら……」
「気まぐれかしら?」アイリーンは口を挟んだ。
「『気まぐれ』と言いますと?」族長は尋ねた。
「さあ、知りません」アイリーンは子供を相手に話をしているように感じた。「気難しいとか、変わりやすい、かしら」アイリーンは両手を振って精神的にも感情的にも不安定なことだと示した。
「ふん、ふん、はっはっ! 気まぐれか! ああそれだ! わかりました。あなたは気まぐれではありません! いいですよ! それでも、私はあなたのことが大好きです。はっはっ! とってもです。私のことはどうですか? あなたは私を好きですね……このイブラヒム族長を?」
アイリーンは笑って「ええ、好きよ」と言った。「やっぱり、あなたは飲み過ぎだと思うわ。それに、あなたは決していい人じゃありません……残酷だし、利己的だし、いろいろあるもの。それでも、あたし、同じようにあなたが好きですわ……」
「チェッ、チェッ」族長は舌打ちした。「私のような男は、それじゃ足らんのです。愛さないと眠れません」
「ああ、戯言はやめください!」アイリーンは声を荒らげた。「あちらへ行って、おかわりでもお作りになったらいいわ。いったん帰って、夜になったら戻って来てあたしをディナーに連れて行ってください。また、サビナルさんのところへ行きたいわ」
そうやってアイリーンの日常は快適に過ぎていた。
以前ように憂鬱に向かうことはなくなり、自分の状態は昔ほど絶望的ではないと感じ始めた。クーパーウッドは、パリに向かうとアイリーンに手紙を書いた。アイリーンは夫の到着を見越してリチャードの一番印象的な作品でびっくりさせようと準備にかかった。そしてトリファーが、クーパーウッドをオーシグナットの店のディナーに連れて行こうと提案した。そこは最近発見した面白いちょっとした場所だった。ノートルダムの陰にあるすてきな店だった。サビナルがこのときのために、ワイン、ブランデー、リキュール、食前酒、葉巻などをオーシグナットに提供することになった。オーシグナットはトリファーの指揮下で、美食家もケチのつけようがない料理を提供することになった。この時のために、感動を与えようと模索していたのはトリファーだった。予定しているゲストは、リッツシュタット夫人、一途な族長、マリゴールドだった。マリゴールドはトリファーが目当てでまだパリにいて、彼に言われてアイリーンと仲直りした。
「あなたもご主人も」トリファーはアイリーンに言った。「有名な場所はおなじみですからね。趣向を変えてごく単純なものを用意した方が新鮮だと思うんです」そしてトリファーは自分の計画をアイリーンに説明した。
トリファーは、クーパーウッドの出席を確かめるために、彼のために用意した夕食会への招待状をアイリーンに電報で送らせた。そして、クーパーウッドはこれを受け取ると、微笑んで、承諾を返信した。到着して本当に驚いたのは、人生のこの時期なら、しかも特にさんざん忍耐を重ねた後なら、こうかもしれないとクーパーウッドが思っていたよりもアイリーンが肉体的に魅力的なことに気づいたことだった。髪は、顔の長所を強調する渦巻きの典型的なものだった。ドレスは、かなり体重を減らした体のラインを見せるようにデザインされていた。
「アイリーン!」クーパーウッドはアイリーンを見て叫んだ。「こんなにきれいなきみを見たことがないな! 一体何をしてたんだい? そのドレスは効果抜群だね。それに髪が気に入ったよ。何を食べて生きていたんだい、鳥のエサかい?」
「まあ、そんなところよ」アイリーンは笑顔で答えた。「この三十日は食事らしい食事を一度もとらなかったんだから。でもね、これだけは信じてもいいわよ! もう、あたしは吹っ切ったから、この調子でいきます! でも、あなた、旅は快適でしたか?」アイリーンはしゃべりながら、ウィリアムズの仕事ぶりを監督していた。ウエイターはゲストのためにグラスとリキュールをテーブルに並べていた。
「海峡は池のように穏やかだったよ」クーパーウッドは言った。「十五分くらい、みんなが沈むのかと思うことがあったけどね。だが、上陸してしまえば、こっちのものだ」
