八十九話 軌跡
讃岐。
山奥。
鳥の囀りだけが響く朝。
「おーい、九条ー!」
畑の向こうから大きな声が飛んできた。
九条家当主は眉間に皺を寄せる。
「せめて様を付けろ!」
「いや、もう親戚じゃん。」
笑いながら近付いてきた男は肩を竦めた。
「お前の娘と俺の息子が結婚したんだし。」
「そういうことではない!」
九条は杖で地面を叩く。
「家格というものがあるだろう!良司!」
「はいはい。」
静かな山奥は。
少しだけ変わっていた。
◇
兵庫。
播磨屋。
「新吉!」
店の奥から伊兵衛の声が飛ぶ。
「客だ!」
「はーい!」
元気よく飛び出してきた新吉は、玄関に立つ僧を見て笑う。
「なんだ、弥助坊さんか。」
「おいおい。」
弥助は苦笑した。
「一応客だぜ?俺ぁ。」
「はいはい。」
新吉は笑いながら首を傾げる。
「それで?どうしたの?」
弥助は腕を組み、大げさに咳払いをする。
「角狩りの話だ。」
新吉の目が一気に輝いた。
「お兄ちゃんの!?なになに!?」
弥助は思わず吹き出した。
「落ち着けって。」
店の奥から怒鳴り声が飛ぶ。
「新吉!うるせぇぞ!!」
「ご、ごめん!」
新吉は慌てて頭を下げる。
それでも顔は嬉しそうだった。
「早く聞かせてよ!」
弥助は苦笑しながら座り込む。
「長くなるぞ。」
「いいよ!何日でも聞く!」
兵庫の町には。
今日も子どもたちの笑い声が響いていた。
◇
堺。
鳴海屋。
「これはこれは。」
番頭が深く頭を下げる。
「源蔵さん。瀬良さん。どうされましたか。」
源蔵は静かに笑う。
「旦那はいるか。」
「おります。」
ほどなくして鳴海屋の主人徳兵衛が姿を現す。
「お待たせしました。今日はどのようなご用件で?」
源蔵が鼻で笑う。
「あんたも聞きてぇだろ。角狩りの話さ。」
主人は目を丸くした。
瀬良が遠い目をする。
「ああ。遠野は、地獄だった。」
その一言だけで。
部屋の空気が変わる。
主人は息を呑む。
「ぜひ、お聞かせ願えませんか。」
瀬良は酒を一口飲む。
「何でもな。」
「あいつ。ミコトの嬢ちゃんと夫婦になったらしいぜ。」
主人の顔がぱっと明るくなる。
「それは!めでたい話ではありませんか!」
源蔵も小さく笑った。
「ああ。本当に。めでたい。」
誰もが笑った。
血に染まった戦いを知る者だからこそ。
その結末を。
心から祝福できた。
◇
讃岐で。
兵庫で。
堺で。
ソウを知り、ソウと出会った人物たち。
今生の別れなのか、再び相まみえるのかはだれも知らない。




