第二話 「閑話Ⅱ」
ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。と、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
さすがに鳴き声だけで種類を判別することはできなかったが、まあ、それがどんな種類の鳥であったところで、緑間にはあまり関係のないことだ。
とりあえずはまあ、いつも通りの朝なのだろう。
「う…ん、」
緑間は夢うつつに目を覚ました。そして―。
「…○△%¥$※#*Σ×☆!!?」
眠気が一気にぶっ飛んだ。
(な……っ!)
緑間のすぐ隣りで、赤崎の妹―もとい藤黄遥が、すやすやと眠っていたのである。それはもうぐっすりと、無防備に。
何がいつも通りの朝だ。
つうか、このパターンこれで一体何回目だよ。
緑間はこれでもかというくらい深く溜息をつき、とりあえず何故こんなことになっているのかと記憶を探った。
確かなことは、間違ってもあんなことやこんなことはしていないということだけである。お互い服を着ていることが何よりの証拠だ。いや、そういう問題じゃない。
しばらく経って、緑間はもう一度溜息をついた。
(そうだ、昨日)
遥が大分落ち着いたことを見かねて、「もう今日は部屋に戻って寝とけ」と緑間は言った。そう、確かに言ったのだ。言ったのにこの娘、嫌だなどと言いやがったのである。私はちゃんと話したんだから、祭兄も話さないとダメ―とかなんとか。開き直りやがったのだ。
「…つうか、俺は別に頼んでねえだろうが」
勝手に人の逃げ道を塞いでおいて、遥の言い分はあんまりであった。
だがまあ、流されてしまった緑間にも非はあるのだろう。
その後青子のことについて半強制的に吐かされ、そしていつの間にか寝おちしてしまったというのが、事の真相である。とりあえず、あんなことやこんなことはしていないようで本当によかった。
(まつげ長…)
遥の寝顔を見て、緑間は無意識にもそんなことを思った。そういえば、赤崎の方も負けず劣らずまつげが長かったような気がする。さすが兄妹、寝顔も本当にそっくりだ。
そして髪も同じように、くせのない綺麗でまっすぐな、指通りの良い黒髪である。ここはよく手入れされている分、艶の具合が赤崎とは比べ物にならなかったが。
(あいつがもし、女だったら)
中学三年生の幼なじみは、今の遥のような容姿だったのかもしれない―なんて。
最近はやけに仮定法が好きだな、と緑間は自虐的に自分を笑った。
「何僕の可愛い妹のこと、色目で見ながらにやにやしているのさ」
と、多少ぴりぴりとした感じが否めない声音で、何者かが緑間に言った。体を起こして、緑間はその姿を確認する。その何者か―つまりは赤崎が、壁に背をもたれながら若干険しい表情で座っていた。
緑間は特に焦る様子もなく、呆れたように溜息をつく。
「色目でなんて見てねえし、にやにやもしてねえよ。お前の目は節穴か。それと、おはようの挨拶を忘れんな」
「ああ、そうだね。おはよう。提案なんだけど、これから永遠の眠りにつくっていうのはどうかな」
「おう、はよ…って、そんな不吉な台詞を続けるな。お前のそういう笑顔逆に怖いんだよ!」
と、声を張り上げてから、緑間ははたと口元を押さえる。遥が寝ていることをすっかり忘れていた。
起こしてしまっただろうかと彼女の顔を覗き込んだが、どうにも目を覚ます気配はないようだ。よく眠っている。
「まあそれは冗談だとして」
「そりゃあな。冗談じゃなかったら逆に困るわ」
「どうして君は遥と一緒の布団で寝ているのかな。返答次第では冗談が冗談で済まなくなるかもしれないんだけど」
「だからこええよ!お前が言うと、これっぽっちも冗談に聞こえないんだからな!?つうか冗談じゃなかったのかよあれ!」
つうかあれだよ、俺今回(今回?)は全く悪くねえからな!?むしろ被害者だよ!こいつが勝手に布団の中潜り込んできて!話せ話せってしつこいから!結局色々洗いざらい全部喋らされて、挙句の果てにいつの間にか寝おちしてたとか!それ全面的に俺に非はねえだろうが!
