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ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第34章

 

 クーパーウッドとベレニスが大聖堂の町巡りしている間に、アイリーンとトリファーはパリのカフェ、おしゃれな店、人気の観光地を訪れていた。トリファーはアイリーンが来ることを確認すると、二十四時間先回りして、その分の時間を使い、楽しいことがわかってもらえてアイリーンをパリに足止めできる計画を準備した。トリファーは、このフランスという世界がアイリーンにとって目新しいものではないことを知っていた。クーパーウッドがアイリーンの幸せな姿を見たくてたまらなったその昔、アイリーンは何度もパリに来ていたし、ヨーロッパの観光地のほどんどを訪れていた。これは今でも貴重な思い出であり、時折、鮮明すぎるくらいに目の前に浮かんだ。

 アイリーンは、トリファーがとても気晴らしになる人だとわかり始めていた。到着した日の夕方に、トリファーはリッツに立ち寄った。どうして来てしまったのか半分不思議だったが、アイリーンはそこにメイドと一緒に宿泊していた。パリに行くつもりだったのは本当だったが、アイリーンはクーパーウッドが自分と一緒に行くという考えを大切にしていた。しかし、新聞に騒がれ、彼の口からも流暢に説明されたロンドンの仕事が、彼の時間はびっしり埋まっていることをアイリーンに納得させた。実際に、ある朝セシルのロビーでシッペンスに会ったとき、シッペンスはクーパーウッドが今背負っている仕事の大変さを、歯切れよく生き生きと語ってアイリーンを喜ばせた。

「ご主人の関心が続いたら、この町なんかひっくり返してしまいますよ、クーパーウッド夫人」シッペンスは言ったことがあった。「頑張りすぎないことを願うしかありませんね」……そんなことはちっとも願ってはいなかった。「以前よりも抜け目なく、すばしっこくなったように見えますが、これまでのように若くはないですからね」

「百も承知よ」このときアイリーンは答えた。「フランクのことで、あなたに教わることはないわ。あの人は、死ぬまで働き続けると思うわ」

 確かにそのとおりだと思いながら、それとどこかに女がいるに違いない、おそらくはベレニス・フレミングだと疑いながら、シッペンスと別れた。どんなことがあっても、自分がフランク・クーパーウッド夫人だった。お店、ホテル、レストラン、どこで自分の名前が呼ばれても、人が振り返って見るのを知っているという慰めがアイリーンにはあった。そして、このときは、このブルース・トリファーがいた。アイリーンが到着したときも、彼は相変わらずハンサムで、ホテルの部屋に入るときに言った。

「私のアドバイスを聞いてくれたんですね! それから、こちらに滞在中は、私があなたに対する責任を負いますよ。もしよろしければですが、さっそくディナー用の支度をしていただかなくてはなりません。あなたのために、ちょっとしたパーティーを用意しました。地元の友人が何人か、ここにいましてね。ニューヨークのシドニー・ブレイナード夫妻をご存知ですか?」

「ええ、存じてます」アイリーンは言った。気が動転していた。ブレイナード夫妻が裕福で社会的に重要な人物であることは聞いて知っていた。アイリーンの記憶によれば、ブレイナード夫人はフィラデルフィアのマリゴールド・シューメイカーだった。

「ブレイナード夫人がこのパリにいましてね」トリファーは続けた。「夫人とそのご友人の数名がやって来てマキシムで我々と一緒にディナーを食べます。そして、その後はアルゼンチン人のところに行くんですよ。そいつがまた愉快な人でしてね。一時間で身支度ができると思いますか?」トリファーはとても楽しい夜を心待ちにしている人の雰囲気を漂わせてドアの方を向いた。

「ええ、できると思います」アイリーンは笑いながら言った。「でも、始めるからには、あなたには出ていってもらわないと」

「同感ですね。お持ちでしたら、白を着てください。それと濃い赤のバラですね。ものすごく魅力的になりますよ!」

 アイリーンはこの馴れ馴れしい態度に少し顔を赤らめた。控えめに言っても、強引な紳士だこと! 

