表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/30

相棒の仕事

1


折れた鍵は、ポケットの中でまだ二つに分かれていた。


ペーパータオル越しに触れると、金属の角が指に当たる。

角は痛い。痛いのに、確かめたくなる。

「もう開かない」という事実を、指先が繰り返し確認したがる。


前にも後ろにも敵がいた防災盤室。

扉が破られる直前、透真は壁の巨大な排煙ガラリ(吸い込み口)のボルトを『解体』し、排気ダクトの中へ這い込んだ。

敵が踏み込んでくる音を下で聞きながら、天井裏を這い、少し先の点検口から再び廊下へ降りてきた。


着地した廊下は、先ほどと同じく緑の誘導灯だけが生きていた。

赤がない。赤がないだけで、息が少しだけ入る。

身体は簡単に騙される。騙される余裕があることが、逆に怖い。


突き当たりの非常階段の取っ手に、養生テープが一枚。

角が揃っている。迷いのない貼り方。 透真は触れずに通り過ぎた。


廊下の奥で、硬い音が一つ。


カン。


爪じゃない。金属。 金属が金属を叩く音。返事みたいな間隔。


透真は歩いた。走らない。音を出さないまま速い。

前かがみ。床を見る角度。清掃の角度。 この角度のままなら、足が勝手に進む。


分岐のプレート。


「中央監視」


鍵穴がある。鍵はない。 取っ手にペーパータオルを巻き、息の形で囁いた。


「……接着」


金属が“戻りにくく”なる。完全に閉めるためじゃない。 開く瞬間の音を、削るため。


蝶番側に回る。ボルト。 声は返事になる。返事を潰す音が要る。


足元の誘導灯カバーを靴の縁で一瞬だけ擦った。


ギ……


その音の中に、息を滑り込ませる。


「……解体」


ボルトが掌に収まる。落ちない。鳴らない。

扉がわずかに浮く。透真は“開ける”んじゃなく、肩で抜けた。


抜けた直後、浮いた扉を静かに引き寄せ、ボルトを穴に戻す。

壊したままなら、道になる。直せば、ただの壁に戻る。

壊すより、直す方が重要だ。


中央監視室は冷たかった。機械の冷たさ。

並んだモニターはほとんど暗い。 一つだけ赤い文字が点滅している。


《PHASE SEALED》


意味は分からない。赤い点滅だけが残る。 机の下に、細い金属片。

鍵穴に詰められるサイズ。 拾わない。拾えば確定する。確定したら、足が止まる。


奥の盤に手書きラベル。


「主幹:B1 電気室」


透真は息を吐かずに、歩いた。


---


2


白波ユウの部屋は、もう“配信部屋”じゃなかった。


三画面。解析ツール。モデレーターのログ。ミラー状況。

そして中央に、赤い廊下と緑の誘導灯が混ざる映像。


コメント欄は熱で沸いている。

熱は文字になる。文字は余計な情報を連れてくる。


> 鍵折れた?

