第五話 「いざ、尋常に」
そんな感じで握手を交わす二人を見て、緑間は思う。
ああいう風にはっきりと言葉にすることが出来ていたら、自分と赤崎との間にある不確かな何かは、変わっていただろうかと。
もっと明瞭に、自分達の関係に名前をつけていたなら―こいつは。
この幼なじみは、今もまだ生きていただろうかと。
『どうだろうね』
赤崎が、ごくごく自然に緑間の思考を読み取って、そんな風に素っ気なくテレパシーを飛ばしてくる。
『ここで誤魔化すのかよ』
それがどこか、縋るような言い方になってしまって。性格悪いな、と緑間は自嘲する。
『じゃあ、どんな風に言ってほしい?』
その問いかけに、胸がツキンと痛んだ。それと同時に、ここが多分分岐点で、ここで全てが決まってしまうのだろうとも思った。
前へ進むか、留まるか。
どちらかしか選べない。
けれど緑間は、今この時この瞬間に、どう答えることが最善であるかを知っている。
自分達が選ばなければいけないのが、後者でなく前者であることも。
だからこそお互いが前へ進む為に、この局面でどちらの答えを選べばいいのか、緑間はきちんとわかっている。わかっているのだ。
そしてまた赤崎も、それをわかっているに違いない。
だから緑間は言った。
震える唇を噛み締めて。
「“そんなわけがない”―そうだろ、静」
「ん、そうだね」
そんな都合の良い“もしも”など、存在するはずがない。
そしておそらく、この関係に名前をつけることなんて、どれだけかかっても―一生かけても、出来ないに違いない。
「?二人とも、何か言った?」
最後の一言だけは口に出して言ったので、それを聞き取ったらしい遥が不思議そうな顔をして首を傾げる。
「なんでもねえよ」
そうして緑間は、妹に触ることが出来ない赤崎の分も上乗せして、遥の頭をくしゃくしゃにするのだった。
「きゃっ、ちょっ、やめてよ祭兄!」
せっかく髪セットしたのにー!と抗議の声を上げる遥に、どこか悪戯心が芽生えた緑間は、更にぐしゃぐしゃに髪の毛をかき回す。
「あ~~~~もうっ」
がおがお、と吠えてくる遥の髪の毛具合がかなりひどいことになっていたので(そもそも緑間がやったのだけれど)、そろそろこれはやめてやった方がいいかと思い、緑間は最後にぽんぽんと頭を撫でてやった後、遥の頭を解放した。
「お前なあ、むしろ感謝しろよ。どうせその髪、後からもっとひどい事になるんだぜ?今の内にぐちゃぐちゃになっておいた方が吹っ切れんだろ」
「何その理由!?」
バカバカ!と言いながら、遥は手ぐしで必死に髪の毛を直そうと試みている。
そんな、たかが髪の毛如きで何が変わるわけでもあるまいし…まあ、女子ってそういうもんなんかな、と緑間は自己完結することにした。
仕方なく、髪の毛を直すのを手伝ってやることにする。
青子よりも長い黒髪を撫でながら、緑間は目を細めて遥に言った。
「怖いか」
随分脈絡がなかったように思うが、それでも遥には伝わってくれたようで、彼女の体が一瞬強張った。その言葉に―動揺したのだろう。
だが彼女は、緑間の予想に反して首を横に振ったのだ。
「怖くないよ」
響達が全盛期だった頃、遥はおそらくまだ小学生だったわけだから、勿論その当時のことなど知りはしないだろうが―それにしたって、凛々垣中最凶の双子と謳われた「壊す双子」の噂を、耳に挟んだことくらいはあるだろう。
彼らの存在は、不良として足を洗ったあともしばらく騒がれていたわけだし。その二人の強さを、丸っきり知らないというわけでは、おそらくないはずだ。
最凶の凶悪。最凶の凶暴。
そして―最凶に容赦なく、徹底的に壊して壊して壊しまくる、同情の余地すら与えない破壊の連鎖を、彼女が知らないと緑間は思わない。
だからこそ意味がわからなかった。何故、彼女が首を横に振れたのか―怖くない、などあるはずがないというのに。
これから自分達は、そういうものとやり合うのだから。
「あの人達が、どれくらい強いのかは知らないけど…でも、だってちゃんと、守ってくれるんでしょ?」
ぱっと明るく、蕾が開いたかのような屈託のない笑顔で遥が笑う。
その笑顔に、緑間は顔を引きつらせて「う゛っ」と言葉に詰まった。これは責任重大だね、と隣りの悪霊が可笑しそうに言う。
(この野郎…!)
