第七話 「これから彼らが歩いていく道」
優は理由を聞かなかった。僕がこの人達と勝負がしたいんだと言った理由を。
多分この勝負が終わった後も、優は僕にそれを聞きはしないだろう。この勝負が、僕にとって意味のあるものだということを、あいつは信じて疑わないから。
以前まだ静さんが生きていた頃、聞いたことがある。
親友とは何か、と。
少なくとも僕と祭みたいな関係ではないかな、とその時静さんは少しだけ困ったような顔をした。
“親友”になることが怖かった。
さっきも言ったように、裏切られたその時のことを想像して、足が竦んでしまうから。
でも僕はそれ以上に―この人達と違うことが、怖かった。
僕にとって正解の模範である静さんと祭さん、この二人と違うことが、どうしようもないくらい僕は怖かったんだ。言い訳だと言われてしまえば、それまでだけれど。
だからずっと、向き合うことが出来なかった。この人達がそうするように―僕もまた、そうしようとした。そうして行き着いた先が、“背中合わせ”の関係だった。
そんな風に僕は、二人の真似をすることで、憧れである静さんと祭さんに少しでも近づきたかったんだ。本当の本当に、心の底から尊敬していた。
鈍い音が、静寂の中に響き渡る。
(終わった、)
ぐらりと重心が傾き、ばたりと響はその場に倒れこんだ。
追いかけるように優も倒れ、赤崎と緑間はゆっくりと腰を下ろし、座り込む。もう動けない。体が鉛のように重たかった。
けれど、見上げた空は、本当に綺麗だった。
赤崎が、顔をしかめながら脇腹をさすっている。そこは、最後の最後でようやく、響が赤崎に対してダメージを負わせることの出来た場所だ。
「…大丈夫ですか?静さん」
「大丈夫じゃない…主に遥が」
赤崎の体は、遥という少女からの借り物である。
今は霊体である赤崎が乗り移っている為、体の持ち主である遥の意識は深く眠っている状態だが、赤崎がその体の所有権を彼女へと返した場合、この短時間でその体が負ったダメージは、全て彼女が受けなくてはならなくなる。
だから緑間は、必死になって赤崎を―正確には、遥の体を庇っていたのだ。遥の言った、“守ってくるんでしょ”とはそういう意味である。
なんというか、これっぽっちも関係のない遥という少女を巻き込み、怪我を負わせてしまったことについて、響の中に今更になってようやく罪悪感が芽生え始める。割と思いっきり蹴り込んでしまったので、尚更だ。骨に支障をきたしてはいないだろうが、一ヶ月は痣が消えないかもしれない。
「…すみません。後で遥さんにはちゃんと謝ります」
「いいよ、別に。僕達の方がよっぽど痛いことをしたからね…特に背中。大丈夫かい?」
「あーあれは悪かったな、響。大分痛むだろ」
実際のところ、響は既に“大分痛い”の状態をとっくの昔に通り越しており、痛み自体は最早感じなくなっているので、それを素直に伝えたのだが、何故か緑間に土下座をされた。
「でも…うん、近い内に二人は病院行った方がいいよ。響もそうだけど、優もかなりひどい状態だから」
「……はい」
そうして、しばらく沈黙が続いた。四人は揃って晴れ渡っている青空を見上げていたが、しばらく経って、一番初めに緑間がその沈黙を破った。
「それで、お前は結局―何がしたかったんだ?響」
「あなた達になりたかったんです」
憧れていた。
その強さに、その優しさに、その寛容さに、この人達の全てに、本当に僕は憧れていたんだ。尊敬していた。だからあなた達のように―あなた達に、なりたかった。
初めて会ったあの日からずっと、追いかけてきたのはこの人達の背中だけだった。
一番向き合わなくちゃならない奴からも目をそらして。この二年間、ずっと。
「でも、もうやめようって決めました。僕は僕で、僕以外の誰かにはなれないんだって…ようやく、気づけましたから」
