第三話 「誕生日」
「あーうー…暗いよー…」
挙動不審に辺りをきょろきょろと見渡し、真っ暗な夜道をビクビクしながら歩いているのは、当然緑間ではなく、遥の方であった。
確かにまあ、この辺りは人通りも街灯も少ないので、大通りよりはよっぽど暗く感じてしまうかもしれないが、緑間はもう慣れっこなので特に何を思うわけでもなく、逆に遥の反応を過剰に思うくらいだった。
「なんだお前、案外怖がりなんだな」
からかうように緑間が笑って言うと、「だってー」と遥が頬を膨らませる。馬鹿にするような緑間の物言いに、多かれ少なかれムッとしたのだろう。だが、その目はやはりうるうるとしていて、頼りなさげだった。
なんというか、庇護欲がかり立てられる…その辺は似ていないどころか、むしろ正反対だと緑間は思った。
(…いや、そうでもないか)
庇護欲とは違っていても、いつも放っておけなかった。
守ってやらなくてはと思ったことはなかったが、俺がいてやらないとと思ったことは、何度もあった。というか、いつも思っていた。
だからやっぱり、この兄妹は似ているのだろう、と緑間は自嘲気味に笑った。
「夜って怖い霊がたくさん出るんだよ…私、声は聞こえるけど姿は視えないから余計怖くて…」
「ああ、それなら大丈夫だ。静は元々、霊を寄せ付けない体質だからな」
霊が霊を寄せ付けないというのも、設定としてどうかとは思うが。
「うん…でも私……」
それでもどこか不安を拭いきれていないようで、遥の表情は暗かった。元気がない(?)ように見える遥に、緑間は首を傾げる。どうやら、霊のことだけが不安要素というわけでもないらしい。
「でも、なんだよ」
「うん…ちょっとね…」
そんな風に言葉尻を濁す辺り、どうやらそれについて深く話すつもりはないようだった。
緑間としては、言いかけてやめられてしまうと勿論気になってしまうわけだが、それを過敏に読み取ったらしい赤崎に、「あまり追求しないであげて」と小声で耳打ちされてしまったので、それ以上の追及はやめることにした。きっと、何か事情があるのだろう。
だから代わりに手を差し出した。
「…?」
「手、掴まれよ。怖いんだろ」
もう少し気に利いた台詞が言えても良かったか、と思いながら、手を繋いだところで気休めにもならないのではないだろうかとも、同時に思った緑間だったが、そんな心配は杞憂であったようで、「ありがとう」と遥が差し出したその手を取った。少しだけ、肩の力が抜けたように思う。
思いの外、遥の手を握る力が強かったものだから緑間は少しだけ驚いた。どうやらよほど―怖かったらしい。
気休め程度にはなったようだ。
緑間は離さないようにしっかりと彼女の手を握り返し、歩みを再会した。
現在の時刻、午前零時二分前。
赤崎宅前に到着。
「ここがお兄ちゃんの家かあ…想像していたよりもずっと大きい」
ちょうどいい時間に到着出来たな、とスマホで時刻を確認した緑間は、隣りでそんなことをぼそりと呟いた遥に目を向ける。
「お前、静の家に来たことなかったのか?」
「あ、うん…理由はわからないけど、お兄ちゃんがどうしても、家には来させられないって言うから」
遥にそう言ったその時の赤崎の心情が痛いくらいに理解できたので、緑間は「そっか」とだけ返しておいた。この家のからっぽさは、きっと彼女には重過ぎる。
「そんなことより、僕の家電気がついていないんだけど」
二人の会話に割って入った赤崎が、明かりの全くついていない真っ暗な自分の家を見上げ、理由を求めるように緑間を見る。
もっとも、そんな目で見られたところで、緑間に説明など出来るはずがないのだけれど。
「電気通ってないんじゃねえの?」
「いや…それは多分ないと思う。おばあちゃん達、今月いっぱいまで電気とか水道とか、止めないでほしいって業者さんに頼んでいたらしいから」
それは初耳である。
「七月後半辺りから、響達が僕の家を使っていたでしょ?おばあちゃんさ、七月分の光熱費の支払請求が来たら、それと同時に電気とか止めてくださいって言うつもりだったらしいんだけど、その際に僕が死んだ後も、ガスとか水道とかが使われているってことを聞いたらしくてさ」
「だから止めなかったってか…普通誰が静の家を使っているのかとか、確かめねえか?」
いくらなんでも大らかすぎるだろう。そこまでいってしまえば、温厚は既に通り越している。警戒心がなさすぎだ。ホームレスの住処にされていたら、どうするつもりだったのだろう。
「うーん…でも、僕の家の合鍵を持っていたのは、おばあちゃん達と君だけだったからね。僕の鍵はお葬式の時におばあちゃんの手に渡っていたし。君に鍵を渡しているっていうことは話していたけど、二人とも別に、特に何も言わなかったからな」
心配はしていなかったと思う、と赤崎が言った。それにしたっておかしいだろう、と緑間は思う。
