3-21.ベルベットの恋
本来なら適当にすっとぼけて場を誤魔化すのが正解なのだろうが、突然のこと過ぎて我を忘れてしまったのが間違いだ。
「なん、なん……っ!?」
「ああほら、とりあえず拭けよ」
むせたせいで鼻の奥が痛い。動揺するベルベットに、エルギスがハンカチを差し出す。涙目になる彼女に向かって、珍しいものを見るような顔になった。
「思ったより面白い反応するよな。もしかして気付かれてないと思ったのか?」
「な!? あ、え、まさか」
「ああ、気付いてるのは多分僕くらいだから、そんなに焦らなくていいさ」
弟妹らに気付かれていないとわかって、これ以上の混乱は避けられた。加えてエルギスが淡々としているのが、ベルベットにとってはわずかばかりの救いだったろう。ハンカチで鼻や口元を拭き、ひととおり落ち着きを取り戻すと、じろりとエルギスを睨めつけた。
「……いつわかったの?」
「たった今」
「いっ!?」
「カマをかけたら引っかかってくれたから、予想通りって感じだな」
見事に引っかけられたらしい。頬をひくつかせるベルベットに、エルギスは指折り数える。
「疑問に思うくらいのきっかけはあったんだぜ? あんたは基本的に家を優先するが、あいつの誘いには必ず乗るうえに、ちょっとした訪問も必ず自分で対応するしさ」
「い、いや、べつにそれだけで……大体セロはわたしの愛馬よ?」
「簡単な診察と薬を受け取る程度、弟に任せたっていいだろうが。忙しい時にわざわざ抜け出したり、帰りが間に合わないからって急いで帰ってくるなんてこと、僕が知る限りはなかったんだ」
心当たりがざくざくと心を刺して行くようだ。
確かに、ヴィルヘルムの不意の訪問はどんなに忙しくても必ず自分で対応していたし、彼が診察に来る日は間に合うように帰宅していた。昼の誘いに乗らない日はなかったし、実はお誘いを受けるタイミングを狙って訪問していたりもする。
ただ、怪しまれることはあったかもしれないが、セロの為だからといえば疑われることはない。だから呑気に構えていたのだが、既に見破っていたエルギスの言葉がざくざくと心臓に刺さる。
もはや否定の言葉を持たないベルベットは、不安そうな面差しを隠せない。それは端から見れば恋する乙女の表情そのもので、滅多にどころか彼女の弟妹達でさえ見たことのない顔になる。
それを見たエルギスが小さく悪態を吐いたのは、ベルベットには届かなかった。
「まあ、それだけじゃなくて、あいつと話してるときのあんたはわかりやすいから」
「えっうそ」
たまらず両手で頬を押さえるベルベットに、深いため息が向けられる。
「……本当に、わかりやすいな」
その呟きは悔しいような、羨ましいような、様々な感情が交ざった声だ。酷く気に食わないが、しかし嫌味を言いたい感情を堪えて冷静になろうと努めている。実際、嫌味どころか皮肉でも飛んできたらベルベットは即座に話を切り上げただろうから、彼のベルベットの扱いが上達しているのは間違いない。
「で、あんたはあいつのどこがよかったんだ」
「え? そんな恋バナじゃあるまいし、話す必要ある?」
「ご不満か? じゃああいつと話してるときのあんたが、どれだけいつもと違うかを一から細かく説明した方がいい?」
「第一印象からすべてタイプでした」
歯を食いしばるようにぐっと俯きながら暴露する。
へえ? と冷静な声を漏らすエルギスが、足を組み替え損ねて足をテーブルに打ち付ける。音からしてかなり痛そうだが、ベルベットに彼を案じる余裕はない。
「こう、なんていうか、動物に詳しいのもそうだし、物腰も穏やかで平民だからって差別しないし、最初うちのぼろ屋を見たときも嫌な顔ひとつしなかったし」
「…………そうか」
「かといって憐れんだりもしなくて、ちゃんとうちの経済状態に合わせた支払いを提案してくれて、ああ、あと話してて楽しい」
「なるほどな…………」
『憐れまない』というのは、案外難しくて、付き合いを続けるには大事な要素だ。
嫌な話だが、貧乏暮らしが長いほど貧しいことに対して、この手の問題には敏感になる。
富める人は善意からの施しを与えようとすることがある。無論、その善い心に助けられたことがある身として、それを悪いとは言わない。心から感謝もしている。相手が心から良い行いをしているのも知っているのだが、それは時に行きすぎると関係が拗れる要因になる。『対等』を求めて対価を支払おうとしているのに、善意ばかりを押しつけられると、時に自分が惨めになってしまうときがあるのだ。自分の受け方の問題なのかもしれないが、ベルベットは自分は捻くれている人間だと思っていて、裕福な人にありがちな「貧しい人に施す自分」に酔う人が嫌いだ。