さも他人事みてえに言いやがって。つうか、お前が守れよ。兄ちゃんだろうが。体借りんのはてめえだろうが!
などと内心で毒づいたものの、自分に向けられている二つの笑顔を見てとてつもない脱力感に見舞われた緑間は、細かいことを考えるのはやめにした。この兄妹の笑顔には、なんというか、気が抜けてしまうのだ。
緑間は深い溜息と共に自分の頭をがしがしと掻き、それからもう一度遥の頭を撫でてやった。
「任せとけ」
「うん、任せた」
そして。
積もる話が終わったらしい響と優が、どこか吹っ切れたように凛とした表情で、こちらを向いた。
「…良い目になったな。もう話は済んだのか?」
緑間が聞くと、「お待たせしてすみませんでした」と二人が謝った。謝る必要など、全くもって皆無だというのに。
むしろ自分達はずっと、彼らがそうやって変わってくれることを望んでいたのだから。
「謝る必要はねえさ。強いていうなら、今までうじうじと白々しい関係を続けてきてすみませんでした、だろうが」
緑間は、そう言って響と優の頭をゴツンと殴ってやった。
痛い!と響が声を上げる。優はそこまで感情を表に出すタイプではないから、響よりも少し控えめな物言いだったけれど。
「痛いですよ祭さん!」
「そりゃ良かった。痛いのを痛いって言えるっつうことは、お前が変わった証拠だもんな」
響が少し、困ったような顔をした。
「…そう言われると、うっかり殴られたことを水に流しちゃいそうなんで、やめて下さい」
「いいじゃねえか。お前は、律儀に借りを返す奴だよ。何返してくれんのか、今から期待して待ってるぜ」
「そりゃあ、まあ…ええ、そうですね。是非とも期待していて下さい」
二人の間で火花が散る。
だが―そんな雰囲気に、水をさすような一言が投下された。
「じゃあ、始めようか」
否、水をさすようなというのは、かなり語弊があったように思う。
その声は確かに遥のものであったが、それを言ったのはやはり赤崎であったわけだし、この場にいる全員、その為に今日この時間にこの場所へ集まったのだから。
遥の纏う気配―オーラが、一変した。
陽気な笑顔はなく、その顔は限りなく無表情に近い、それでいてどこか楽しそうな含み笑いを浮かべている。
どうやらもう―完了したらしい。
響達も、おそらくそれに気づいただろう。
目を見ればわかる。
目を見なくともわかる。
これが、赤崎静だと。
見比べて、やっぱり遥とは思いの外似てないな、とそんなことを緑間はぼんやり思う。
今となっては、二度も遥を赤崎と見間違った自分に驚きを隠せない。緑間は苦笑いを浮かべる。
「手加減無用ですよ、ご両人」
響が、たんたん、と足で軽いステップを踏み、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべて構える。
対照的に優の方は、額から汗が流し、どこか緊張している面持ちでゆっくりと構えた。それは響の雑な構え方とは違い、きっちりと型にはまっていたように思う。
今までその片鱗を見たことは一度もなかったが、どうやら拳法を習っていたというのは事実であるようだ。
琴乃と違って、からっきしの素人だと踏んでいたのだが、さすがは響の右腕である。
手を抜く必要は、なさそうだ。
「上等。望み通り―全力で潰してやる」
緑間と赤崎は構えない。というか、本来はケンカなどしない善良で普通の高校生なのだ、ケンカの作法など知るわけがなかった。
まして優のように、拳法やら合気道やらを習っていたというわけでもない。正真正銘の素人だ。今も昔もこれからも。
だからこそ、二人のケンカにスタイルはない。殴りたい時に殴って、蹴りたい時に蹴る―休みたい時は、少しだけ背中に寄りかかる。それだけだ。
風がぶわりと吹いていったような気がした。
木の葉が舞う。
「そんじゃまあ」
「景気良く」
「いざ」
「尋常に―」
これが最後になるだろう。
これで本当に―おしまいだ。
「「「「勝負!!」」」」
本日の天気、快晴。降水確率は0パーセント。風はなし。
八月六日、現在。