「そういうドレスが見つかったら、それにするわ」アイリーンは生き生きした笑顔を向けて言った。

「やった! 一時間したら戻って来ます。じゃ、そのときまで……」トリファーは一礼して立ち去った。

 身支度の間に、アイリーンは自分がトリファーのこの突然の厚かましい立ち入り方を理解できず、これまで以上に途方に暮れていることに気がついた。彼がお金に不自由していないのは明らかだった。しかし、これだけ優れた人脈があるのに、なぜトリファーは自分と関わる必要があるのだろう? なぜ、ブレイナード夫人ともあろう者が、自分が主賓でもない晩餐会に出席しなければならないのだろう? つじつまが合わない考えに悩まされたが、トリファーのこの気楽な親交は、たとえそれが見せかけだとしても、やはり魅力的だった。もし彼が他の多くの冒険家と同じように冷淡に金を求める冒険家だったとしたら、間違いなく賢い冒険家だっただろう。しかも、自分の都合でいくらでも楽しめる人で、過去数年の間にアイリーンに近づいたすべての人にはそいうところが欠けていた。彼らのやり方はいつだって退屈で、マナーがなっていなかった。

「準備できましたか?」トリファーは一時間ほどして戻ってくると、アイリーンの純白のドレスとウエストの赤いバラを見ながら、さわやかに声をかけた。「今出かければ、ちょうどですよ。ブレイナード夫人は、若いギリシアの銀行家を連れていて、夫人の友人のジュディス・ソーン夫人は私の知り合いではありませんが、アラブの族長のイブラヒム・アッバス・ベヴを連れてきています。一体このパリで何をするんでしょうね! でも、とにかく、英語は話しますから。ギリシアの方も大丈夫です」

 トリファーは少し紅潮していた。それどころか、さっきよりも自信満々だった。また調子を取り戻したと知って酔って高揚し、軽やかな足取りで部屋を歩き回った。トリファーはアイリーンを面白がらせようと、部屋の家具にケチをつけた。

「あのカーテンを見てください! まったく、よくあんなもので済ませますよね! さっきエレベーターでのぼってきたときは、キーキー音がしました。ニューヨークでそんなもの、想像できますか! こんなことをやらせているのはあなたのような人たちなんです!」

 アイリーンは大喜びだった。「そんなにひどいかしら」と尋ねた。「そんなこと考えたことさえなかったわ。じゃあ、ここ以外のどこに行けばいいのかしら?」

 トリファーはフロアスタンドの房飾りの付いたシルクのシェードを指でつついた。「これにはワインのシミがついている。それに、誰かがこの模造品のタペストリーをタバコで燃やしたんだ。まあ、仕方がないか!」

 アイリーンはトリファーを笑った。いばったような男らしさがおかしかった。「まあ、まあ」アイリーンは言った。「ここよりひどい場所に入れられていたかもしれませんし。そんなことより、ゲストをお待たせしているんでしょ」

「そうですね。あの族長はアメリカのウイスキーのことを何か知っているのかな。行って調べましょう!」

 一九〇〇年のマキシム。ぴかぴかにワックスがけされた黒い床、反射しているポンペイの赤い壁、金色の天井、三つの巨大なプリズムの電飾。正面と裏の出入口を除けば、壁には赤褐色の革の座席が並び、その前には小さなくつろげる夕食用のテーブルがあった。精神的、感情的な解放をもたらそうと計算されたガリアの雰囲気、それを当時の世界は一か所に、しかもたったの一か所求めた……それがパリだった。ただ中に入るだけで、幸せな興奮状態に陥ることになる。世界中の国の人種、衣装、さまざまな性格が存在した。そして、全員が富、肩書き、地位、名声の頂点に立ち、全員が行いや服装において慣習という鋼鉄の紐で縛られてはいるが、全員が慣習からの自由を求めながら、慣習にとらわれない形で慣習の名所に引き寄せられた。

 アイリーンはここで見ることにも、見られることにも、ものすごく興奮した。トリファーが予想したとおり、友人たちは遅れていた。

「族長は時々迷子になるんですよ」トリファーは説明した。

 しかし数分後に、ブレイナード夫人とギリシャ人、ソーン夫人とアラブの紳士が現れた。特に族長はちょっとした騒ぎを起こした。すぐにトリファーは実に堂々とした態度で注文とりを引き受け、テーブルの周りをハエのように飛び回る六人のウェイターたちを喜ばせた。族長はすぐにアイリーンに惹かれ、発見を喜んだ。アイリーンの丸みを帯びた体型、明るい髪、血色の良さは、ブレイナード夫人やソーン夫人のスリムな体や、派手さのない魅力よりも、族長には好評で、丁寧な質問を浴びせながらさっそくアイリーンにかかりっきりになった。どちらからいらしたのですか? ご主人は、こちらのアメリカ人のみなさんのように大富豪なのですか? バラを一つ、いただいてよろしいですか? 私はこういう色の濃いものが好きなんですよ。アラビアに行ったことはありますか? 移動を続けるベドウィン部族の生活は楽しいですよ。アラビアでもとても美しいですからね。

