八十二話 供物
「現再様。」
洞窟の奥。
男が膝をつく。
「角狩りと双影。」
「早池峰へ入りました。」
静寂。
祭壇の前に立つ男は、ゆっくりと目を開く。
「……そうか。」
静かな声だった。
「御劔が参ったか。」
鬼は顔を上げる。
「迎え撃ちますか。」
「誘い込め。」
現再は首を横へ振る。
「数で叩け。」
「御劔さえあればよい。」
男は深く頭を下げ、闇へ消えた。
現再は祭壇へ歩み寄る。
禍々しい角。
五百年。
上代によって鎮められていたもの。
その前に、一人の少女が座らされていた。
ミコト。
縄で縛られながらも、その瞳だけは死んでいない。
紙切れを握り締めている。
少し皺になった、美濃の和紙。
現再はそれを見ても何も言わなかった。
洞窟の外から月明かりが差し込む。
「今宵は望月。」
静かに空を見上げる。
「良き夜だ。」
ミコトが睨む。
「……何をするつもり。」
現再は祭壇へ向き直る。
「御劔。」
ぽつり。
「そして。」
「破邪の血。」
その声は祈りのようだった。
「五百年。」
「奪われた御身のお力をお返しする。」
「五百年。」
「御身を縛り続けた血をお捧げする。」
ミコトの顔色が変わる。
「まさか……。」
現再は微笑む。
「復活ではない。」
「お目覚めになるだけだ。」
「そのために。」
「天児を。」
「破邪の血を。」
「御身へ捧げる。」
「二度と眠らぬように。」
「完全な形で。」
ミコトは和紙を強く握り締めた。
「……ソウ。」
その名を呼ぶ声は、小さかった。
けれど。
迷いはなかった。
♢
山を登る。
月は高く。
雲一つない夜空だった。
ソウは歩みを止めない。
ムジナが前を見つめる。
「もう近い。」
兵介は刀を握り直した。
瀬良が呟く。
「今夜で終わらせるぞ。」
「ああ。」
ソウは短く答える。
「迎えに行く。」
そして、風が止んだ。




