第三話 「再会」
「お前…」
「あは。久しぶり…ってほどでもないかな。元気してた?祭兄」
後ろにいたのは、赤崎と生き別れた兄妹である藤黄遥であった。実に二日ぶりの再会である。だが、感動の再会とはいかないようであった。
遥の登場に驚いたのは緑間だけでなく、響と優の方も目をぱちくりとさせていた。
彼女はそんな彼らを一瞥し、静かな声で言った。
「全部聞いてたよ、話」
私がここに呼ばれた理由もよくわかった、と彼女が続ける。そこでようやく、思考停止状態であった緑間は我に返った。
今、呼ばれたと言ったか、この娘。
(そうだ、確かに)
偶然にしては出来すぎている。この時間に、このタイミングで、遥がこの場に現れるなど―最早偶然を通り越して、奇跡に近い。
それを、あらかじめ誰かに聞いていない限り。
「久々すぎて道に迷っちゃった。遅れてごめんね」
「いや…つうかお前、なんで…ここに、」
「これに書いてあったから」
遥がごそごそとバッグの中を漁り、取り出したそれを緑間に見せた。どこからどうみても手紙である。だがそこで、「あ、」と響が思い出したように声を上げた。
「アテって…女の子じゃないですか」
どうやら心当たりがあったらしく、響は何やらそんな風に意味深な発言をした。とりあえず緑間は、書いてあったという文章を読む。
「“八月六日、十四時頃に仲良し広場に来てほしい”」
その手紙は、静より、としめられていた。
緑間が思い当たる“静”という名前の人物は、後にも先にも一人しかいない。そして、遥に対してこういった手紙を出すような“静”は、初めから一人しかいなかった。
つまり、赤崎が遥のことを、ここへ呼んだというわけだ。
そして、字を書くことが出来ない状態である赤崎に代わり、筆を走らせたのは―字を見ればわかる、おそらくは響だろう。
赤崎とは正反対の、バランスの悪いでこぼことした、お世辞にも綺麗とは言い難いこの字に、緑間は随分と見覚えがあった。さすがにこれだけでは、赤崎と響がいつの段階でコンタクトを取ったのかまでは、わからないが。
ふむ。どうやら本当に―初めから全てわかっていたらしい、この幼なじみは。
というかむしろ、こうなるように仕組んだのが、他の誰でもなくこの幼なじみであったというわけだ。
「大体もう予想はついているだろうけど、今日ここに遥を呼んだのは他でもない、僕が遥の体を借りるためだ」
なんの気なしに赤崎が言った。話が見えていない様子の優が、訝しげな表情で遥のことを凝視している。
おそらくこの場にいる全員の中で、もっとも状況が理解出来ていないのは優であっただろうし、事実本人も全てにおいて意味がわからないという表情をしていたが、どうやら口を挟むつもりはないようだった。
緑間は、「はあ?」といちゃもんをつけられた不良のような顔で首を傾げる。
「お前、そんなこと出来たのかよ」
「ああ、うん。できるらしいよ」
はあああ、と緑間はここぞとばかりに深く溜息をついた。さも当然だと言わんばかりに飄々とした顔で言いやがる幼なじみに、緑間は呆れてしまう。
「なんでそう、お前は大事なことばっか言わねえのかな…つうかそれ、別に遥じゃなくてもいいだろ」
赤崎だってわかっているはずだ(というか、仕組んだのが赤崎なのだから、わかっていないはずがない)、自分達は遊びに来たわけではない。正真正銘、殴り合いのケンカをしにきたのである。しかも相手は、凛々垣中最凶の双子とうたわれた内の片割れだ。
仮に赤崎が遥の体に乗り移ったとして、万が一響(もしくは優)の攻撃を一度でも食らってしまったら―華奢で弱い遥の体は、ひとたまりもないだろう。大怪我をすることになる。あの赤崎が、それをほいほいと容認出来るとは思えない。
それに、男と女の身体では勝手が違う。男である赤崎が、女である遥の体を借りたとしても、それではあまりに分が悪い。
「だって仕方ないだろ。僕だって知ったの、ついこの間だし…」
「この間っていつだよ」