 アイリーンは、おしゃれに切りそろえた顎鬚と、長いかぎ鼻と、浅黒い顔の上のギラギラした黒い目に見すえられて、興奮といかがわしさを同時に覚えた。この男と親密な関係になったらどうなるのだろう? 仮にアラビアに行ったとして……こんな人につかまった人はどうなるのだろう? アイリーンは笑顔で聞かれたことにすべて答えた。まわりの面白がって向ける注意は確かに気に入らなかったといえ、トリファーとその友人たちがすぐ近くにいると感じるのはうれしかった。

 イブラヒムはアイリーンが二、三日パリにいる予定だと知ると、再会を求めた。グランプリに馬を参加させているんですよ。私と一緒に馬を見に行かないといけませんね。その後、一緒に食事をしましょう。あなたはリッツにいるんですか? ほお……私はボアの近くのサイード・ストリートのアパートに住んでいるんですよ。

 この場面を横目に、トリファーは上機嫌で、マリゴールドに取り入ろうと全力を尽くしていた。マリゴールドは彼のこの最新の仕事をなじった。仕事の性質をちゃんと理解していたからだ。

「ねえ、ブルース」頃合いのいいところで、夫人はからかった。「たんまりもらっといて、残りの私たちをどうするつもりかしら?」

「自分のことを言ってるのなら、そう言ってください。私はそれほど多くの問題をかかえていませんから」

「ないんだ? かわいそうなお連れさんってそんなに孤独なの?」

「そんなに孤独なんですよ、あなたが知ったのなら、なおさらだ」トリファーは冷静に言った。「でも、あなたのご主人こそどうなんですか? 邪魔が入ったら怒るんじゃないですか?」

「その辺の心配は無用よ」夫人は微笑んで励ますように言った。「あなたに会うまえに出会っただけだもの。でも、最後にあなたに会ってから、何年たったかしら?」

「うん、けっこうたつかな。でも、それは誰のせいなんでしょうね? それと、ヨットの方はどうなんですか?」

「いつもの船長だけしかいないわ! 船で旅でもしない?」

 トリファーは困った。ずっと夢に見ていたチャンスの一つがこれだった。なのに今、明らかにそのチャンスを活かせなかった。やると約束したことを続けなければならなかった。そうしなければ、このすべてが終わってしまう。

「まさか」トリファーは笑いながら言った。「明日出航するんじゃないですよね?」

「しないわよ!」

「本気なら、用心しないと!」

「人生でこれほどの本気はないわ」夫人は答えた。

「こればかりはわかりませんね。いずれにしても、今週のいつか私とお昼でも食べませんか? その後でチュイルリーでも散歩しよう」

 少し後で、トリファーは会計を済ませて、一行は立ち去った。

 サビナル邸。深夜。いつものように人が大勢いる。ギャンブル。ダンス。会話が弾むのもいれば弾まないのもいる内輪のグループ。トリファー一行に挨拶するためにサビナル本人が出迎え、人気のあるロシアの歌手と舞踏団の公演が始まる一時までアパートに行こうと勧めた。

 サビナルは有名な宝石や、中世イタリアのガラス器と銀器や、珍しい生地と色のアジアの織物を所有していた。しかし彼のコレクション……実にさりげなく展示されたもの……以上に印象的だったのは、彼自身のつかみどころのない悪魔的な存在であり、アヘンのようにすべての人に影響を及ぼす影のような人を引きつける力だった。彼はとてもたくさんの人を知っていたし、こいういう興味深い場所も知っていた。秋には旅行を計画していると言い、店はしばらく閉めることになった。東洋に出向いてすばらしい品物を集め、後で個人の収集家に売るのである。実際、こういう掘り出し物からの収入はかなりのものだった。

 アイリーンも他の人たちも魔法にかかってしまい、その場所を満喫した。トリファーは、店が成り立つ商売の拠り所を誰にも説明しないように注意していたので、なおさらだった。サビナルには自分個人の小切手を送るつもりだったが、サビナルが自分の友人であるという印象は取り除いた方がいいと思った。

 


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