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2-41.反論したくてもできない

 手を取り合う身分違いの恋人達。

 不安を露わにするルーナを元気付けるスティーグは、コルラードの先導によってエドヴァルドの待つ司祭室へと連れて来られた。

 はじめこそベルベットの姿に警戒心を解きかけたスティーグだが、エドヴァルドの姿を認めた途端に、まるで毛を逆立てた猫のように瞳孔を見開き、ルーナを背後に庇い立つ。

 弟に信用してもらえない兄はこれ見よがしにため息を吐いたが、ベルベットに言わせれば、おそらくこの態度が不仲の原因である。


「警戒する必要はないよ。先ほどベルベットにルーナの無実について聞かされたばかりだから、一考の価値ありと判断を下したところだ」

「無実……?」


 警戒を解けない弟に、エドヴァルドは恨みがましく半眼になる。

 

「精巧な外見となれば無理なかったのかもしれないが……ギディオンは理不尽と言うかも知れないが、正直、いま、私はお前に怒りを隠せないよ。なぜ気付かなかったのかとね」

「……兄上、いったいなにを話している」


 スティーグは困惑を隠せずにいるが、一方でルーナは「無実」という言葉に反応を示した。スティーグに庇い立てされてばかりではいられなかったらしく、スティーグの前に立つように躍り出る。


「あ、の……でん、かっ! わ、わたくしは……!」


 緊張のせいで掠れ声になってしまっているが、エドヴァルドはルーナの勇気を無下にしない。その目は憂鬱に揺れていたが、冤罪をかけられたかもしれない被害者には、穏やかな王子らしく振る舞うようだ。


「ルーナ、ひとまず君がスティーグの恋人である話は後にしよう」

「えっ? あ、いえ、でも……!」

「その前に聞かなくてはならないことがあるのだよ。君は、スティーグに公の場で婚約破棄を宣言するよう説得したかとね」


 それは決めつけではなく単なる質問だ。

 エドヴァルドもただ確認の意味で尋ねただけだろうに、この言葉に、ルーナは呆気にとられたようにぽかんと口を開いてしまった。

 まるで天から思いも寄らぬ言葉が降りかかった、そんな面持ちにスティーグが慌てる。


「おい、おいルーナ! 兄上いったいなにを……」


 スティーグが声を荒げようとした途端、少女の目尻に涙が浮かんだ。


「……では、私、おかしくなったのでは、なかったのですか?」


 ぎょっとなるスティーグを横に、ルーナは歯を食いしばりながら涙を拭い、ぐずぐずと鼻を啜りながら必死に首を横に振る。


「破棄は、いい、いい、え、いいえ、いいえ……です!」

「ルーナ? ルーナ、おい……」

「わた、じ、言って……! 言ってない、れす……でも……」

「言ってない? いや、でもルーナ、俺は……」

「あ、あああの、ごめ……な、さい。でも、私、本当に……!」

「……スティーグ。お前が喋るとややこしくなるから、少し黙っていなさい」


 エドヴァルドのひと声でギディオンが動いた。背後から口を塞がれたスティーグは抵抗虚しく後ろへ追いやられ、ベルベットのシーッと人差し指を立てる動作で大人しくなる。

 邪魔者のいなくなったエドヴァルドは、ルーナが大人しくなるのを待ち続ける。

 ぐしゃぐしゃに泣く少女は、なんとか自分を落ち着けようと必死だ。無理やり涙を止めた子供のような顔で声を絞り出す。


「お、覚えない、ですっ。でも、言ってないのに、言ったってことが、すごくたくさんあって、私、頭が、変になっちゃったって……!」

「……真実、記憶にないのだね?」


 首がもぎ取れそうな勢いの激しい肯定だ。ルーナは嗚咽を止めようとして、令嬢にあるまじき音を喉から出しながら、懸命に弁明を試みようとする。

 これで演技だというならば、彼女は稀代の名女優と張れるだろう。

 絶え間なく鼻水を流すルーナにエドヴァルドはハンカチを差し出し、そっと尋ねる。


「……お父上は、なんと言っておいでだったかな?」


 ルーナは一度下唇を強く噛む。


「な、情けない……と……し、失望したと……私を、部屋に、そのまま……」

「覚えがないとは話した?」

「い、いいました、けど……」

「けど?」

「自分が、わからなくて……」


 以下、ルーナが落ち着くのを待ってから改めて聴取した内容を要約すると、どうやら彼女は婚約破棄宣言前から自分の記憶障害を疑っていたようだ。

 その内容は、一度深い眠りに襲われると、次起きたときには話したことのない話題が友人間やスティーグとの間で交わされていたというもの。確認してもたしかに自分が話していたらしいと知り、無理やり話を合わせていた。おかしいとは思っていても、相談は出来なかったようだ。