「あー…ほら、おばあちゃん家行く途中で、君が倒れた時。あの時、咄嗟に駆け寄ろうとした僕と、慌てたように倒れる体を引き上げようとした遥が、なんでかわからないけど勢い余って合体?っていうか…まあ、そんな感じになってね。手違いとはいえ、僕が遥の体に入っちゃったんだよ」
その時緑間は既に気を失っていたわけだから、それについての真偽を確かめることは不可能なことであるが、つまりはまあ、そういうことらしかった。
ということは、具体的に言うと、あの時緑間を藤黄家まで運んでくれたのは遥ではなく、赤崎ということになるが…なるほど、帰り際に礼を言った際、遥の歯切れが妙に悪かったのはそのせいか、と緑間は一人で納得する。
「ふーん…なんっつうか、そう言われると色々怪しくなってくるぜ。実はお前、青子ん中にも入って、俺のことからかってたんじゃねえの?」
赤崎が死んで、かれこれもうすぐ一ヶ月が経つ。そしてその間、思い当たる節が緑間には思いの外たくさんあった。
だが、それに対し赤崎は静かに首を横に振るのだった。
「大丈夫、それはないよ。これは、“遥じゃなくてもいいんじゃないか”っていう質問の答えにもなるんだけど…僕はどうやら、遥にしか乗り移れないみたいだから」
なんだそのいらん設定は。
「なんで遥限定なんだよ」
「さあ?まあ、考えられる可能性として…遥が僕の肉親だからじゃない?おばあちゃんとおじいちゃんじゃあ、少しだけ血が遠いから」
赤崎のその言葉に、緑間はすぐ横にいる遥を見やった。
この世でたった一人の肉親を失った、彼女のことを。
(血の繋がり…か)
確かにそこには、第三者の入り込む余地のない、確固たる繋がりが存在しているのだろう。
そしてそれは、緑間と赤崎との間には決して存在しない繋がりでもある。
たとえ緑間がどれだけその繋がりを欲したとしても、どうしたって得ることの出来ない絆だ。
そしてそれはまた、緑間と遥の間にも存在は―しない。そんな風に思って、緑間はくしゃりと彼女の頭を撫でた。
「あの、すみません」
―と、そこで響の声が割って入ってきた。どうやら至極動揺しているようで、目をぐるぐるとさせている。
「肉親って…彼女、静さんのご家族の方なんですか?まさか本当にきょうだいがいるだなんて、思ってなかったんですけど」
まさか本当に。その言葉には若干の含みがあったのだが、少なくとも緑間と赤崎がそれに気づくことはなかった。
さて、赤崎の姿はおろか、声さえも聞こえてはいない優にいたっては、響の「ご家族の方なんですか」という発言に目を見開き、一層現状に置いていかれているようで、怪訝そうな顔しかしていない。もうすぐキャパオーバーで爆発するんじゃないだろうかと緑間は思った。
赤崎と緑間は顔を見合わせ、それから遥に目を向けて小さく笑った。
「ま、それについては追い追い話してやるよ」
というか、今話すには無理があった。なんにせよ、事情が複雑すぎる上に時間が足りなすぎる。
一から説明すれば間違いなく日は暮れて、勝負だケンカだとは言えなくなってしまうだろう。
だからひとまず、その辺の事情については横に置いておくとして。
「お前はいいのか?」
それよりもまず先に、やらなければならないことがある。
緑間が訊ねたお前、というのは赤崎ではなく遥の方だ。勝手に話を進めてはいるが、そもそものところ、彼女が肉体の貸与を拒否すればどうにもならないのである。
彼女はおそらく、何も知らされずにここへ来た。なんの説明もしてもらえずに、それでもたった一人の兄の言葉を頼りに。
「いいのかって聞かれたら、そりゃあ勿論、嫌かな」
痛いのは嫌だし、と遥が困ったような笑顔を浮かべる。それは至極当然の意見で、誰にもそれを咎めることなど出来るはずがない。
彼女はまだ子供で、中学生で、か弱い。本来は守られるべき、女の子なのだから。
でも、と遥が続ける。
「今の私に出来ることっていうのは、これくらいしかなさそうだしね。今までたくさん、我儘を聞いてもらったから。これで全部チャラになるだなんて思わないけど…それで少しでも恩返しができるなら、いいよ」
ただし条件が一つ、と彼女は人差し指を立てた。