僕がどれだけ走っても、走っても、走っても、追いつけなかった。距離を縮めることは出来ても、隣りに立つことは出来なかった。
僕は静さんにはなれなかったし、祭さんにもなれなかった。僕がなれるのは、僕だけだった。
「だから向き合おうって決めたんです。僕自身と―そして、優と。変わろうと、思いました」
だからこの勝負がどうしても必要だったんです、と響は言った。
二年前は、ただの子供だった。
自分にとって都合の悪いことから目をそらし、耳にまとわりつく雑音が疎ましくて、何もかもが壊れて無くなってしまえばいいのにと思っていた。だから僕は「壊した」し、歯向かって来る奴は、ばっさばっさと薙ぎ払った。
自分が面白くないと思えば、片っ端から全力で潰していった。現実と向き合えない、我儘なただの子供だった。
この人達と出会った二年前、僕はそういう人間だった。
「…僕は、弱い人間だから」
変わっていく自分を受け入れられないくらい、弱くて脆い人間だから。
この勝負を通して、静さんと、祭さんと、優に出会って、二年前とは変わったはずの自分を、二年前と同じ場所で、同じ時間に見てほしかった。
「背中を…押してほしかったんです」
僕はこれから、自分で敷いたレールの上を歩いていく。
この人達の背中を追い続けることをやめ、誰かを真似ることなく、僕のやりたいように生きていく。僕が一番、僕らしく在れる生き方を探しながら。
けれどそれは、多分きっと、僕にとって一番難しいことでもある。そういう生き方は、随分昔に捨ててしまったから。
標識の無いでこぼこな道を歩いていくことに、不安はある。
もしかしたら、道に迷って戻れなくなってしまうかもしれない。そうしたら僕はまた、
(僕がこの勝負を挑んだ理由。それは)
二年前とは違うのだと、認めてほしかったから。
「“お前はもう大丈夫だ”って、ただ、そう言ってほしかった」
響は、自分の頬にあたたかいものが伝うのを感じた。それを見られたくなくて、右腕で目を覆い隠す。
声を出すまいと下唇を噛んだが、情けない嗚咽が口から漏れた。
(情けない、)
今日だけは絶対、この人達の前で泣くもんかと思っていたのに。
ふと、頭に温かい感触が触れた。手だ。その手は優しく、ゆっくりと僕の頭を撫でる。こんな風に僕の頭を撫でるのは、一人しかいない。祭さんだ。
少し小さい手が、右肩に触れた。とりたてて右腕を退けようとしているわけではないようで、その手は宥めるようにぽんぽんと僕の肩を優しく叩く。
姿が変わっても、本質的なものは何一つ変わってはいない―静さんの手だ。
そして、だらしなく放り出されている僕の左手を、誰かの手がぎゅっと握った。僕が今までずっと向き合えずにいた、まっすぐな強さだ。
「不安に思う必要はねえよ。お前の強さは、俺達が一番よくわかってる」
祭さん。
いや―祭、先輩。
「大丈夫。響はもう、自分の足で歩いていけるよ。その涙は、君が変わった何よりの証拠だ」
静―先輩。
「辛くなったら、俺を頼れ。俺にも、お前の半分を背負わせろ。泣きたい時は―胸くらい貸してやる。俺とお前は、“しんゆう”なんだろう」
―優。
胸の奥に凝り固まっていたつっかえのようなものが解けていくような、そんな感覚だった。すうっと、まるで肩の荷が降りたかのように体が軽くなっていく。
だが、その代わりと言わんばかりに、奥底から熱い塊がこみ上げてきて、むせ返るように喉がひくついた。じんわりと目頭が熱くなり、涙が溢れる。
ありがとう。
そう言った響の声は掠れていて、聞き逃してしまうくらい小さかったけれど―それでも三人は、その呟きをしっかりと耳で拾い、小さく頷いたのだった。
こうして、「壊す双子」精神的破壊担当「二重破壊」兼、白金ツインズの片割れである、白金響の未練は、終わった。
八月六日、十五時十三分のことである。