「…なんてね。冗談だよ冗談。これは本当。疑ってなんてないよ」
「どっちなんだよ…」
「信用してる」
「…そりゃどうも」
緑間はそっぽを向いた。“信用してる”―今更ながら、その言葉をひどく嬉しく思った。本人には決して言ってはやらないけれど。
「にしてもお前、ほんと遥のことになると人格変わるよな。正直驚いてるぜ、ここにきてまだ、俺の知らないお前が存在してるんだもんな」
もう十年以上、長いこと緑間は赤崎と幼なじみをやってきていて、お互いおそらく本当の家族よりもずっと長い時間を共有してきた。青子だってそうだろう。
幼なじみという枠組みでは足りず、きっとこの関係は、家族のそれによく似ていた。知らないことなど、ないものだとばかり思ってきた。
だから緑間は驚いたのだ。遥と会って、自分が知らなかった赤崎の一面を知れたことに。
「…らしくないとは思うよ。でも…やっぱり嬉しかったんだろうね。僕にきょうだいがいるってわかった時。勿論戸惑いはしたけど…大事にしたいって思った。たった二人だけの家族だし」
たった二人だけの家族。
赤崎のそれに、昨晩の遥の言葉を緑間は思い出した。
赤崎のことが好きだったという、その言葉を。
「なあ、静…お前さ」
「うん?」
遥の気持ちを知っていたのか。だから昨日、何も言わずにいなくなったのか。
言おうと思っていたことはたくさんあった。だが、遥がそれを、赤崎に対して突き詰めることを望んではいないだろうと思い、結局「なんでもない」と緑間は後を濁すことにした。すると赤崎が、困ったように笑ったのだ。
「…別にいいのに。遥の気持ちを知っていたのか、でしょ。聞きたいのは」
ふむ。だがしかしどうして、どうやらあっさりと心の内を読まれてしまったようだ。緑間は返事をせず、ただ黙って俯いた。
「正直言うと、気づいていなかったよ。昨日初めて遥の気持ちを知ったから」
「お前…部屋から出ていったくせに聞いてたのかよ」
「仕方ないじゃないか。わかっているだろ、僕らは一定距離以上離れることは出来ないんだって」
それは。
それは―嘘だろう。
そう言いかけて、緑間は結局やめた。
そしておそらく、話を聞いていたというのも嘘だろう。赤崎は、盗み聞きなんて卑怯で器用なことを出来るような奴でないことを、それくらい緑間はわかっている。
だからやっぱりわかっていたのだろう。昨晩遥が切り出した話の内容も。
つまり、遥の気持ちに気づいていなかった―というのも嘘なのだ。少なくとも緑間は、そう思う。
「…じゃあお前は、それを聞いてどう思った?」
だが、緑間は赤崎がついた諸々の嘘についてはあえて触れず、そのまま話を続けることにした。
何もかもオープンな幼なじみが、このタイミングで嘘をついた理由くらい、察しているつもりである。十年―正確にいえば十五年。それほどまでに、長い年月を共にしてきたのだから。
(悪い、遥)
多分お前は、静にこんなことを聞いてほしくて俺に打ち明けてくれたわけじゃないだろうから。
お前はむしろ、静にだけはその気持ちを知られたくはなかっただろうから。
だから初めに謝っとく。ごめんな。
「どう…か。そりゃあまあ、嬉しかったよ。僕は大概、好意を抱かれるにはほど遠い人間だからね」
でも、と赤崎が続ける。そんな顔するなよ、と思わず言ってしまいそうになるくらい、赤崎は痛みを抱えているかのような表情で、悲しそうに遥を見た。
「やっぱり、気持ちには応えられない。それは遥の為にならないし、僕が遥に対して抱く感情は、それに近いようでとても遠いから」
「…もしも遥が好きだと言ったら、お前はちゃんとそう答えられるのか」
困ったような顔をして、赤崎が眉を八の字に下げる。
「うん。はぐらかしたりはしないよ。…遥が前に進めないからね」
「そっか」
予想通りの返答に、緑間はただ短的にそう返した。不思議と、想いを受け入れてはもらえなかった遥のことを、可哀相などとは思わなかった。
“はぐらかしたりはしないよ”
想いの形は違えど、彼女は十分赤崎に愛されている。だからきっと、いつかそんな日が来たとして、彼女も泣いたりはしないはずだ。これもやはり、緑間の推測でしかないけれど。
「…ああ、そういや」
と、そこで緑間はあることを思い出す。