恩返しとか言ったくせに条件を出すのかよ、とはあえてつっこまず、その条件とやらは何かと緑間は聞いた。
すると赤崎が今どこにいるのかを彼女に聞かれたので、すぐ隣りにいると緑間は答えてやる。遥の目が、まっすぐに緑間の隣りを向いた。
視えていないはずなのに―やはりピントは、ずれることなくまっすぐに赤崎へと向いていて、こいつやっぱ視えてんじゃねえかと緑間は思った。
そしてどうやらその条件というのは、赤崎に深く関わっているものであるようだ。
彼女は深く息を吸い込んで、そしてゆっくりと吐き出した。
「次に会った時、私に言うはずだったこと、教えて」
あの日―二ヶ月前、別れ際に赤崎が遥に対して約束した言葉。
遥から話は聞いていたので、緑間にもそれがいつのことであるかはっきりとわかった。赤崎がまだ生きていた頃、遥へと残した最後の言葉だ。
結局それは、赤崎が死んだことによって時効になってしまったわけだけれど。
(ああ、そっか)
お前にも、未練、あったんだな。
お前はずっと、それを聞きたかったのか。
対して赤崎の方は、とても歪に表情を歪ませながら、悲しそうに微笑んでいる。
勿論遥は、そういった表情の変化も全て含めて赤崎が視えていないのだが、視る者が見れば、それがどれほど言いづらいことであるか一目瞭然であった。
だが、彼女はあくまで退くつもりはないようで、兄の言葉を待っている。確固たる強い決意を秘めた目をしていた。まるで赤崎のような目だ。
どうやら本気で、その条件を飲まなければ力―というか、体を貸すつもりはないらしい。
後悔しないかと赤崎が聞いた。遥はうんと頷いた。それでもしばらくの間渋っていたが、結局赤崎の方が折れて、その条件を飲むこととなった。
「わかった、でも…この勝負が終わってからでいいかい」
それに対し遥は、実に間髪入れず頷いた。一点の迷いも、一点の疑いもなく、彼女はその条件を受け入れた。
赤崎が全て終わった後で、遥にそれを教えるかどうかなど、それはどうしたって確証のない約束であったというのに―それでも彼女は、なんの躊躇いもなく頷いたのである。それはやはり、兄に対する妹の信頼の現われなのだろう。
「ちゃんと守ってね、私のこと」
遥がぽつりと、そんな風に呟いた。
おそらく―というか、やはりというか、不安に思うところはあるのだろう。それは仕方がないことであった。
だから彼は―彼女の兄は、そんな妹の不安を軽く吹き飛ばすくらいの気楽さで、こう言ったのだ。
「お兄ちゃんに任せなさい」
そして彼の妹は、そんな兄の言葉を聞いて、泣きそうな顔で笑うのだった。
「色々気になることはありますが…とりあえず話はまとまりましたか?」
「ん。待たせて悪かったね、二人とも。もういいよ」
響が、そうですかと短く言う。そして、自分の斜め後ろにいた、まだ一言も喋っていない優にようやく目を向けた。
「お待たせ、優。喋っていいよ」
そして彼は、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
優は何も聞かされず、響に引きずられるような形でこの仲良し広場へとやって来た。
事の発端は今日の昼過ぎで、それはそれは唐突に、「十四時に行かなくちゃならないところがあるから付き合って」と響が言い出したのである。
いきなりのことに勿論驚いたし、青子と琴乃には待っていてくれと言うのだから、尚更だ。
事情を聞いても行けばわかるの一点張りで、響の行動の意味が優は本気で理解出来なかった。
しまいには、僕がいいって言うまで喋るななどと言い出したものだから、優は最早響の理不尽と意味のわからなさに、怒りさえ覚えていたくらいである。
広場へ着いてしばらくぼうっとしていたら、緑間が「よう」などと挨拶をして現れた。久方ぶりに見る顔であった。おそらく赤崎も一緒だろう―姿は視えないが。
そして響は、優の目が飛び出るようなことを言ったのである。
“僕達”と勝負して下さい、と。
いや、僕達とってなんだ。ええ?まさか俺もお前と戦うのか?冗談だろう?というか、先輩方と勝負するってなんだ?
