波及する異常事態
日本国の異常事態発生から40分後 【米国 ワシントンDC ホワイトハウス上空 】
ホワイトハウスの傍らでローターを回したまま待機していた海兵隊大統領専用機マリーン1が慌ただしく離陸する。
大統領執務室で補佐官と打ち合わせをしていたペンス大統領は、執務室に駆け込んできた海軍作戦部長に促されるままマリーン1に乗せられアンドリュー空軍基地へ向かっていた。
アンドリュー空軍基地では大統領専用機がエンジンを始動させて待機している。
基地上空にはF22ラプター戦闘機の編隊が旋回して警戒態勢を取っている。
マリーン1が滑走路脇で待機していたエアフォース・ワンの後方に着陸して大統領がタラップから降りると、完全装備の海兵隊員が大統領を前方のエアフォース・ワンまで急かしながら誘導する。
マリーン1が到着して2分後、大統領がエアフォース・ワンの機内に入ると同時にエンジン出力を上げた機体が滑らかに移動して滑走路に入る。
15秒後、エンジンを最大推力まで上げたエアフォース・ワンはアンドリュー空軍基地から離陸した。
「アジアの我が軍兵士の安否はどうなっている?」
窓辺から護衛しているF22戦闘機を眺めるペンス大統領が同乗しているマッコイ国防長官に訊く。
「大統領閣下。いずれも当直を離れていた兵士の多くと連絡が取れず、又ある者は基地内で溶解しているとの事です」
マッコイ国防長官が顔を青ざめさせながら答えた。
「ロシア熊どもがやったのか?」
「CDC(疾病対策予防センター)からは細菌兵器の可能性は極めて低いとの一次報告が来ています。現在も調査中です」
「ホワイトハウスへ向かう直前にロシア軍参謀総長からペンタゴンに細菌兵器使用の問い合わせがありました」
マッコイが報告する。
「ロシアも混乱しているようです」
「いずれにしても緊急事態だ。万一に備えねばならん」
「デフコンは2(出動準備態勢)に上げろ。モスクワと北京、西側同盟国にも通告するんだ!」
ペンス大統領が指示する。
(人体溶解などオカルトチックな状況とは……宇宙人の奇襲なのか?)
北米大陸上空を緩やかに旋回するエアフォース・ワンの機内でペンス大統領は異常事態に戦慄していた。
――――――日本の非常事態発生から50分後【米国 ニューヨーク CNNのニューススタジオ】
顔面が半分引き攣った蒼白の女性アナウンサーが、感情を抑えた低い声で視聴者に語りかけていた。
『番組の途中ですがアメリカ国民の皆様、この放送を視聴されている全世界の皆様にお伝えします。
本日東部時間23時頃、現地時間で朝の7時半頃から日本全土で多数の市民が突然溶解し始めたとの事です』
『現在、東京支局からの連絡は途絶しています。日本の国営放送は先程から総理大臣による緊急非常事態宣言と戒厳令の布告、自衛隊の治安出動を命令したとの緊急声明を繰り返し流すとともに、国民に外出しないように呼び掛けています』
『ペンタゴン報道官はCNNの電話取材に対し、日本の沖縄、佐世保、横須賀、座間、横田、三沢ベースは”機能している”とコメントしましたが、駐留兵士の安否についてはコメントを拒否しました』
国務省報道官は、東京の大使館と連絡は取れているとしながらも、東京以外の領事館からの連絡が途絶していると発表しました』
『日本で起きている異常事態に対し、間もなくホワイトハウスから緊急声明が出される模様です。国連安全保障理事会は緊急理事会の開催を決定しました』
ここまで一気に読み上げた女性アナウンサーは、一息ついた後に脇から差し出されたメモを受け取って一瞥すると顔を俯けてしばらく無言となってしまった。
やがて顔をあげた彼女の表情は恐怖を通り越した無表情になっていた。
『今入った情報によりますと、北京、ソウル、台北、マニラ、バンコク、ジャカルタ等アジア各地でも日本と同様の異常事態が発生している模様です』
『アジア全域で発生している異常事態により、ニューヨーク証券取引所(NYSE)は先程から”全ての”取引を停止、先物市場や原油取引も無期限閉鎖を発表しました。ロンドン、パリ、フランクフルトも同様の市場閉鎖措置を取った模様です』
『未確認情報ですが先程アンドリュース空軍基地からエアフォースワンが離陸したとの事です』
『CNNでは通常の番組を全て中断してアジアの異常事態について引き続きお伝えする予定です』
女性アナウンサーを映した画面から、日本の国営放送が中継する渋谷スクランブル交差点を写す画面に切り替わる。
世界的な観光名所として有名な渋谷スクランブル交差点は人気がなく、ただ人体の溶解したであろう赤や黄色の液体と衣服が交差点一面に散乱する異様な光景となっている。
画面には映っていないが、女性アナウンサーが何度も「アンビリバボー!!」と絶叫しているのをマイクが拾っていた。
多くのアメリカ人はアナウンサーと同様に呆然と言葉もなくテレビ画面を凝視していた。
だが、遠いアジアの出来事でありまだ自制心はある様だった。
西半球の人々は知らなかった。
夜明けとともにアジアの異常事態が''こちら''でも起こるということを。
米国東部標準時7時15分、ニューヨーク市内で人々が溶解した事が確認されたのを皮切りに、全米各地で人体溶解が拡がっていった。
米国東部標準時7時30分、合衆国大統領マイケル・F・ペンスは全てのメディアを通じて合衆国全土に非常事態宣言を発令、国民に核シェルターへの避難を呼びかけると共に、全世界の米軍にデフコン1(戦闘出動態勢)を発令した。
――――――同時刻
ロンドン、パリ、ベルリン、ブルュツセル、モスクワ、北京でも同様に人体溶解が確認されると各国政府は次々と非常事態宣言と国防組織の臨戦態勢を宣言した。
この日、世界でどれだけの人間が溶解したかは各国政府の混乱により正式な記録が残されていないが、国際赤十字が後年明かした非公式集計によると、少なくとも数十億人を超える人々が溶解している。




