第五話 「未練の還る場所」
キィィ、と錆びれた音を立てるブランコ。
錆びれているし―寂れている。
こじんまりとした公園の、こじんまりとしたブランコには、少女―の体を拝借した幽霊―赤崎静が座っていた。
「体…勝手に借りてごめん、遥」
全員が寝静まったのを確認して、申し訳ないと思いつつ、彼女に断わりも入れずに体を借りた赤崎は今、幼い頃によく三人で遊んでいた公園へと足を運んでいた。
滑り台とブランコと、古ぼけた木のベンチが一つだけの、とてもこじんまりとした公園。
ここ最近は三人で来る機会はなかったけれど、遥という妹がいると知ってからは、よく彼女を連れてこの公園へと来たりしていた。時折一人でも、足を運ぶこともあった。
「…ああ、いや。そういえば、つい最近来たんだっけ」
夏休み前日の、終業式の日。
まあもちろん、当然のように当たり前のように、赤崎はもう死んでいたわけだけれど。
「…祭、怒っているかな。黙って出てきたこと」
そう呟いて、あの幼なじみのことを“祭”と名前で呼ぶのは随分久しぶりだと、赤崎は苦笑いを浮かべる。
自分の生い立ちと、そして母親のことについて聞いた八月三日、あの日から赤崎は、緑間祭のことを名前で呼ぶことはしなくなった―というか、名前で呼ぶことを、極端に避けていた。
理由は、ふわふわしていてとても曖昧だけれど、それはおそらく、彼にとって一種の戒めのようなものだったのだろう。おそらく緑間の方は、それに気づいてはいないだろうが。
赤崎は、大きく息を吐いて、ゆっくりと空を仰ぐ。
真夜中であるというのに、空から覗く月のおかげでやけに明るく感じた。
このまま自分は、夜の闇に溶けて消えてしまうのではないかと―消えてしまえたらいいのに、と赤崎は思った。
もう消えた存在であることに、変わりはないけれど。
それに、いずれにせよ、自分はもうすぐ消えるのだ―平たく言えば、「成仏する」ということである。
(残り時間が少ないことは、多分、ずっと前から気づいていた。それこそ、祭と再会したあの日から)
僕はきっと、もう直消える。わかっていたことだった。
僕は生きている側の人達の強い想いによって、この世に留まることを余儀なくされた存在だ。
そしてその強い想いこそが、生きている側の人達の、僕に対する「未練」とか、そういうもの。
不思議なことに、それらは僕の体に深く絡みつき、鎖となった。重く重たい鎖に。それが僕が成仏出来ずにいる理由―なんだろう。と思う。
勿論その鎖には、僕自身の未練も含まれているのだろうけれど。
でもこの一ヶ月間で、その重たい鎖は少しずつ僕の体から消え去っていった。残るは祭と遥と、そして僕自身の未練だけだ。
祭と再会した時は未練なんてないと言ったけれど―どうやらそんなことはなかったらしい。
見つけるのに大分時間がかかったけれど、僕はようやく≪やり忘れた夏休みの宿題≫を鞄の中から見つけ出すことが出来た。
僕の未練は、とっくのとうに終わっている。だから後は、この体がこの世から消えるのを待つだけだ。
祭と遥の未練がまだ残っているけれど、一番深く根付いていた(と思われる)自分自身の未練がなくなったのだから―。
「…なくなったんだよね、一応」
伝えるべきことは、伝えたんだし。
赤崎は、地面を軽く蹴ってブランコをこぎ始めた。
『ん?なんだよおまえ。どっからきたんだ?つーか、かってにはいってくんなよ、おれたちのエリアだぞ!』
『もーやめなよまつり!みんなのこうえんなんだから!』
「……」
錆びれた音を立てて揺れ動くブランコ。
それに乗る僕。
『おまえ、しずかっていうのか?おとこらしくねーなまえだなあ。おれはまつりっつーんだ、かっこいいだろ』
『まつりってなまえもじゅうぶんおとこらしくないし、かっこよくないよ。あ、わたしはあおこっていうの、よろしくね』
『なんで、このこうえんには…ブランコが、ひっぐ、ふたつしか…ない、んだよ…っ』
『もー!じゃんけんでまけるたび、そうやってなくのやめてよ!』
『約束する、俺達は絶対にお前を裏切らない。ずっと一緒だ』
『私と、静と、祭、三人の一生の約束ね』
ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます。
「…指、切った」
僕はただ、ブランコをこぐ。
『なんっつうか、制服って落ち着かなくね?』