> 今どこだよ

> そのプレート読めた

> 監視室って書いて——


ユウは即座に言った。声は低い。


「読むな。書くな。出すな。

 今からコメント欄を“壁”にする。◆以外は全員、同じ嘘を打て」


配信に固定した一文。短い。


「清掃員は62Fへ向かっている」


嘘だ。

嘘だからこそ、意味がある。敵が拾っても、外が拾っても、追跡がズレる。

同じ嘘が何千回流れれば、その間に混じった“本当の断片”は沈む。


モデレーターが動く。特定っぽい文を消す。

視聴者が合わせる。コピペが流れる。壁が厚くなる。


壁の中に◆だけが浮く。


> ◆設備:B1主幹に触れたら防火・排煙が握れる

> ◆無線:金属室で反射、映像は途切れやすい。遅延を伸ばせ

> ◆法務:命令文は“送信ログ”が刺さる。削除させるな

> ◆救急:階段・シャフトは音が響く。手の滑り止め必須


ユウは◆だけを拾って、透真に送る。長文は出さない。光の時間を増やさない。


「B1主幹へ。電気室。防火・排煙を優先」

「コメント欄は同じ嘘で壁。気にするな」


送信。


ユウの指は止まらない。止めると考えてしまう。

考えると、怖くなる。

怖くならないために、仕事を続ける。


---


3


電気室の扉には鍵穴があった。


鍵は折れた。

そして鍵穴の縁に、薄い金属片が見えた。詰め物。


透真は鍵を使わない。使えない。

蝶番のボルトを見る。四本。


廊下の奥で、硬い音が二回。


カン。カン。


間隔が揃っている。返事。

返事が近づくほど、手が冷える。


防火シャッター操作盤を見た。透明カバー。赤いレバー。

レバーを落とせば、シャッターが鳴る。鳴れば位置が割れる。


でも、鳴らさないと声が混ざらない。

声が混ざらないと、解体が使えない。


紙を挟んでカバーを開け、レバーを握った。

鍵を回す手の形に似ていた。


落とした。


ガシャン。


響きがB1に広がる。金属の波が壁を叩く。

その波の中に、息を滑り込ませる。


「……解体」


四本が掌に戻る。落ちない。鳴らない。

扉が浮く。透真は肩で抜けた。


中は乾いている。埃と絶縁体の匂い。

低い唸り。生きている電気の音。


盤が並ぶ。ラベル。


主幹/防火/排煙/非常電源/照明


触れる前に、透真は一度だけ手袋を見た。

震えていない。

震えていないまま、指が盤の金属に触れた。


冷たい。

でも、生きている冷たさだった。


胸ポケットの奥でドローンが微かに震えた。

光は見ない。見れば“見られている”が戻る。


透真は盤の前で、息を潰した。


---


4


62階ラウンジ。


九条玲司は、星野玲奈の端末画面を覗き込んだ。

送信ログ。命令文。救助。移動。応答。


九条は穏やかな声で言う。


「文面を変えましょう。“救助準備中”を入れてください」


星野の指が止まる。


「……準備は、していません」


九条は言い切った。


「文面が準備です」


御影隼人がワインボトルを握り直した。

握り方が武器の握り方になっている。


「下で人が動いてるのに、文字で逃げ道を作るのか」


九条は御影を見なかった。カフスのボタンを直す。直す必要のないものを直す。


「混乱を避けるのが最善です」


柊つぐみは救急キットを開けたまま、包帯を一本出し、戻した。

手が落ち着かない。


星野の端末には、別のログが残っている。

九条の端末から鬼頭への着信。鬼頭のPHS発信。位置。


星野は端末を裏返さない。

握りしめたまま、消さない。


---


5


ユウの画面に、白い粒が増え始めた。


ノイズ。周期。等間隔。

自然じゃない。誰かが“潰している”。


> ◆無線:ジャミング強い。内部からの妨害だ

> ◆設備:主幹室は金属箱。電波反射で切れる

> ◆IT:上層の制御チャンネルからも割り込み可能


ユウは短く言った。


「妨害が来てる。回線はいつでも切れる。

 だから、今やることは二つ。壁を続ける。◆だけ拾う」


そして、もう一度。


「今のコメント、全員“同じ嘘”をつけ。止めるな」


壁が厚くなる。白い雪みたいに画面を埋める。

雪の中に透真の位置は溶ける。溶けたままにしておける時間を、ユウは延ばす。


オーバーレイ。二行だけ。


「ノイズ増。切れるかも」

「主幹で“箱”を作れ。防火と排煙」


送った瞬間、画面が一度真っ白になった。

戻る。戻るが、音が削れている。


ユウの指が一瞬止まる。止まると怖くなる。

だから止めない。止めないで、壁を積む。


---


6


電気室。


廊下の硬い音が、扉のすぐ外まで来ていた。


カン。


一回。

次が来ない沈黙が重い。


透真は盤の前で、養生テープを指先でちぎった。

扉の内側に貼る。金属が当たって鳴らないように。


貼ったまま、息の形。


「……接着」


“離れにくい”。三秒だけでいい。

三秒あれば、レバーを一本動かせる。


盤のラベルを見た。防火。排煙。照明。

どれが“音”になる。どれが“壁”になる。


扉の外で、もう一度。


カン。


指先をレバーに置いた。

鍵を回す代わりに、倒す指。


その瞬間、胸ポケットが震えた。

画面は見ない。光も見ない。


ただ、震えだけが分かる。繋がっている震え。


電気室の空気が、ざらついた。

白い粒が映像だけじゃなく、耳にも乗る。


遠くで、誰かが笑ったような音がした。

笑いじゃない。金属が擦れる音だ。


透真はレバーから指を離さなかった。


---


ドローンの画面が白い粒で埋まり、文字の輪郭が溶けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