自分がこの幼なじみの祖父母と初めて対面したのは、随分昔の話だ。
その日以来は一度も会ったことなどなかったし、それこそ今回赤崎が連れて行けと言わなければ、おそらく二度と行くはずのなかった場所である。
自分は、赤崎祖父母にとって、たった一日、昔家に遊びに来た孫の友達、というポジションであったはずだ。つい先日再会するまで、緑間はあの二人にとってそういう存在であったはずである。
そんな自分を、信用したというのか。だから電気もガスも水道も、止めないでいてくれたのだと、そういうことなのだろうか。
「まあ、少なくとも、君が思っている以上に君は、おばあちゃん達にとって大きな存在だったよ」
僕は、君や青子のことをよく話していたから、と少し照れくさそうに赤崎が笑った。
「信じてみたくなったんじゃない、孫の幼なじみをさ」
「はは…そりゃ、申し訳ねえな」
赤崎の家にいたのは、孫の幼なじみではなく孫の後輩達である。
赤崎が渡せと言ったにしても、自分は環と衛の信用を裏切って、この家の合鍵を彼らに渡したのだから。
緑間が軽く自己嫌悪に陥っていたその時、くいっと服の袖が引っ張られた。遥である。
「よくわからないけど、早くしないと零時回っちゃうよ?」
「あ…ああ、そうだな」
緑間は曖昧に頷きつつ、ピーンポーンとインターホンを鳴らした。
応答なし。
三人は顔を見合わせ(と言っても、遥には赤崎が視えていないけれど)、今度は遥がインターホンを押す。
・・・・・・・・・。
やはり、依然として応答はない。それどころか、家の中から物音一つ聞こえないというのは、どういうことなのだろう。
「…おい、確かにあいつ、“今夜”っつってたよな?」
「いや…私に聞かれても…」
まあ確かに、響からその話を聞いた時遥は気を失っていたわけだから、彼女が知っているはずがなかった。
「今夜って言っていたよ」
そんな遥に代わって、赤崎が緑間の確認に対し答える。
ふむ。
赤崎も今夜だと言っているし(まあ、若干その記憶力を疑いはするものの)、緑間の記憶でも確かに後輩達は“今夜”と言っていたはずなので、おそらく今夜で間違いないだろう。
だが、それなら何故、来てほしいと言われた赤崎の家は真っ暗で、尚且つインターホンに対する応答がないのか。
試しにドアノブを回してみた。
タラリラッタッター。
なんと ドアが 開いていた!
「おいおいおいおいおいいいいいいいいい!!」
無用心にもほどがあるだろうがああああああああ、と叫び散らしたい衝動を理性でなんとか抑えつつ、緑間は頭を抱えた。
「いくら家主がいないからって、仮にも人ん家だぞ!?鍵開けっ放しとかありえねえだろ!!」
「お、落ち着いて祭兄。多分これ…」
「入ってこいって、意味だと思うよ」
ドアを引いて中に入ったはいいが、緑間達が家に入ったからといって電気がつくわけでもなく、依然家の中は真っ暗で何も見えない。
とりあえず緑間は靴を脱いで、玄関と廊下との段差に気をつけながら家にあがり、遥を引き上げた。
電気をつけようにも、残念なことに赤崎の家は、リビングにしか電気を操作するスイッチがない。
「おーい響ー俺だー、いないのかー?」
返事はない。如何せん暗いので、玄関に響達の靴があるのかどうかすらわからない状態である。
とりあえず呼びかけてはみたものの、相変わらず電気はつかないままだし、家の中は静まり返っている。
ふと、繋いでいる遥の手が震えていることに気がついた。
「大丈夫か?」
「祭兄…お願い、手、離さないで…」
懇願するかのようなその言い方に、緑間の表情が若干険しくなる。どうやら彼女は、暗いところまで苦手らしい。暗所恐怖症―というやつか。
このままの状態が続くのは、あまりよくないだろう。とりあえず今は明かりをつけることが最優先だ。
早速行動を移さんと一歩踏み出した緑間だったが、参ったことにこうも真っ暗だと遠近感もろくに掴めなかった。
自分の家のように慣れ親しんでいた(親しんでいたかどうかは置いておいて)はずのこの家が、緑間はあまりの暗さにわからなくなってしまっている。
ということで、案内役にはこの家の元家主、赤崎に任せることにした。そもそも霊には、視界の暗さなど全く関係がない。
「一歩前に。左に曲がって、そこから四歩…行き過ぎ、半歩下がって。右手にドアがある。伸ばして…左斜め下、そう、そこにドアノブ。押すんじゃなくて、引いて」
赤崎の的確な指示に耳を澄ませ、見事何にも衝突することなく、二人はリビング前まで辿り着くことが出来た。
そして、伸ばした手を言われたとおり左斜め下方向にずらすと、ひやりとした金属独特の冷たさに触れた―ドアノブである。
緑間はドアノブをひねり、遥の手を引いたままリビングへと入った―そして。
(……火?)
