第四話 「別れの言葉」
それから俺達は、とにかく騒いで、笑いあった。
静が死んで、どことなくぎくしゃくとしていた響達との関係も、すっかり上手い具合に修復されて、久しぶりに全員が揃った。
眠気なんてくるわけもなく、この時間がずっと続けばいいのにと、そんなことを願いながら、はしゃいで、食べて、遊んで、笑った。
時間の経過でさえ、忘れてしまうほど。
七月七日から八月七日までの、ここ一ヶ月の出来事が、全て夢だったのではないかとさえ、錯覚してしまうほどに。
―静が死んだという事実を、忘れてしまいそうになるくらい。
『―――、』
(………静?)
声が聞こえた。とても小さくて、上手く聞き取れない。
その声は、とても遠かった。
何を言っているのか、どうしても聞こえない。
『――――』
『――――』
(お前、何が言いたいんだよ…)
幼なじみの姿を探す。だが、探そうにも視界は真っ暗闇だ。理由はわからない。自分は今どこにいるのだろう。
幼なじみの姿を、捉えることができない。
これは一体、なんだ?
響達は、どこに。
『――――』
―はっ。
まるで悪い夢から醒めたかのように、突然緑間はがばっと起き上がった。視界に飛び込んできた人工の光に、思わずもう一度目を閉じる。電気だ。
息が、切れている。
緑間は額を押さえ、深く息を吐いた。
「……寝てたのか、俺は」
いつの間に眠ってしまったのだろう。散乱している“昨日”の名残や、四方八方に散らばって眠っている響達を横目で見つつ、緑間は考えた。
見間違えるはずもなく、ここは赤崎の家である。そして緑間は、自分達が何故ここにいるのか―その理由を知っている。天井から吊るされている一文字を見れば、一目瞭然だ。
“Happy Birthday,Shiztuka,Mathuri”
「途中までは、ちゃんと覚えてるんだけどな…」
あの後―優がようやく目を覚まし、体中の落書きのことで一悶着ありはしたものの、全員で楽しい時間を過ごしていた。
ババ抜きをしたり、神経衰弱をしたり、王様ゲームなんかもやって、俺は王様の静の命令で危うく青子とキスをやらされそうになって。
初心に戻って、かくれんぼをして。
まあ、この場合静の姿が視える者でないと鬼は務まらないので、俺と姉ちゃんと響の三人がローテーションで鬼をやったわけだが、幼い頃を思い出して、ほんの少しだけ泣きそうになったのを覚えている。
他にも、たくさん―たくさんだ。
今日は絶対寝ないぞー!なんて、全員で意気込んでいたわけだが、どうやら現実は違ったらしい。
「じゃああれは…夢、だったのか」
『――――』
(………、)
ふと、先ほどまでそこになかったはずのものが目の端をちらついて、緑間は顔を上げた。
倦怠感というか、とにかく体がだるかったが、緑間はゆっくりと重い体を持ち上げてそれに近づく。
短冊だ。
そういえば、響たちが何を願い事として書いたのか、まだ目を通していなかったと思い、緑間は一枚一枚を手に取って短冊を読んでいく。
“静くんが、ちゃんと還れますように”
オレンジの短冊を、丸々とした特徴のある字が綴っていた。今時の女子が使いそうなこのくせ字を、緑間はよく知っている。美咲だ。
“しずか先輩が、安心して眠れますよーに”
ピンクの短冊に、お世辞にも綺麗とは言えない無骨な字が、右上がりに並んでいる。女子にしては異常なほどに字が汚い―琴乃だ。
“優しい夢を、見れますように”
黒い短冊に、白い文字で簡素な文が綴られている。必要最低限の言葉しか言わない、書かない―青子とは別の意味で、ここまで端整な字を書くのは優しかいない。
じわりと、視界が涙で滲む。ぼやけて、字が、読みにくい。
“静先輩が、安らかな眠りにつけますように”
白い短冊に、琴乃と瓜二つの文字が並んでいる。先日遥に見せてもらった手紙と同じ字で書かれているそれには、やはり双子故なのか、琴乃と類似の文章が綴られていた。響である。
「安らかに眠れるように…か」
緑間は、白い短冊を―響の願いを、反復する。赤崎の成仏を心から願う、その文字を。
わかっている。
“また”
―ずっと、わかってはいた。
“また、みんな揃って笑い合える日が来ますように”
ここにいる全員が、静のことを成仏させたいんだと、本当はずっと、わかっていた。
俺だけがいつまでも静に執着して。
俺だけが、あいつの背中を押してやろうとはしなかった。
ワープロで打ったかのような、秀麗な文字が、ようやく静のことを過去にしたんだと言っているようで、それが嬉しいのか悲しいのか、わからないまま―青い短冊に、ぽたりと涙が落ちた。
みんながみんな、自分の願いを押し殺してそれでも、あのバカな幼なじみの幸せを、一番に優先したんだ。
それが永遠の訣別になるとわかっていて―だからこそ、その結果が、この五枚の短冊だった。
「わかってる…わかってんだよ。どうしようもない我儘だって、それくらい、俺だってわかってる」
思い出に出来るように頑張るだとか、早く成仏しろだとか。表ではそんなことを言っていても、結局俺は、未だにあいつを現世に縛り続けていて。
静の成仏が、刻一刻と近づいてきていることもわかっていて。
それでもやっぱり、俺は現実と向き合えない子供のままだ。
―“成仏なんて、してほしくないんでしょ?”―
“僕の為を願うみんなが、幸せになってくれますように”
赤い短冊に、小さくて細い、妙にバランスの良い字が綴られていて。
いつ書いたんだろうか、とか。どうやって書いたのか、とか。そんなのは、今の俺にはわからないけれど。とりあえず今は、そういう矛盾を全部横に置いておいて。
「馬鹿野郎…」
本当は、目を覚ました時に気がついてはいたんだ。その違和感に。
それでも俺は、ただそれを信じたくなくて。
目を、そらしていたかっただけで。
本当は。
静と遥がいないことに、気がついていた。
『―――さよなら』
あれは、夢なんかじゃなかったんだ。あれはあいつが、最後の最後で俺に残した、最初で最後の未練だった。
「ふざけんな…っ」
こんな紙切れ一枚で、あんなしみったれた別れの言葉で、ひとりで勝手にいけると思うな。
『もう、いくよ。今まで本当に、ありがとう』
「さよならは言うなって…お前が言ったんだろうが」
緑間は、先ほど響に手渡された緑の短冊に、傍らに置いてあったサインペンで殴り書きをして、乱暴にそれをポケットへと押し込んだ。
それと一緒に、何故だかわからないけれど、持って行かなくてはならないという一種の使命感のようなものに駆られ、緑間は以前響に渡された赤崎の日記を手に取った。
『僕を成仏させてほしいんだ』
『最後は笑って…見送ってくれるかい』
「別れの挨拶くらいちゃんとさせろ―バカ静!」
そして、走る。
バカな幼なじみを庇って死んだ、やっぱりバカな幼なじみのことをぶん殴るために。
行く先は決まっている。
俺なら多分、最期はあそこに行くだろうから。
「勝手にいくんじゃねえぞ…静、」