幸いな事に最近は目の前のエルギスのように分け隔て無く接してくれる人と巡り会う機会が増えたが、嫌な思いは幾度もしてきた。
その中でヴィルヘルムは初対面時から印象も良く、株は現在も上がり続けている。好きになっていったのは自然の流れで、もちろん恋愛にうつつを抜かすつもりはなかったが、好きな人が気になってしまうのは人の性。小まめに通っては恋人がいないのかくらいはチェックしていたし、これこそが以前、特段良くも悪くも思っていなかったエルギスの告白を断った理由のひとつでもある。
心なしか、話を進める度にエルギスの拳を握る力が段々と強くなって行く。
「印象の差か……ああ、確かに僕の印象は悪かったな……」
「顔もヴィルの方が好みだから、どっちにしてもなんだけど。大型動物を扱うから地味に鍛えてるみたいで力も強いし」
「泣くぞ?」
くすくすと涼やかな笑い声が夜風に乗って流れゆくのを、エルギスは黙って聞いている。
彼はいつでも良い聞き役になってくれるせいで、つい喋ってしまうが、人を泣かす趣味はないので流石に口を止めるべきだろう。しかし楽しそうに話せていたのもこの時までで、途端にベルベットの元気はみるみるうちに消失した。
「ベルベット、疲れてるな」
「……やっと自覚してきたところ」
それもそのはずで、彼女はまだ一睡もしていない。肉体的には元気でも、たて続けに色々な出来事があったせいで、ずっと興奮状態が続いていたから、静かな場所で温かな茶を喉に通し、やっと疲れを理解してきた。
疲労に引きずられてか、ベルベットの表情は陰りを見せる。そして、それを見逃すエルギスではない。
「何か心配ごとがあるのか」
「……そう、かも」
「どんな?」
言っていいものか迷った一瞬の逡巡をエルギスは見逃さず、普段と変わらない声音はベルベットの心の隙間に割り込んだ。
「僕の感情がどんなものであれ、心配事は口にしておいた方がいい。きっとその分だと、一人で抱えるには難しい問題だろ?」
「知りもしないのによく言うじゃない」
「個人的感情は抜きにしても、スティーグの件で上手く立ち回ったことは買ってるんだよ。それに一人で抱えるより、誰かがいた方がいいってのは身に染みてるはずだ」
カルラとの話から、彼を除け者にしてしまった罪悪感があるせいだろうか。それともやはり疲労が濃かったか……或いは、これまでエルギスが築いた信頼のおかげかもしれない。ともあれ彼はベルベットの迷いに口を開かせることに成功した。
「ヴィルのことなんだけどね」
「……僕にこれ以上惨めな気持ちになれって?」
「そんなこと言うならもう話さないけど」
「悪かった。もうふざけないから教えてくれよ」
「ったく……彼さ、獣医だから臭うことがあるのは仕方ないと思うんだけど」
「臭う?」
「あ、ごめん。変な意味じゃなくて、怪我をした動物を見るから、血を見るって意味での話。血臭とか死臭とか……」
これがもし、相談相手がグロリアだったとしたら、彼女は躊躇いがちに頷くだけで終わるはずだ。無論、そういった反応はごく普通のものだから決しておかしくはないのだが、いまベルベットが対峙しているのは、どれだけそうと見えずとも、王城という魔境を渡り歩く宮廷魔道士だ。ゆえに死臭と聞いた途端にエルギスの態度は改まった。正確には組んでいた足を戻し、机に腕を置いて身を乗り出す。
「どっちだった」
「血……やけに濃くて」
「いつだ」
「わたしがヴィルと一緒にいたら、貴方たちに突撃されたときがあったでしょ」
「……あれか」
「倒れる前にヴィルと話してたんだけど……」
ヴィルヘルムから血臭がした。
気付いたのは再会して間もなくだ。普段と違う香水の香りの奥に微かな、良くも悪くも嗅ぎ慣れた血臭を嗅ぎとった。
ベルベットは不安を隠すように早口になる。
「血臭が変って言ってるわけじゃない。ヴィルは獣医なんだから血を見るくらいあるだろうし、着飾ってたのなら香りを纏うのはよくあることなん、だけど……」
「けど?」
「あんなの初めてだったし、血の臭いが濃かったから」
抱きしめられたときに一瞬動きを止めてしまったのは、何も気恥ずかしさだけではない。時折彼から漂う微かに感じていた血臭という違和感が、まるで肌にこびり付いていたように濃かったから戸惑ったのだ。
「それなりに顔を合わせてきたはずだけど、彼から血臭がしたのは初めてだったし、あんな風に誤魔化すような真似をしたのが、ヴィルにしては珍しくて」