リビングの奥で、ゆらゆらと無数の“火”らしきものが浮いている。
その瞬間、ぱちっという音と共に、ぱっとリビングの電気が一斉につく。
勿論赤崎は今更そんな明暗に左右されはしないだろうけれど、今までずっと暗闇に身を置いていた二人は、あまりの眩しさに反射でぎゅっと目をつむった。
そして。
ぱんっぱんっぱんぱかぱーん!
まるで風船が割れたかのような音が、立て続けに聞こえてくる。それとほぼ同時に、緑間たちの頭や首の辺りに何かがまとわりついた。
若干パニックに陥っていた二人だったが、ようやく目が明るさに慣れてきた頃、緑間はうっすらと目を開けた。
そこには。
「「「誕生日おめでとう(ございます)!!」」」(響+優+琴乃+青子+美咲)
そこには、思わず目を疑ってしまうほど、予想外の景色が広がっていて。
自分達をこの家に招待した響と優と琴乃―だけでなく、先ほど顔を合わせたばかりの青子と、今日は帰れそうにないと言った姉までいた。緑間としてはもう、驚くしかない。遥も、突然のことにきょとんと目を丸くしている。
「なん…なんで」
「だから、言ったじゃないですか。誕生日おめでとうございますって」
湿布や絆創膏をあちこちに貼って、体中を包帯でぐるぐる巻きにしている響が、緑間のそれに対し全員を代表して答えた。手に持っているものを差し出される。クラッカーだった。
「今日はあんた達が主役よ。思いっきり楽しんでちょうだい」
青子に、遥と繋いでいる手とは反対側の手を引かれ―緑間は一歩、リビングへと踏み込む。
(―え、)
「あんた、達…?」
「そうよ」
天井から盛大に吊るされているそれに目を奪われ、緑間はしばらくの間瞬きを忘れてしまった。目が極限まで乾いて、それでもまだ目を疑うその後景を信じられないくらい。
赤崎の方も緑間と似たり寄ったりの反応をしていて、ぽかんと口を開けて呆然と突っ立っている。
“Happy Birthday,Shiztuka,Mathuri”
吊るされていたのは、五メートルはありそうなほどの長い模造紙で。
そこには確かに、マジックでそう書かれていたのだった。
書いたのはおそらく青子だろう。ご丁寧に筆記体を使っているあたり、少なくとも響と琴乃という可能性は皆無だ。
そして緑間は、ここまで綺麗な筆記体を書ける人物を青子以外には知らない。
「なんで…僕?」
わなわなと肩を震わせ、蚊の鳴くような細い声で赤崎が呟く。中途半端に終わった赤崎のあとに続いたのは、遥だった。
「お兄ちゃんの誕生日って確か…」
そう―七月七日である。
赤崎は、緑間よりもきっちり一ヶ月早い、七月七日生まれだ。織姫と彦星が、一年で一度だけ会うことを許された日。そんなことは、いちいち口に出さなくとも誰もがわかっていたことだろう。
だが、今日は八月六日―日付が変わって、正確に言えば八月七日。つまり、緑間の誕生日であることに違いはないけれど、それはどうしたって赤崎の誕生日には結びつかない。
まあおそらく赤崎の方は、誕生日を祝われているこの現状について疑問を抱いているのだろうが。
「知ってます?東北の方では、七月七日じゃなくて八月七日を七夕にしている地域もあるらしいですよ」
響が、「じゃーん!」と短冊を見せ付けてくる。
「そして更に、じゃじゃじゃじゃーん!竹も用意しましたー!」
琴乃が、部屋の奥に鎮座している葉竹を指差し、得意げに胸を張った。
一体それをどこで仕入れてきたのか。まさかその辺に生えているわけでもあるまいし。
葉竹には既に、五人分の短冊がくくりつけてある。
「誕生日を祝いたいと思って、そこから始まりました。でも、残念なことに七月七日は既に過ぎてしまっているわけで、じゃあどうしようかと俺達で話し合った結果、今までずっと七月七日は静先輩の誕生日ではなく、七夕のイベントをメインにしてきたわけですから、それなら八月七日でもいいんじゃないかという話になって。そうしたら、祭先輩の誕生日が八月七日であることに思い至り、それなら一緒にやっちまえ!という青春っぽい感じのノリでこうなりました」
響に負けず劣らず、満身創痍の体を包帯でぐるぐる巻いている優が、説明口調で一気にそうまくし立てた。
「お前ら…それで、鍵を?」
響達が赤崎の家の鍵を貸してほしいと言ってきたのは、七月の中頃の話である。