『そう?中学生になったって感じで、私は割と好きだけど。静はどう思う?』
『ちょっと祭!ブランコの二人乗りは危ないからやめなさいって、いつも言ってるでしょー!』
『仕方ねえだろうが。ブランコが二つしかないこの公園が悪い。な、静』
ひどい言いがかりだなあといつも思っていた。
あの頃の僕は、なんと返していたんだろう。
そういえば、ブランコの二人乗りで立ちこぎをするのは、いつも僕じゃなくて祭の方だった。
『辛い時は、ちゃんと泣け。俺と静で、ちゃんと受け止めてやるから』
『う…っひっく、あ、うわああああああん』
青子はひとしきり泣いた。彼女の両親が亡くなったのは、確か僕達が中学三年生の頃だ。
あの日から青子は、滅多なことでは泣かなくなった。
『静も祭も、進路どうするか決めた?』
『え、何、逆に聞くけどお前決まってねえの?もう中三の秋だぜ?わかってんのか?』
『…アンタのその顔、ほんっとムカつく』
『しばらくお別れね、この公園とも』
『おいコラ、お別れとか言うな。受験終わったら、また来りゃあいいだろ。』
目頭が熱くなる。
「祭…青子…」
ここは、あまりに思い出が多すぎる。
なんで僕は、最後の最後でここに来てしまったんだろうか。
『ったく、相変わらずお前ってノロマだよな。その上どんくせーし…ほら、手。貸してやる』
『掴まって、静』
―幼い頃の自分は、どれだけ彼らに助けられていただろう。
差し伸べられた二つの手に、自分は今まで幾度となく救われ、掬われてきた。
ありがとう、と小さく呟く。
『バーカ、礼なんていらねえっつうの』
『だって私達、静のことが大好なんだから』
赤崎はズザザザ、と地面に足を引っかけてブレーキをかける。ブランコをこぐのをやめた。
涙で視界が滲む。
『本当に、好きだった』
ぽたり、と頬を伝った涙が地面にしみを作った。
(…やっぱり)
『お前が生まれてきた理由なんて、初めから決まってんだよ』
―“俺達に会う為だよ。そんなこともわかんねえのか、赤崎静は”
「…成仏なんて、したくないなあ」
離れたくない。別れる日なんて来なくていい。幽霊のままでいいから、二人とずっと一緒にいたい。
初めて会ったあの日から、それだけは変わらない。紛れもない僕の意思だ。
離れた方が二人の為になるとわかっていた。それでも、結局最後まで諦められなかった、僕の我儘。
「…はは、これじゃあ、全然だめだ」
成仏なんて、出来っこない。
消えたくないと、誰より自分自身が叫んでる。
それに気づいていたから、僕はこの公園にやってきたんだろう。
「…馬鹿だな、本当に」
一体僕は、どれだけのものを望めば気が済むのだろう。
思い出を拾いに来たはずなのに、僕はまだ、心のどこかで見つけてくれることを期待している。
本当に、馬鹿みたいに。
「―静!」
と、その時。前方から自分を呼ぶ声が聞こえ、赤崎の体が固まった。ブランコを支える鉄製の鎖を握る手に、微かに力がこもる。
声の主は息を荒げながら地面を蹴り、この公園の中へと入ってくる。
勿論、姿を確認するまでもなく赤崎にはそれが誰かわかった―赤崎を見つけるのは、いつだって彼だったから。
(ここにいれば、いずれ君が僕を見つけるだろうって、わかっていた)
それでもこの場所に留まったのは、彼がここに来てくれることを期待したから。
自分から“さよなら”と告げたくせに、随分と都合の良いことを言っていると赤崎は思う。軽く、自己嫌悪に陥ってしまいそうになるくらいには。
(それでも、)
いつかのように。
君なら僕を、見つけてくれると思っていた。
君はつくづく、僕の期待を裏切らない。本当に―よく出来た幼なじみだよ。
「…やあ」
ぎこちない笑顔になったという自信はあったものの、構わず赤崎は軽く右手を挙げて、彼へ再会の挨拶を口にした。
そんな赤崎の様子が気に入らなかったのか、「やあ、じゃねえだろ」と彼がギロリと睨みつけてくる。ああ、怒ってるなーと赤崎は苦笑い。
「さよならって、言ったじゃないか。祭」
「知るかそんなもん。自分勝手に終わらせてんな、バカ静」
(…うん。ごめん。本当に、ごめん)
僕一人だけじゃ、どうやらこの物語の幕は引けないみたいだ。
だって僕は、思い出を拾うことはできたけれど、思い出を置いていくことは出来なかったんだから。
だから、最後にほんのちょっとだけ付き合ってほしい。
そして、きちんと終止符を打って終わりにしよう。
僕と君の物語を。