「たとえばアリスから借りた本を無くしたり、お母様からもらった指輪をお友達にあげていたり、いつもだったら絶対やるはずのないことを、知らない私はやっているんです」

「指輪……って、それ、フェリシーが身につけていたやつか?」

「スティーグ様は覚えておいでだったんですね」

「あ、ああ。意匠がよく似てるなとは思ってたけど……」

「私がプレゼントとして彼女に渡したそうです。でも、あれはお祖母様からもらったものだから、フェリであっても譲るはず、ないんですけど……」


 どうしても、とルーナからフェリシーに渡したようだ。その他にも身に覚えがない事が多々あり、精神的に疲労したことで返してもらおうにも有耶無耶になったらしい。

 スティーグとの再会といい、ルーナがよく泣くのは、これまで誰にも信じてもらえず、あらゆる感情を溜め込み続けてきた反動なのかもしれない。

 それとグロリアもルーナには共感を抱いたらしく、こんなことを呟いている。


「言えるわけないのよ。現代と違って、貴族の娘がそんなこと言ったら一生地方に幽閉か、教会送りが決まってるんだもの」


 度重なる疑心暗鬼がルーナの心を追い詰め、口数を減らしたようだ。

 肝心の婚約破棄宣言については、度々スティーグが話題にしていたものの、まさか本当に実行に移すとは思っていなかったと語る。 

 この話を聞いたスティーグが、ギディオンの手を逃れ声を上げた。


「だって俺は、たしかにお前と約束したぞ! 楡の木の下で、グロリアと別れるように……」

「ご、ごめんなさい。でも、スティーグ様が言う楡の木の話も、知らないんです。なんで楡の木になったのかも、ほんとにわからなくて……」


 なにより彼女が自分を信じられなくなった決定打は、あのパーティだ。ルーナ自身は婚約破棄現場に居合わせた記憶がない。

 彼女の記憶ではパーティに参加するための支度をしていたら眠気に襲われて、次に目が覚めたときには自室で横になっていたという。そして怒りが冷めやらぬ両親に呼び出され……という流れだ。

 そんな馬鹿な、と誰もが思うところだが、スティーグ以外は神妙な面持ちだ。

 皆が話を聞いてくれるためか、ルーナは胸の前で両手を握りしめる。


「わかってます。わかってるんです。私が会場に居たんです。スティーグ様の隣で高らかに笑っていたと……皆が証言します。だから私、グロリア様への嫉妬でおかしくなっちゃったんだって、思って……」


 これまで黙っていたツケが仇となり、結局味方は獲得できず、弁明もできないまま教会送りとなった。

 スティーグは呆然となり、エドヴァルドは細く長い息を吐く。

 そんな中で、彼女の話に引っかかりを覚えたベルベットがルーナに声をかける。


「ねえ、ちょっといい?」

「あ、はい」


 隣にグロリアがいたからか、目を丸くして肩を跳ねさせるルーナへ、エドヴァルドが教える。


「心配せずとも良いよ。彼女が君の無実を訴えた人だ」

「え……」

「彼女が君の中に強く根付いていた、記憶の空白に疑問を呈した。簡単に言えば、君の潔白を証明しようと声を上げた数少ない人間で、ついでに言えば、そこのグロリアの姉だよ」

「えっ!?」


 多すぎる情報量に目を白黒させる少女に、警戒心を解くべく笑いかける。


「ええと……貴女さ、記憶にない自分の言動について誰にも相談できなかったって口にするんだけど……」

「はい……」

「その割に最初は確認したっぽいじゃない。一番はじめに誰に聞いたかは覚えてる?」


 ルーナは少し躊躇うようなそぶりを見せたが、ベルベットが恩人だと知ると素直に口を開いた。これは記憶を振り返る必要もなかったらしい。


「最初に聞いたのは、フェリ――フェリシーです。私が放課後に温室に行っていたからと……」


 はっきりと名前を確認したベルベットは、にっこりと感情の読めない類の笑みを浮かべる。


「…………そっか、ありがとね」

「あ、ああの!」

「はい?」


 ひっくり返って裏声になるルーナ。まだ混乱は冷めやらないようだが、姉妹に向かって深々と頭を下げた。

  

「あ、ありがとう、ございました……!」

 

 低く低くなって行く頭は、そのまま放っておけば地面とキスしてしまうのではと心配になるほどだ。


「な、なにが、どうして、貴女様が私の潔白を訴えてくださったのか、見当もつかないのですが、」


 ベルベットとグロリアは顔を見合わせ、二人がかりでルーナの顔を上げさせる。二人に挟まれたルーナはなおさら身を縮めてしまうのだが、そんな彼女からグロリアはやや目をそらす。やや申し訳なさが窺えるように、視線は浮きがちだ。


「あー、その、ね。私もちょっと、都合がいいからって調べなかったのもあるから……」

「グロリア様?」

「その子は気にしなくていいから……あー、それで、エドヴァルド殿下と隊長」

「……なんだね?」


 顔を上げるエドヴァルドは自棄気味の目をしているが、ベルベットは王子の不満を無視した。

 

「とりあえず、彼女、うちで保護していいですよね」


 エドヴァルドとギディオンの眉間に寄せられた苦悩がいっそう深くなった瞬間だった。

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