それに、前に進みたいって、なんだよそれ。
しばらく話していると、突如として緑間のことを「祭兄」と呼ぶ、遥という名前の少女が現れた。おそらくはまあ、中学生くらいだろう。どことなく、赤崎に似ているような気がした。
と思った矢先、響が「彼女、静さんのご家族の方なんですか?」と聞いたので、まさかそんなことがありえるのかと、これにも優は驚いた。
それと同時に、赤崎の家で発見したアルバムのことを思い出して、まさか本当にきょうだいがいたとは、と響と全く同じことを思った。
それも全て含めて―優は、何度も口を開きそうになった。
だが、ぎりぎりのところで優は結局それをしなかった。いいと言うまで喋るなと言われたから、などという理由では、おそらくない。
自分抜きで進んでいく話し合いをただ傍で静かに聞きながら、優は響に何を言おうかとずっと考えていた。
喋っていいと言われた時、喋るなと言ったことを後悔させてやろうとも思っていた。
けれどいざ喋っていいと言われ、なんともいえない煮え切らない顔で困ったように笑う響を見て―優は、自分が何を言おうとしていたかを、ものの見事に忘れてしまったのだ。
まるで初めから、意味などなかったかのように。
咎めようとしていたこと、詰め寄ろうとしていたこと、聞き出そうとしていたこと、言おうとしていたことは、全て優の思考から切り離された。
そして最後に残ったのは、たった一つだけである。
「…正直、言いたいことはたくさんあったんだがな」
優は言った。どこか責め立てるような物言いになってしまったが、実際責めているようなものなのであまり気にはしなかった。
「うん、知ってる」
「…知らないさ。お前は俺のことなんて、きっと、何も知らない。俺だってお前のことは、知っているようで何も知らないんだ。俺とお前は―今までずっと、そうだっただろう?」
響は肯定しなかったけれど、それと同時に否定もしなかった。
「だから、一つだけ聞かせてくれ」
“僕達と勝負してください”―お前は確かに、そう言ったな。
(なんでだよ、響)
「どうして…琴乃じゃなく、俺を選んだ?」
本気で赤崎達と戦うつもりなら―自分ではなく、双子の妹である琴乃の方を連れてくるべきではなかったか。
身体的破壊担当「粉骨砕身」の琴乃、そして精神的破壊担当「二重破壊」の響。二人合わせて、「壊す双子」と呼ばれていたのだから。
琴乃の方が肉弾戦では響よりも強かったし、加えて優と比べるとケンカ慣れしているはずだ。
いくら「粉骨砕身」の名を捨てたといっても、彼女の体はまだあの頃の感覚を覚えているだろうし、彼女の体に深く根付いていたそれが、簡単に抜けるとは到底思えない。
それに、
「俺よりも、琴乃と組んだ方が戦いやすいだろう」
自分で言って悲しくならないくらいには、当たり前のことだった。
彼らは家族で、兄妹で、双子で―そこには、優の入り込む余地のない絆が存在していて。
これまで何度も、その確固たる絆を信じて、二人は戦ってきたのだから。
響には琴乃がどう動きたいのか手に取るようにわかるだろうし、その逆もまた然りである。
「それに、これはお前だってわかっているだろうが、俺はこういった類のものは全くもって素人だ」
対して優は、不良歴もなければケンカもしない、変な二つ名をつけられることもない、ごく普通のどこにでもいる平凡な、いわば通行人A的存在である。響達とは違って、ケンカなど素人中の素人だ。
ほんの少しの期間に拳法(正確には、少林寺拳法)をかじっていたし、そこそこの実力もあったような気はするが、それはあまり関係がない。
確かに三年前(中学二年生の頃)、響と一緒に五十人にも及ぶ不良軍団相手に戦ったことはある。
だが、あれはほとんどその場の雰囲気に流されたというか、普段の優からすれば絶対にありえない暴挙であったというか、まあ、そういうわけだったし、強そうな相手はほとんど響が潰してくれていたから、優の方は、かじった程度の拳法でどうにか出来るくらいの雑魚ばかりだったのだ。
響はあの時―戦いが終わって、琴乃を救出した後「お前がいてくれてよかった」と、そんな風に言ったが、優にはどうしてもそうは思えなかった。
あの頃の響達「壊す双子」はもっとも全盛期で、向かうところ敵なしの最強だった。
当時の響なら、あの程度の数をねじ伏せることくらい、一人でも容易かったはずで、自分はただ勝手にお節介を焼いただけだ。少なくとも優は、今までずっとそう思ってきている。
「だから、俺なんかと組むよりは一人で戦」
「―うっせえよ」
だから、俺なんかと組むよりは一人で戦った方がいいと、優はそう言おうと思っていたのだが、それはとてつもなくぞんざいな言葉遣いによって遮られてしまった。
初めは。
本当に初めは、一瞬誰が言ったのか全くわからなかった。
優にはそれくらい―懐かしかったのだ。
「ごちゃごちゃうっせえ。うっせえんだよ、お前は。この俺が、琴乃よりもお前を選んだんだ。ちったあ喜べ、バーカ」
そいつは不機嫌そうに口を尖らせる。そして―にやりと笑った。
「…ほんと、変わってねえのな、お前。よう、久しぶり…で合ってるか?黒銀」
「変わってないのは、お互い様だろう…ああ、本当に…久しぶりだな、白金」
白金―響は、シニカルっぽく笑った。