もしも仮に―仮に、その時からずっと、密かにあたためられてきた誕生日会であったならば。
「その話を打ち明けられた時は、さすがの私もふざけんなって思ったんだけれど―でも、気づかされちゃったのよ。あの日を思い出させたくないが為に、長い間ずっと、大切なことを忘れていたんだって。“誕生日おめでとう”“生まれてきてくれてありがとう”って…私、多分ずっと、そう言いたかったの」
まさか青子まで加わっていたとは…ある意味緑間はそれに一番驚いていたのだけれど、おそらくはまあ、彼女の中でも何かしらの転機があったのだろう。思い当たる節はいくつかあった。
今夜また―というのは、こういう意味であったようだ。
「さっきはごめんね。でも、こっちもこっちで…特に響くんの背中の怪我がひどくって、手が離せる状態じゃなかったの」
だから代わりに青子を行かせたこと、二日くらい前に青子から頼まれて、この誕生日会を手伝うことになったことなどを姉は説明してくれた。後者はまあ、テーブル上に並ぶ料理の数を見ればわかる。
あの四人の中で、まともに食べられる料理を作ることが出来るのは優だけだ。
だが、さすがに優もこの量を一人で作るには無理があったのだろう。そこで、料理スタッフとして、姉が加わったというわけだ。
「……」
赤崎は何も言わない。ただ俯いて、必死に震える手のひらを握りこんでいる。
「…ちゃんと、わかりましたよ。僕達」
響が穏やかな口調で言った。
「静先輩と祭先輩が言っていた言葉の意味も、この家のからっぽさも。全部、ちゃんとわかりました」
『真っ白で何もないあのからっぽの家は、ある意味あいつの敵だから』
『…全然、羨ましがられるようなところじゃないよ、ここは。僕はあんまり、好きじゃない』
わかった上でこの場所を選んだんですと言って、響は持っていた短冊をそれぞれに手渡しながら続けた。
緑間は緑の短冊を、そして遥には黄の短冊がその手に渡る。そこでようやく、赤崎がはっと顔を上げた。
「この家はとても息苦しくて―生苦しい。押しつぶされて、ぺしゃんこになってしまいそうなくらい。だから僕らは、頑張ろうって決めたんです。この真っ白で何もないからっぽの家を、少しでも静先輩があたたかいと思えるようにって」
響が赤い短冊を、赤崎に向かって差し出した。
「この場所が、静先輩の道標をつくるきっかけになってくれれば、いいんですけど」
差し出された赤い短冊に、おそるおそる赤崎が手を伸ばす。だが、その手は短冊を取る寸前でぴたりと止まった。
「…バカだよ」
赤崎のそれは感謝の言葉などではなく、まして喜びをあらわす言葉でもなかった。
けれど、視える人には見えているはずだ。
それは決してシミを作りはしないけれど―確かに、彼の頬を伝う透明な雫は、ぽたりぽたりと落ちている。
「バカだ…本当に、バカだよ。僕はただの…先輩じゃないか」
「ただの先輩でいいんですよ」
赤崎が、泣いていた。
響は、笑っていた。
「それに、ただのってわけじゃあないです。僕らが生涯でたた二人、憧憬を抱いた人なんですから」
じわり、と緑間の目にも涙が滲んだ。うわ、もらい泣き―慌てて目をこすろうとして、その場にいる全員が、今の自分と同じように目いっぱいに涙を溜めていることに気がついて。
緑間は、涙を拭わなかった。
誤魔化さなかった。
涙が溢れそうになったけれど、それをわざわざ隠す必要は、きっとないだろうから。
(…ありがとな。響、優、琴乃、青子、姉ちゃん)
俺の誕生日を祝ってくれたことも、正直涙が出るほど嬉しい。でもそれ以上に、こういう形で静の誕生日を、そして「誕生日おめでとう」と言ってくれたことが、何より嬉しかった。
静は望まれてなくなんてなかった。ちゃんと愛されてた。俺達がそれを、勝手に勘違いしていただけだ。気がついてみれば、ほんの小さなズレだったんだ。
だから全部知って、心のどこかで後悔してた。静の誕生日を、ちゃんと祝ってやれなかったこと。
(でも、お前らがまるで、全部初めからわかってたみたいに、こんなサプライズで―誕生日パーティなんて開いてくれたもんだから)
俺は、それが、本当に。
「…おめでとう、静」
緑間は、くしゃくしゃっと赤崎の頭を撫でた。
「……あり、がとう」
響から差し出された赤の短冊をしっかりと受け取り―はにかんだ笑顔を、赤崎が浮かべた。




