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ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第29章

 

 この買収がロンドンでの今後の活動に与える影響を考えてうれしくなったクーパーウッドはアイリーンの機嫌をとりに行くことにした。トリファーからは音沙汰がなかったので、自分が関わらずにこの方向でこの先どんな行動がとれるかを真剣に考えていた。

 自分の部屋の隣にあるアイリーンの部屋に向かう間に、アイリーンの笑い声がした。中に入ると、ロンドンの店から来た女性の店員とお針子たちに周りを囲まれて、アイリーンが縦長の鏡の前に立っているのを見つけた。メイドがガウンを直す間に、アイリーンは見映えを確かめていた。部屋には包紙、箱、タグ、ドレスが散乱していた。着ているドレスは実にすばらしくて、いつもの着ているものよりもセンスがいいことに気がついた。口に針をくわえた二人のお針子が膝をついてテキパキと調整していた。その一方で、とても魅力的でしゃれた服装の女性がその二人に指示を与えていた。

「おや、おや」クーパーウッドは入りしなに言った。「もしいやでなかったら、観客を演じても構わないんだが、少し邪魔者という気がするな」

「入ってよ、フランク」アイリーンが声をかけた。「ちょうどイブニングドレスを試着しているところなの。もうそんなにかからないわ。こちら、主人です」アイリーンが集まったグループに紹介すると、一同はうやうやしくお辞儀をした。

「うーん、淡い灰色が一番似合っていると言うしかないね」クーパーウッドは言った。「それだと髪が映える。きみほどにそれを着こなせる女性はそうそういないな。でも本当に立ち寄ったのは、しばらくロンドンに逗留することになりそうだと言うためだったんだ」

「本当?」アイリーンはクーパーウッドを見ようと少し頭を曲げながら尋ねた。

「きみに話してあった仕事がある程度片付いたんでね。細かい部分を除けばすべてけりがついた。きみが知りたいかと思ってね」

「まあ、フランク、すてきじゃない!」アイリーンは喜んだ。

「もうこれからはきみにかまってはいられなくなる。やることがたくさんできたからね」

「それより」アイリーンは言った。夫が逃げたがっているのを感じとり自分のことで安心させてやりたくなった。「トリファーさんが電話をくれたわ。戻ってきてディナーに来てくれるのよ。あなたはお仕事の都合があるから、私たちとは一緒に食事はできないかもしれないと説明しておきました。きっと、わかってくださると思うわ」

「それは少し難しいな」クーパーウッドは言った。「しかし、そうなるように最善を尽くすよ」……この発言をアイリーンは価値あるものだと受け止めた。全然なかったのに。

「わかったわ、フランク」アイリーンが言うと、クーパーウッドはお別れに手を降って部屋を出た。

 もしそうだとしても明日まで再び会うことはないとわかっていた。しかし、あることがこのいつもの無関心な態度をアイリーンにあまり強く感じさせなかった。アイリーンとの電話の会話の中でトリファーは自分の怠慢を謝罪し、フランスには来ますかとしきりに尋ねた。アイリーンは、女性に親切にしたがる男性にばかり自分が気に入られることに困惑した。一体、どういう理由で、彼はこうも自分に関心を寄せるのだろう? お金に違いない。それにしても、何て魅力的なのかしら! 動機はともかく、トリファーが気にかけてくれるのはとてもうれしかった。

 しかし、トリファーがアイリーンをフランスに来させたかった主な理由は……ロンドンからアイリーンを追いはらいたかったクーパーウッドの願いとたまたま一致したが……トリファー自身がパリの魅力に太刀打ちできない犠牲者の一人だったからだ。その当時、自動車が一般に普及する前、パリはその後の時代よりも、裕福なアメリカ人、イギリス人、ブラジル人、ロシア人、ギリシア人、イタリア人……世界中の国から来た人々……行楽客とか、華やかな店、すてきな花屋、夏場店先に椅子やテーブルを並べるたくさんのカフェ、派手なキャバレー、森の盛大なパレード、オートゥイユの競馬、ギャンブル、オペラ、劇場、裏の社会などを体験に来た人々など……が休日を楽しむ中心地だった。

 リッツという国際的なホテルが登場した。また、グルメのレストランもあった。カフェ・ド・ラ・ペ、ヴォワザン、マルグリィ、ジルーなどがそうで他にも六軒あった。一文無しの詩人、芸術家、ロマンス作家向けには、カルチェ・ラタンがあった。雨、雪、春らしい日々、秋めいた日々、輝く太陽の光、灰色の空は、あらゆる敏感で創作意欲旺盛な気質に、成功への影響を及ぼすという点では似ていた。パリは歌った。そして、若者、昔を振り返る老人、野心、富、敗北や絶望さえもが、パリと一緒になって歌った。