「まったく、ひどい海峡よね!」アイリーンはクーパーウッドの目が自分に向けられている間ずっと意識していたが、褒められて思わず神経を高ぶらせて言った。
「ところで、今夜のこの宴会はどういうことだい?」
「トリファーさんとあたしとで、ちょっとしたパーティーを用意したんです。あのね、トリファーって人はとても貴重な方だわ。大好きになりました。来る人たちも、あなたが関心を持てる方々だと思います。特にあたしの友だちのリッツシュタット夫人なんかはそうだわ。夫人とあたしは一緒にずいぶん歩き回りました。すてきな方で、これまでに知り合ったどの女性とも違うのよ」以前なら嫉妬してこの新しい友人と同じくらい魅力的な女性だと夫の目にはとまらないように画策していたのに、トリファーと彼の華やかな仲間と一緒にひと月生活した今では、リッツシュタット夫人くらいの魅力的を持つ女性でも気楽にクーパーウッドに紹介できると感じた。クーパーウッドはアイリーンの新しい自信に満ちた雰囲気、厚かましさ、気だてのよさ、人生への関心が復活したことに注目した。もし物事がこんな風にうまくいったら、きっともう二人の間はぎくしゃくしなくなるかもしれない。同時にこうなったのもアイリーンの功績ではなく自分がやったからだという考えがよぎった。アイリーンはこれにまったく気づいていなかった。しかし、そう思うそばから、こうなったのも本当はベレニスが原因だと思いいたった。アイリーンがその気にさせられたのだって、自分の存在ではなく、自分が雇った男の存在によるものが大きかったと感じることができた。
しかし彼はどこにいるのだろう? クーパーウッドは、自分には問う権利がないと感じた。見世物や仮面舞踏会を企画する立場にいても、興行師だと明かすことは許されなかった。しかし、アイリーンはそこにいて言った。「フランク、あなたも支度があるわよね。それに、他の方々が来ないうちに、あたしはまだやることがあるのよ」
「そうだね」クーパーウッドは言った。「だけど、私の方にもきみに知らせがあるんだ。今すぐパリを離れて、私とニューヨークに戻れるかな?」
「どういうことかしら?」アイリーンの声は驚きで一杯だった。アイリーンはこの夏、少なくとも数か所は主要なリゾート地を訪れることを期待していたのに、今になってクーパーウッドがニューヨークに戻ると言い出すとは。永久にアメリカに戻るために、ロンドンの計画を完全にあきらめているのかもしれない。アイリーンは少し動揺した。このことが、つい最近達成したことのすべてに影を落とし脅かすように思えたからだ。
「ああ、全然深刻なことじゃないんだ」クーパーウッドは笑顔で言った。「ロンドンで問題があったわけじゃないよ。追い出されてはいないからね。実際、彼らは私に留まってもらいたがっているようだ。ただし、帰国して大金を持ち帰るという条件つきだがね」クーパーウッドは皮肉な笑みを浮かべた。アイリーンはほっとして一緒に微笑んだ。クーパーウッドの過去の経験をよく知っていたので、アイリーンはその皮肉を分かち合わずにはいられなかった。
「じゃあ、驚くことじゃないわけね」アイリーンは言った。「でも、それについては明日話しましょう。さっそく支度にかかったら」
「了解! 私なら三十分でできるよ」
アイリーンは夫が別の部屋へ入るのを見送った。クーパーウッドはいつものように確かに成功の絵を思い描いていた。快活で、機敏で、積極的だった。明らかに、アイリーンの今の外見とマナーに関心を持った。たとえクーパーウッドが自分を愛しておらず、自分がクーパーウッドを恐れている事実をまだ自覚していたとしても、アイリーンはこれを確信した。陽気でハンサムなトリファーが自分の人生に飛び込んできたのは何という幸運だったのかしら! もし自分が今ニューヨークに戻ることになったら、自分とこのハンサムな若い遊び人との間の、この実に不可解で今やしっかり成立した友情はどうなるのかしら?




