第二話 「好きだった」
「不思議ね…遥ちゃん、今は静にしか見えないの」
ろうそくの火を消した後、すぐに体を返そうと思っていた赤崎は、遥に申し訳ないと思いつつ、自分の部屋のベッドに腰を降ろしていた。どうやら、もうしばらくは彼女に体を返却出来そうにない。
そんな赤崎の心情などいざ知らず、青子の方は窓から差し込む月明かりを一身に浴び、そう言って苦笑いを浮かべている。
純粋に、彼女のことを綺麗だと赤崎は思った。
「…話っていうのは?」
「その、結論を急ぐ感じの喋り方…本当に、静みたい」
みたいじゃなくて、中身は今のところ、一応本人なんだけどなあと赤崎が言うと、そんなことわかってるわよ、と悪戯っぽい笑みで返された。
「あの時も確か…こんな風に、月が綺麗な夜だったっけ」
「あの時…?」
あの時、とそんな抽象的に言われても、赤崎にはあまりピンとこなかった。長い間、同じ時間を共有してきたのだから、当たり前である。
あの日、や、あの時、が該当する記憶が、彼らの間には多すぎる。
そんな赤崎の気持ちを読み取ったのか、青子が若干目を伏せがちに“あの時”のことを話した。
「四年前くらいになるね…私が静に告白したの。覚えてる?」
「―――、」
(ああ、そうだ)
あれは確か、中学三年生の冬の頃だった。
青子の両親が亡くなって、それと同時に彼女が一人暮らしを始めて、赤崎もそれにつられるように緑間の家を出て、自分の家へと戻って。
一人暮らしは、暗くて寂しくて悲しくて。
しばらく経って、それに耐えられなくなった青子が、やや強引に押し切った形で、赤崎の家へと転がり込んできた。赤崎はそれを、どうしても拒めなかった。
けれど、さすがに高校生になったら今みたいな同居生活は出来ないから。だから言ったのだ。青子に、赤崎はそう切り出した。
(そうしたら、君が、「嫌だ」なんて言うものだから)
好きでもない人とこういうことをするのはよくない、と僕は今更言ったんだ。
そうしたらベッドに押し倒されて、どうしても押し返せなくて、されるがままにキスをされて。
好きだと言われた。
今でも、その時のことを時々思い出しては、胸が焼けるように熱くなる。
青子が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。そして―あの日と同じように、赤崎をベッドへと押し倒した。
「ちょ…青子?」
「四年前より押し倒すの、簡単だったよ?やっぱり女の子の体だからかな」
青子の手が、赤崎の両肩をベッドへと深く押し付ける。
押し退けようにも、今しがた青子が言ったように、今の赤崎には中学三年生女子の平均的な筋力しかない為、抵抗は出来ても突き飛ばすことはできなかった。
四年前は。
あの時は、こういう時にどうすればいいかわからなかったから、結局赤崎はされるがままだった。
でも、今はもう―何も知らなかった、あの頃とは違うのだ。
(…いや、違うか)
あの頃も、何も知らなかったわけじゃない。
青子が誰を好きなのか、僕はちゃんと知っていたんだから。
「…ダメだよ青子。手、離して」
青子の表情は変わらない。肩にかかる圧力が徐々に増して、青子の顔がゆっくりと近づいてくる。
このままじゃマズイ。それは、嫌というほど―痛いほどに赤崎はわかっている。
これじゃあ、四年前となんら変わらない。同じどころか、更に最低だ。こんなのは、青子の為にならない。
(だって青子は、祭のことが)
祭は、青子のことを。
(僕は、)
柔らかい感触が触れた。赤崎は、状況をうまく飲み込めず、えっと上ずった声を漏らす。
青子の唇が触れたのは、唇ではなくて額だった。ちゅっというリップ音と共に、彼女の顔が離れていく。
彼女には初めから、赤崎とキスをするつもりなんてなかったのだ。
「おまじない。ちゃんと、静が成仏出来ますようにって」
おまじないって。
「…昔は、こんなんじゃなかったはずだけれど」