 人生の最初の頃、トリファーは金まわりがよくて、目の前にきらびやかなプレイボーイの暮らしがあったことを忘れてはならない。立派な服を着ることができ、まともな住所があり……その時はリッツだった……一流のおしゃれな場所へ駆けつけて、ロビーを見渡し、バーに立ち寄り、友人知人に挨拶できることはとても楽しかった。

 ある日曜日の午後、森で、トリファーはかつての恋人に偶然出くわした。昔はフィラデルフィアのマリゴールド・シューメイカー、今はバーハーバーとロングアイランドのブレイナード家のシドニー・ブレイナード夫人である。一時期はトリファーに夢中だったが彼が貧しかったので、お金が無尽蔵に思えたブレイナードのためにトリファーを捨てたのだ。夫人はニース沖に停泊中のヨットを所有していた。完璧に着飾り、いかにも冒険家らしい雰囲気がいっぱいのトリファーの姿は、自分の刺激的でロマンチックなデビュー時代を夫人に思い出させるのに十分だった。夫人は心からトリファーを歓迎し、エスコート役に紹介して、パリの住所を伝えた。トリファーは他の人たちを通してそうだったように、アイリーンを通して、少なくとも長いこと自分に対して閉ざされていたドアのいくつかが開く光景を見た。

 しかし、これはアイリーンのおかげだった。また別のことだった。自分のためになることをやりながら、アイリーンを楽しませるには最高の技術が必要になりそうだった。上流階級の大物らしく見せかけられそうな小物を探さなくてはならなかった。すぐにトリファーはいろいろなホテルの宿泊者名簿を調べて、知り合いの女優、ミュージシャン、歌手、ダンサーの名前がないか調べた。楽しいことを保証すると引き受けてもらえた。アイリーンがパリに来たらすぐに娯楽を提供できると確信しながら、今の服の着こなしは満足とは程遠いと思ったので、一流のドレスメーカーたちを自分で訪ねてまわってこの悩みを解消した。言葉巧みなアドバイスがあればこれは改善され、同時に彼女を友人に紹介するときの負担も軽減できると信じた。

 トリファーの最も期待できるパリの人脈の一つは、シカゴの知人がビクター・レオン・サビナルというアルゼンチン人に紹介したときにできあがった。祖国では名門の家柄の裕福なこの青年は、お金と手紙と、すぐにこの国際的都市の社交界に入れるようにしてくれた人脈を持って、数年前にパリに到着した。それにもかかわらず彼は自分を放蕩三昧にふけらせた気質のせいで南米の両親の忍耐を枯渇させてしまった。息子に羽目を外させないために両親は突然その後の仕送りを打ち切った。これで彼はトリファーの場合と同じように、借金やごまかしをするようになり、最終的には以前からの友人や保守的な友人の扉を閉ざしてしまった。

 しかし、彼の両親がものすごく裕福であることと、我が子を罰した考えを将来改める可能性がきっとあることを、友人は誰も忘れなかった。言い換えるなら、彼はまだ金持ちになるかもしれない。もしそうなら、友人でいれば忘れられることはないかもしれない。だから陽気でいろいろな才能に恵まれた取り巻きが残った。芸術家、軍人、各国の放蕩者、富を追求し楽しみを探索するタイプの魅力的な男女が残った。実際、ちょうどこの時彼は、フランスの警察や政治家と取り引きして、店を開くことを許されていた。実際、後援者であり親密でもある大勢の友人にとっては、魅力的で、気晴らしになる、便利な場所だった。

 サビナルは背が高く、細身で、色が黒く、その細長い血色の悪い顔と、目立つほど高い額のせいで、全体的な雰囲気が悪人ぽかった。黒くて光沢のある目の片方は、まるでガラスでできているかのように、まん丸でぱっちりして見えるが、もう片方はそれよりも小さくて細く、垂れたまぶたで部分的に隠れていた。薄い上唇と、不思議なほど突き出ているのに魅力的な下唇をしていて、歯並びがよく、丈夫で、輝くほど白かった。細長い両手と両足は、細長い体に似て、しなやかで張りがあった。しかし全体的には、狡猾で、優雅な人だが、あまり気を許せるような魅力ではなかった。前を横切る者は誰であれ、自分の身辺に気をつける覚悟をしなければならない、と全身で示唆しているようだった。

