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角を狩るモノ  作者: Samail
七章 三人と一匹

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六十二話 新たな標

夜。


堺の飯屋は騒がしかった。

酒の匂い。

焼き魚の匂い。

人の声。

笑い声。


兵介は椀を片手に、大きく息を吐いた。


「……生き返る。」


目の前には飯。

汁。

魚。

煮物。


徳兵衛が用意してくれた店だった。

安くはない。


ムジナは焼き魚にかぶりついていた。


「うめぇ。」


尻尾が揺れている。


「お前、魚好きだな。」


兵介が呆れた顔をする。


「狸だぞ。」


「その理屈はよく分からねぇ。」


ミコトは黙々と飯を食べていた。

小さな口で。

だが。減るのが早い。


兵介が目を瞬かせる。


「……意外と食うな。」


「おいしい。」


「否定しねぇんだな。」


ソウは少しだけ笑った。

しばらくは、誰も難しい話をしなかった。

飯を食べる。

茶を飲む。

息を吐く。

それだけだった。


やがて。


兵介が箸を置いた。


「で。」


ソウを見る。


「仇討った今、ソウはどうするんだ?」


静かになる。

店の騒がしさだけが遠く聞こえた。

ソウは茶碗を持ったまま、少し考える。


「……わからない。」


短い返事だった。


「仇だけ見て、ここまで来たから。」


兵介は黙っていた。

ムジナも魚を咥えたまま止まる。

ソウは困ったように笑う。


「考えたことなかった。」


「……そうか。」


兵介は頭を掻いた。


「まあ休息も必要だしな。」


「そうかも。」


ソウが頷く。


「私は。」


静かな声。

ミコトだった。

懐から小瓶を取り出す。

仙花。


「私、これをお母様のところへ届けないと。」


兵介が眉をひそめる。


「それって、例のやつか?」


「うん。」


「お母様って、どこにいるんだよ。」


ミコトは当然のように答えた。


「遠野。」


兵介が止まった。


「……遠野ぉ!?」


声が裏返る。


「遠すぎるだろ!?三月はかかるぞ!?」


「うん。」


「うん、じゃねぇよ!」


ムジナが魚を飲み込んで笑った。


ソウは小瓶を見る。

村で見た花。

鬼の血。

人が鬼へ堕ちる酒。


「危ないよ?」


静かに言う。


「俺たち、千鬼衆に狙われるみたいだし。」


ミコトは頷く。


「うん。」


そして。

何でもないことみたいに言った。


「守って?ソウ。」


ソウは少しだけ考えて。


「いいよ?」


兵介が椀を落としかけた。


「軽いんだけどおおお!?」


ムジナが腹を抱えて笑った。


「ぶははははっ!」


「何笑ってんだ狸!」


「いや、今のは笑うだろ!」


ミコトは首を傾げる。


 「「なにが?」」


ソウも首を傾げる。


「二人してこっち見るな!」


兵介は頭を抱えた。

その様子を見て。


ソウは笑った。


温かい飯。

騒がしい声。

夜は、ゆっくり更けていった。


翌朝。


宵屋。


煙草の煙が漂っていた。

源蔵はいつもの席に座っている。


「遠野へ行く?」


低い声だった。


「うん。」


ソウは頷く。


「仙花を調べてもらう。」


源蔵はミコトを見る。


「……お前の母親か。」


ミコトは頷いた。


「お母様なら、何かわかるかもしれない。」


源蔵はしばらく黙っていた。

やがて、机の下から紙を取り出す。


「持ってけ。」


広げる。

地名。

街道。

山道。

港。

簡単な印がいくつか付いている。


兵介が覗き込んだ。


「地図か?」


「道筋だ。」


源蔵は指で紙を叩く。


「遠野までの道中、千鬼衆の息がかかった酒造所がある。」


赤い印。

一つ。

二つ。

三つ。


「全部確かな情報じゃねぇ。」


煙を吐く。


「だが、火のないところに煙は立たねぇ。」


ソウは紙を見る。


「避けてもいい。」


「潰してもいい。」


細い目がソウを見る。


「好きにしろ。」


兵介が顔をしかめる。


「好きにしろって、また雑だな。」


「情報だ。」


源蔵は煙管を置いた。


「ただの餞別だ。」


静かだった。


「ただし、近付くなら覚悟しろ。」


ソウは紙を畳んだ。


「ありがとう。」


源蔵は鼻を鳴らす。


宵屋を出る。


次に向かったのは鳴海屋だった。


徳兵衛は話を聞くなり、目を丸くした。


「遠野ですか!!」


声が大きい。

番頭達が慣れた顔で仕事を続けている。


「はい。」


ソウが頷く。


「少し長旅になります。」


徳兵衛は腕を組んだ。

珍しく、真面目な顔をしている。


「遠いですな。」


「相当遠いです。」


兵介が即答する。

徳兵衛は頷いた。


「でしたら、路銀と旅の支度はこちらで。」


「いや、そこまでしてもらうわけには。」


ソウが言いかける。

徳兵衛はすぐに首を振った。


「これは貸しではございません。」


真っ直ぐな声。


「鳴海屋としての礼です。」


兵介が首を傾げる。


「礼?」


「皆様は、私どもを救って下さいました。」


徳兵衛は笑った。


「商人も借りっぱなしは許せないのです。」


穏やかな笑顔。

ソウは少し黙った。

やがて、小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます。」


徳兵衛は満足そうに頷いた。


「それと。」


番頭へ合図をする。

包みがいくつも運ばれてきた。

干し飯。

味噌。

薬。

火打ち石。

雨具。

草鞋。


兵介の目が輝く。


「おお……。」


ムジナも包みを覗く。


徳兵衛はさらに一通の書状を差し出した。


「道中、鳴海屋と取引のある店へお寄りください。多少は融通は効くはずです。」


ソウはそれを受け取る。


「助かります。」


「ご無事で。」


徳兵衛は深く頭を下げた。


「必ず。」


堺の町を出る頃には、昼が近かった。

門の外。

道が伸びている。


遠く。

山が霞んで見えた。

兵介が荷を背負い直す。


「三月か。」


ため息。


「長ぇなぁ。」


ムジナがソウの肩で丸くなる。


「どうせすぐ面倒ごとに巻き込まれるさ。」


「縁起でもねぇこと言うな。」


ミコトは前を見ていた。

静かな目。

その先にある遠野を見ているようだった。


ソウは隣に立つ。


「行こうか。」


「うん。」


ミコトが頷く。

兵介が刀を担ぐ。


「よし。」


ムジナが尻尾を揺らす。


「北へ、だな。」


風が吹く。

堺の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。


三人と一匹は、遠野へ向かって歩き出した。

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