今でもはっきりと覚えている。子供っぽい発想ではあったけれど、三人の中で“おまじない”は、ある意味特別な行為だった。それに救われていた頃が、確かに赤崎にはあった。
もっとも、昔は額と額をくっつけるだけだったのだけれど―そういえば、特に祭が泣き虫だったから、よく僕と青子でおまじないをしてあげてたっけ、と赤崎はそんなことをぼんやり思い出した。
(…ああ、そういえば)
『だから、おまじないっつっただろ』
僕が死んで、青子が家に引きこもって、それを祭が迎えにいって―その時、祭も、おまじないだと言って、青子の額にキスをしていた。ひどいデジャヴだ。
それを今度は、青子が僕に仕掛けてくるだなんて、思いもしていなかった。しかも、仕掛けられた側の僕の反応が、あの日の青子と丸かぶりだというのだから、笑ってしまう。
(…変わったんだね、君も)
―そして、僕自身も。
「いつの間にか、こんなことが出来ちゃうくらい―私達、大人になってたんだって、思った」
「…うん。時間は、流れていくものだから」
だからもう、青子が何を言いたいのか、僕にははっきりとわかったんだ。
時間の流れが変えていってしまったそれを、青子が僕にキスしなかったことで、確信できた。
“違うよ。青子が好きなのは、僕じゃない”
―あの日の選択は、やっぱり間違ってなんていなかったんだ。
「静のこと、好きだった」
二度目の告白は、四年前と違ってとても静かだった。
『私は静が好き…!私が好きなのは、静なんだよ…っ』
あの日のような、熱く激しい、思いの丈をぶつけるような告白ではなくて。
心にしみ渡る、水のような静けさが、そこにはあった。
ぽたりと僕の頬に透明な雫が落ちてくる。青子の涙は、とても綺麗だ。
「本当に、好きだったの。誰よりも…祭よりも、あなたのことが、好きだった」
赤崎はそっと手を伸ばす。右手で、彼女の涙を拭ってやった。
それでもまだ、彼女の涙が止め処なく溢れてくるものだから、赤崎は体を起こし、今しがた青子がしてきたのと同じように、彼女の前髪をかき分けてキスを落とす。
(本当は、)
ずっと、言わないでおこうと思っていた。言わないで逝こうと、そう、思っていたんだ。
胸の奥に、綺麗な思い出としてしまい込んで、そのまま時の流れと共に風化してくれることを願っていた。なかったことにさえ、したかった。忘れることが出来たなら、どれだけよかっただろう。
青子と話す度、そして青子と祭が話しているのを見る度に、何度も何度もそう思った。
(…でも、)
自分の気持ちは、偽ることは出来たとしても、なかったことにして忘れることなんて出来ないんだと―気づいたから。
だからこれは、僕なりのけじめだ。これが―。
(あの日君に伝えられなかった、僕の、本当の気持ちだよ)
「好きだよ、青子」
彼女の髪を優しく撫で、するりと柔らかな頬に指を滑らせる。
大丈夫、涙は出ない。
僕はもう―笑って言える。
「僕も青子のこと、本当に大好きだった」
ほのかな暗闇の中で、はっきりと彼女の涙が見えた。目尻いっぱいに涙を溜めて、今にも溢れてきそうなのに、それでもその涙は、決して零れてはこなかった。
青子が優しく微笑む。
「…おんなじだね」
「うん。おんなじだ」
青子がようやく体を退き、僕から離れていく。
不覚にもそれを名残惜しいと思ってしまって、僕は体を起こすのと同時に青子の手を掴んで、華奢な線の細い体を抱きしめた。とは言っても、現時点において僕は、青子よりも更に華奢な遥の体を借りているわけだから、さすがに腕の中にすっぽりとはいかなかったけれど…それでも構わなかった。
「…静、」
「あと少しだけ…お願いだ、青子」
そう言うと、彼女は体の力を抜いて、そっと僕の背に腕を回した。
そうしてしばらくの間、月明かりに照らされて、僕らは静寂の中抱き合っていた。
―祭のこと、よろしくね。青子。