「遥が言ってた、“今度来た時、話したいことがある”っつうのは、一体なんだったんだ?」
「……!」
途端に、赤崎の表情は一変して、大きく目を見開いた。ここまで露骨に驚いた顔をする幼なじみを見るのは、本当に久方ぶりのことかもしれないと緑間は思う。
しばらく経って、赤崎は見開いていた目をゆっくりと細めていき、「そっか」と独り言のように呟いた。
「遥…覚えてたんだ」
出来れば忘れていてほしかったな、と赤崎が苦笑いをする。忘れていてほしかった―ということは、その内容が遥にとって決して良いことばかりではなかったと、そういうことなのだろうか。
それでは一体、何を言うつもりだったのだろう。緑間が目で訴えると(訴えるまでもなく、どうせテレパシーで伝わっているだろうが)、赤崎は静かに首を横に振った。
「…それは言えない。遥にとっては、酷なだけだ…それにもう、実現不可能なことだしね」
「それは、」
それは、俺のせいか。俺を庇ったことでお前が死んだから―だから、実現不可能なことになったのか、と。緑間は言いかけて、言う前になんとか言うのをやめた。
「うん?」
「…いや、なんでもない」
(…だってそんなの、言うまでもないだろうが)
そんなわかりきったことで赤崎のことを困らせたくはなかった。だから言わなかった。それだけのことだ。
「なあ、静」
「なに?」
『好きな人は、いたみたいだけど』
―本当に緑間が聞きたかったことは、これだった。前者の二つよりもずっと緑間の中に重くのしかかってくる、おそらく自分でさえも踏み込むことを許されない、赤崎だけの領域。
『小さい頃から好きだったんだって』
小さい頃どころか、今まで赤崎の幼なじみを長いことやってきた緑間ではあるが、好きな人がいるだの告白されただの、そういう色恋沙汰の話を振られたことは一度もなかった。緑間から振ったことは割りとあるが、反応が素っ気なかったことは言うまでもないだろう。
それくらい赤崎は恋愛に関して疎かったし、恋愛そのものに興味がなかったんだと、少なからず緑間の方はそう思っていたわけだが。
それが一体どうして。
好きな奴がいただと?
(んなアホな)
こう言ってはなんだが、赤崎の人間関係は良好だったかと言われると、正直素直に首を縦に振るのは厳しいものがあった。
クラスメイトとも、男女問わず仲が良かったわけではない。緑間が自分から絡みにいくのは確かに赤崎だけであったが、赤崎が自分から絡みにいくのもまた、緑間だけであった。
基本的に赤崎は、他人に対して必要以上に関心を寄せない性格であったし、自分が本当に心を許せると思った人物以外とは、極端に距離を作る傾向にある。それは今日においても解消されていない。
だから基本的に赤崎は、緑間以外のクラスメイトとは関係が希薄なのである。
そんな環境で―好きな人など、出来るはずがないではないか。
もっともそれは、ある人物一人を除いての話であるが。
(小さい頃から好きだった…ね)
そう、ある一人を除けば。赤崎が異性に好意を抱くなど、無しに等しいことがよくわかる。ある一人を除けば。
だが今、ここで“ある一人”を除く必要が、一体どこにあるというのか。
緑間はその“ある一人”のことをよく知っている。
当たり前だ―小さい頃から、ずっと一緒だったのだから。
「…お前さ、青」
「う…ううーん……」
言いかけて、遥の夢うつつなその声に緑間はびくりと肩を縮こせる。なんというか、またしてもバッドタイミングであった。遥が「うーん」と唸りながら目を覚ましたのである。
こうなるともう赤崎と話を続ける気にはならず、緑間は溜息をついた。
(もしも、)
遥が起きず、自分が赤崎にそれを問い、そしてもしもそれを肯定されていたら―どうするつもりだったのだろうか、と緑間は思う。今更幼なじみが恋敵だなど、笑えなさすぎた。そう思うと、遥が目を覚ましたことは、緑間にとってバッドタイミングでもなかったのかもしれない。
緑間は、ぼうっと天井を眺めている遥に、「おーっす」と朝の挨拶をした。すると彼女はゆっくりと首を動かし、緑間の方を見る。そしてゆっくりと辺りを見渡し―。
「…わっ祭兄。あれ、なんで私の部屋に?はっもしかして夜這―」
「勝手に人を変態扱いしてんじゃねえ」
まあ、どこかまだ意識がぼんやりしている様子だったので、そういう勘違いをしてしまうのも仕方ないことなのかもしれないが。