 ルー・ピガルにある彼の店は決して門を閉ざすことはなく、お茶に来た人は大体朝食まで残っていた。小さなエレベーターでたどり着く広い三階の一画はカジノだった。二階の一室は小さなバーで、サビナルの故郷から来たかなり有能なバーテンが一人いるが、必要に迫られて時々二、三人、助っ人を使うこともあった。一階には、手荷物室、ラウンジ、キッチンの他に、名画のギャラリーや面白そうな書庫があった。品揃えの充実したワインセラーもあった。ランチ、お茶、本格的なディナーから形式ばらないディナー、朝食まで提供してくれて、ささやかなチップ以外何の対価もないシェフは、別のアルゼンチン人だった。

 トリファーはサビナルに会ってすぐに、自分は自分と同じ仲間だがはるかに大きな力を持つ人の前にいることに気がついた。トリファーは喜んで招待を受けて彼の店を訪問した。そこで、フランスの銀行家や議員、ロシアの大公、南米の大富豪、ギリシアのギャンブラー、その他大勢の、とても気になるさまざまな人たちに出会った。すぐにトリファーは、ここなら自分が世界的な重要人物に会っているという印象をアイリーンに与えずにはおかない交流をうまく作り出せると感じた。

 ロンドンに到着したとき、トリファーを得意にさせていたのは、このアイデアだった。アイリーンに電話をかけた後、ヨーロッパの夏に合わせて自分の身なりをきちんと整え、ボンド・ストリートでその日の大半を過ごしてからアイリーンのホテルに向かった。今はまだ愛情を示す素振りはしないことに決めた。アイリーンその人のことを気に入ってしまい、見返りを求めずに、こうでもしなかったら彼女では手の届かない社交の機会を提供したがっている、損得を考えない友人の役を演じるつもりだった。

 アイリーンはいつもの挨拶の前置きに続いて、さっそくハドンフィールド卿の領地を訪問した話を始めた。

「ハドンフィールド……ええと、ああ、覚えてますよ」トリファーは言った。「数年前は合衆国にいましたね。確かニューポートだったかサウサンプトンでばったり会いましたよ。実に愉快な人です。賢い人が好きなんですよ」

 実は、トリファーはハドンフィールドに会ったことがなかった。しかし、人づてに聞いて彼のことは知っていた。そして、すぐにパリ滞在中の出来事を話し始め、今日はロンドンでレッシング夫人とランチをとったと付け加えた。アイリーンは今朝、新聞で夫人の社交的な行動について読んでいた。

 このすべてがうれしかったが、アイリーンにはトリファーの自分への関心が未だに解せないようだった。トリファーがアイリーンから何かの社会的な利益を期待するというのは、明らかにありえなかった。フランクから何かを得ようと期待しているに違いなかった。アイリーンは困惑したが、アイリーンのダンスの相手の報酬がクーパーウッドから出るとしても微々たるものであろうことも確かだった。彼はそういう人ではなかった。だからアイリーンは当然疑ったが、たとえためらいがあったとしても、トリファーは人として本当に自分に惹かれている、と考えざるを得なかった。

 二人はその晩プリンスで一緒に食事をした。トリファーは、アイリーンが願えさえすればかなうかもしれない娯楽について好奇心を刺激しながら説明して楽しませた。パリを絶賛した。

「いかがでしょう……そんなにご主人がお忙しいのでしたら……あなただけでも行ってみるというのは?」トリファーは提案した。「やることだって、見るものだって、買い物だって、面白いことはたくさんありますからね。こんなに陽気なパリは見たことがありません」

「あたしだってとっても行きたいわ」アイリーンは認めた。「だって、本当にしたい買い物があるんですもの。でもね、夫が一緒に行けるかどうか、あたしにはわからないのよ」

 トリファーはこの最後のセリフを少し面白がったが、無慈悲に面白かったのではなかった。

「どんなにお忙しいご主人でも、奥さんパリで買物をするなら二週間はくれると思いますよ」トリファーは言った。

 アイリーンはさっそくこの新しく見つけた友人の入れ知恵を試したくて声を大にした。「あたしがどうする気か教えてあげるわ! 明日フランクに聞いて、あなたに知らせるわ」

 ディナーの後で、セシリア・グラントのアパートで行われる形式張らない定例の『火曜日の夜会』を訪れた。セシリアは人気のレヴューに出演している女優で、ついでに言うと、ロンドンでものすごい個人的魅力と人気を誇るフランス人、エチエンヌ・ル・バー伯爵の愛人だった。トリファーは、セシリアのドアをノックすれば、アイリーンと自分が歓迎されることを知っていた。そして、二人がそこで出会った人々は……風変わりな伯爵夫人、つまりイギリス貴族の奥方を含めて……アイリーンには紛れもなく大物に見えた。トリファーの動機が何であれ、彼の人脈は自分のより、いや、クーパーウッドのよりもはるかにすごいとアイリーンに確信させた。このとき、口にこそ出さなかったが、アイリーンはパリへ行く決心をした。

 


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