それだけでは、ただ憶測の域を出ないとはわかっている。彼女は貴族のヴィルヘルム・ルディーンを知らないし、男性がお洒落で香りを纏ったってなんら不思議な話ではない。そもそもあの日のヴィルヘルムは実家に帰っていたらしいから疑い過ぎだと思っているのだが、彼のことを考える度に、奇妙な違和感がずっと纏わりついて離れない。そしてそれは淡い恋の想いというより、長い間で培われた危機察知能力の類で、この区分を間違えるほどベルベットは愚かではない。
それに、ほんのささやかな出来事が違和感に変じたのは、そもそも別のきっかけがあったせいだ。
ベルベットの瞳は不安に揺れている。
「トーナメントのとき、ヴィルがあそこにいなかったかを聞いたでしょ。あれ、腕が消える直前にヴィルを見た気がして……」
「……僕が聞き流したやつか」
「そう。ちょっと見た目が違ったけど、多分……いや、あれは間違いなくヴィルで……」
ただ、そこまで話すと長い息を吐きながら首を振った。
「……やっぱ疲れてるのかも。オーギュストとか母さんの弟の話とか、自分で思っている以上に堪えてるのかもね」
ヴィルヘルムへの感情がこれまで話すことを躊躇わせていただけで、確信めいたものはなにもない。ベルベットは乾いた笑いを零す。
「家族のことにも関わるから、まずは公国のことに気を向けなきゃだった。忘れて……とは言わないけど、いまはそれより……」
「……いや」
対してエルギスは真剣な表情で、片手で口元を隠しながら目元を細めている。
「そっちはグロリア嬢と、あの友達とで当面はなんとかなるだろ?」
「エルギス?」
「それに公国については、僕には言えないことがあったみたいだし」
「違うって、それは……」
たまらず声を紡ごうとすると、何故かエルギスは不敵に口元をつり上げた。
「ああ、除け者にされたって文句を言いたいわけじゃないから安心してくれ。むしろ役割が分けられそうでよかったって言ってるんだ」
「……役割? エルギス、貴方いったいなにを……」
「僕もちょいと気になることがあるってだけさ。ま、相談を受けたからには僕に任せて、あんたは実父の方をどうしたいのか考えておくといい」
「でも」
「今回ばかりは、複数同時にこなそうなんて器用な真似は無理だろ?」
「ヴィルについて調べるの?」
エルギスの言っていることは正解だ。ただでさえオーギュストの件は当事者なのに、さらに転生者問題が傍で控えていてはヴィルヘルムまで手が回らない。まして仄かな恋心を抱いているとあっては、冷静に事にあたれないだろうとはベルベットも自覚している。
エルギスから返事はないが、その不可解なまでに自信に溢れた表情が答えを物語っている。
「たとえあんたの懸念が正しく取り払われたとしても、三大神に誓って、結果を誤魔化す真似はしないと約束するから心配しなくていい。あいつを蹴落としたりはしないさ」
「……自信満々ね?」
「嘘を言う必要はないからな……まあ、さっきの告白がショックじゃなかったとは言わないが……」
口笛でも吹きそうな軽さだ。それ以上言うことのないベルベットの態度で許可を得たと知ったエルギスはゆっくりとした動作で頬杖をついた。
「それでも、ベルベットに関してだけは僕の方が絶対にいい男だって断言できる。振り向かせると……前も宣言したんだ。その通りにするだけなんだから、何も問題はないさ」
「……まあ、そう言うなら任せるけど、だからって貴方に振り向くってわけじゃないし、してやったんだ……なんて言ったら幻滅すると思うけど平気?」
「もとよりそんなつもりはないさ。ああ、ただ協力に見合う報酬はほしいけどな?」
やはり無給とはいかないらしい。
ベルベットからはあ、と大きなため息が漏れ出る。
「何をご所望?」
「踊ってくれ」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。眉を八の字に作り、じっくり首を傾げるベルベットへ、エルギスは再度告げた。
「場所はどこでもいい。僕のために一曲踊ってくれ」
本来なら断ってもよかった。というより、他に気になる異性がいるのだからそうするべきだし、弟妹のためにも恋愛にうつつを抜かせないと告げた身としては、別の報酬を願うべきだった。
なのにそれができなかったのは、エルギスがとびきり真剣な瞳で彼女を見つめていたからで、ベルベットはとうとう断る言葉を発することができず、約束を交わしてしまったのだった。
キリのいいところで分けたかったのに、なかなか上手いところで切れずに結局長くなりました。
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