…って、いやいや。仕方なくねえだろ。
「うん?ううーん…えっと…あれ?」
「覚えてないのか?お前昨日、あのまま俺の…っつったら語弊があるけど、この部屋で寝ちまったんだよ。イコールここはお前の部屋ではない」
説明するとだんだん思い出してきたようで、「ああ、そういえば」と納得したように彼女は頷いた。ふむ、悲鳴でも上げられるかとひやひやしていたのだが、どうやら杞憂であったようである。
「そっか…うん、ごめんね、祭兄」
「いや、それはいいけどよ。とりあえずお前も、朝の挨拶を忘れるな。そういうところまで静に似るんじゃねえ」
どうしてこう、この兄妹は似なくて良いところばかり似るのだろう。こちらがおはようと言ったのだから、まずはおはようと言うべきではないだろうか。
緑間がそう言うと、苦笑いをしながら「おはよう」と遥は言った。
「お兄ちゃんも、おはよう」
「…おはよう、遥」
彼女は、姿は視えなくとも声は聞こえている。とりあえずは赤崎から返事が返ってきたことに、安心しているようだった。
なんというかまあ、微妙に微妙な空気が流れ始めたので、緑間はその空気を一転する為にとりあえず何かを言ってみる。
「つうかお前もあれだよな。神経が図太いというか、肝が据わってるというか…よくもまあ、会ってばっかの男と同じ布団で寝るとかいう強行に走れるよな」
若干皮肉っぽく緑間が言ってやると、遥がふいっと拗ねたようにそっぽを向いた。
「祭兄だって人のこと言えないでしょー。それに、私別に何も心配してなかったもん。祭兄は私に手出さないってわかってたから」
「あ?なんでだよ」
「ヘタレだから」
なんだこいつ。ケンカ売ってんのか。
「うん、実際ありえないよね。いくら私が年下で、祭兄に好きな人がいるって言っても、普通男女が夜に一緒の部屋で一緒の布団に入ってたら、男性の方がなんらかのアクションを起こすものだと思うんだけど。あそこまでお膳立てされて何もしてこないとか、それはもう男じゃないよね。鶏だよね。むしろ異性に興味ないんじゃないかって思うよね」
ひどい言われようだった。何故ここまで言われなければならないのだ。
「お前なあ…その言い方、まるで何かしてほしかったみたいにとれるぞ」
「やっだー誰もそんなこと言ってないでしょー」
彼女は意地の悪い笑みを浮かべて、挑発的な目で緑間を見た。
「まあでも、まさか祭兄があそこまでヘタレだとは思わなかったけど」
「…ヘタレじゃねえよ。つうか、あんまりからかうと怒るぞ」
そう、断じてヘタレなどではない。そもそも緑間は、年下は恋愛対象には含まないことに決めている。だからまず、三つも年下である遥に対して、変な気を起こすことはありえない。
それに、万が一そんな気が起きたとして、緑間が行動に移せるはずがないのだ。なんせ彼女の兄は、赤崎静である。
だから、断じてヘタレなどではないのだ。断言する。
「祭兄の根性なし」
「……」
「祭兄の臆病チキン野郎」
「……」
「祭兄の甲斐性なし」
「……」
「祭兄の―」
そろそろ本気でカチンときた緑間は、ひくひくと口元を引きつらせながら、調子の良いことばかり言う遥に、少しばかり思い知らせてやることにした。
彼女の肩をとんと押し、緑間はその華奢な体を布団へと押し付ける。
ここで勘違いをしてほしくないのが、緑間は“押し付けた”のであって、“押し倒した”わけではないということだ。
だがしかし、どうやったって構図的には、緑間が遥のことを押し倒している―どころか、襲っているようにしか見えないのだけれど。
ちょうど赤崎は、今しがたリビングへ向かっていったところなので、怖い怖いお兄さんがいない内に少しばかりちょっかいをかけてやろうという算段である。
必然的に緑間は遥に覆い被さるような体勢となり、双方の密着度がぐんと上がった。
息がかかる距離に他者の顔があるというのは、たとえ相手が誰であってもどぎまぎするものだと思っていた緑間であるが―。
「あったま来た。マジで犯すぞこの野郎」
それは思いの外、見当違いも甚だしい勘違いであったようだ。
「どーぞご自由に。どうせ何も出来ないんだろうけど」
あくまで強気な態度で応じる遥。うーむ。これはやはり、男としての威厳を保つためにも、緑間は何かしらの行動に移らなければならないようだ。
さて、どうしたものか。
考えて、考えて、考えた挙句。
緑間は、がぶりと遥の首筋を噛んでやった。
舐めてもよかったのだが、それだとどうにも卑猥な感じになってしまうような気がしたので。
「いった!いたっ!痛い!」
途端にじたばたと抵抗を始める遥に、お前のそれも男に迫られてる女の反応じゃねえよ、と心の中で毒づいておいた。
「バーカ。この俺を本気にさせようだなんて、百年早いんだよ」
とりあえずはまあ、これで許しておいてやろう。そこまで強く噛んだわけではないから歯形も残りはしないだろうし、これなら赤崎にもバレないはずだ。もっとも、遥がチクったりしなければの話であるが。
満足いった緑間は、遥の上から退けようと体を動かし。
だがそれは、予想外の遥の動きによって遮られた。
遥が、ぐいっと緑間の胸倉を掴んで引き下ろし、同じ場所に歯を立ててきたのである。これにはもう、緑間もびっくりするしかなかった。
「痛…っ」
割と容赦なく噛んできたので、思わず緑間は顔を歪めた。こっちは手加減してやったというのに、この娘、全く持って力加減など皆無である。これ絶対歯型ついた、と緑間は確信した。
がじがじと噛まれていると思ったら、今度は噛んだその部分を緑間はべろりと舐められた。なんだそれは消毒のつもりか。
とりあえず、くすぐったくて仕方がなかった。
「お、おい遥…いい加減に」
しろ、と続けるはずだった言葉は、空しくもそこで遮られる。
ぱたぱたという足音と共に、部屋のドアが開かれた。
「二人とも、もう朝食がで…」
そこには、昨日一昨日と同じ割烹着を着た赤崎兄妹の祖母―藤黄環が立っていた。
これこそまさしく、本当の意味でのバッドタイミングである。というか、最早バッドエンドであった。 なんせ今、二人は色々と勘違いをされそうな―否、勘違いしかされない態勢にあるのだから。
望んでこういう状況、つまりは緑間が遥を押し倒すという珍妙な状況に至ったわけではないにしろ、見られてしまえば弁解が難しかった。加えて今、遥の方が緑間にダイレクトアタックを食らわせているところだったのだから、尚更である。
「あ、いや…あの、環さん、これは」
緑間は、冷や汗をだらだらとかきながら、環の誤解を解こうとする。だがしかし、時既に遅しとはまさしくこのことであった。
「き……」
ぶるぶると体を震わせ、赤崎祖母が何かを解放した。
「きゃ―――――――っ!は、遥が―――――――!!!」
家中に響き渡るくらいの大声でそう叫び、彼女はばたりとその場に倒れてしまった。
てん てん てん。
「きゃー!おばあちゃーん!?」
「た、環さーん!!!」
我に返ったらしい遥がようやく緑間を開放し、二人はあわやあわやと慌て出す。
とにかく急いで駆け寄ろうと、緑間は体を起こそうとした。のだが、同じように緑間の下にいる遥も慌てた様子で動いた為、彼女の足がうまい具合に緑間の足を払い、予期せず態勢を崩してしまう。
「ば、ばあさん!?なんじゃ今の叫び声は…!?どうした!?何故倒れてお――……!」
そして、これがまたなんというバッドタイミング。環の叫びを聞きつけた赤崎兄妹祖父―藤黄衛までもが、二階に上がってきたのだ。部屋の前で気絶している環を発見し、彼はどうしたんだと彼女の肩を揺らす。
そして、衛の目が緑間たちの方を向き―。
彼の色々なものが、おそらくは一時停止した。
理由は勿論、娘同然の遥が緑間に押し倒されているからだろう。
というか、先ほどの遥の足払いによって態勢を崩した緑間は、押し倒したなどと生易しい表現では不釣合いなほどに、遥と密着しすぎていた。見る者によれば、これはまあ、緑間が遥の首筋に顔を埋めているように見えるかもしれない。
それに加え、よくよく見てみれば遥のパジャマは、(おそらく押し倒した時の衝撃でだろう)はだけていた。これはもう、本当に弁解しようがない。余地すらない。
案の定、
「は……はる、か……」
叫びはしなかったものの、ぱたりと環同様衛も倒れ伏せてしまった。
てん てん てん てん てん。
この場に赤崎が来なかったのは、本当に、不幸中の不幸中の不幸中の幸いだった。
緑間と遥は、そろって顔を見合わせた。
「……えーと」
「とりあえず、起きよっか」




