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第三話 上と下


 新たな仲間を"一人"迎え入れ、港へと戻るイレーネ一行。憎らしいほどに晴れ晴れとした天気とは対照的に、足取りは重いように見える。


「ああー、コレじゃあ水夫長さんに何言われるかわからないわね……」


 溜息をつきながらガックリと肩を落とすイレーネ。先の酒場での一騒動のお陰で、余計に水夫が集まらなくなってしまったのだ。


「まあまあ、いいじゃない。僕"一人"だけでも仲間が増えたんだからさ。"一人"だけでもいないよりマシでしょ? "一人"の力でも集めれば万力だからね。"一人"でも――」

「あーあーあー。一人一人うるさーい。そんなに言われなくてもわかってるわよ! 私の力不足ってことくらいは」


 リュークの軽口に対し、イレーネは半分は自己責任、残り半分はヴァンとシドの二人のせいだと言わんばかりの言い草をする。だが、この時代女が海に出ることは良しとされず、女性が乗っている船は、海の女神が嫉妬して沈めてしまうという話があちらこちらで信じられていたのも事実である。勿論、リスボン―ベレン―でも広く信じられていることであり、一つの風習と化していると言っても過言ではない。こうした背景を鑑みれば、酒場で募集を募っても水夫が集まらないのは至極当然のことであったとも言える。


「私が船長なんてやっぱり無謀だったのかしら……」

「いや、俺達が我慢できなかったのが悪かったんだ。船長は悪くないよ」

「……」


 いかにも、「ヴァンと二人でやりました!」といった言い分のシドに対し、勝手に巻き込まれてたまったもんじゃないといった表情をするヴァンであったが、当然の如く表情の違いに気づくものはいない。ヴァンは話に参加していないものとみなされて話は進む。


「でも、どうするんだ? このままじゃ船だけで出港できないぞ? 親父さんとも話がついたのにこれじゃ格好つかないぞ」

「とりあえず水夫長さんとお話するしか無いわね。こうなったら私じゃどうしようも出来ないわ」

「いっその事人攫いをするとかどうかな?」

「俺らはパリゾになるつもりはないぞ」


 リュークの物騒な提案に顔色一つ変えず答えを返すシド。パリゾとは、フランスの名家バレッテ一族出身のジャン・ド・ヴァレットのことである。敵味方問わず多くの者から「狂信者」と呼ばれる彼は、オスマン帝国にロードス島を奪われた1522年のロードス島攻防戦以来、マルタ島を本拠とし、聖ヨハネ騎士団に属しながらロードス島海賊の首領として地中海沿岸の村を襲い、物資を略奪し、民を攫っている。異教徒を目の敵とする男で、特に奴隷に対する扱いは非情なことでよく知られている。その一方で、非常に厳格で私欲のない人格者として多くの尊敬を集める人物でもある。


「そういう冗談はやめてもらえるかしら。あまり気分が良いものじゃないわ」


 不愉快な感情を隠しているわけではないが、どちらかというと諭すような口調のイレーネにリュークはただ謝るしかなかった。


「ごめんよ、そんなに怒るとは思わなくてさ。今度から気をつけるよ」

「そうだぞ、イレーネは優しい女の子だからな」

「なんで君が偉そうにしてるんだよ」


 フフンと胸を張るシドにツッコむリューク。その姿を見てイレーネは少し安心した。たしかに不愉快だと思うところはあったし、気持ちの良いものではなかった。しかし、自分の言葉に素直に耳を傾けてもらえるというのは何よりも嬉しい事なのだと気づくことも出来た。「仲良き事は美しき哉」、そんなことを考えながら自然に笑みがこぼれるイレーネであった。


 だが、そんな幸福感も自分の船を前にして見事に空へと消えてゆく。どうにか進めていた重い足取りも、自身の船の前に来てしまえば止まるしかない。横につけてあった父の船は姿を消し、小さな古い型のキャラベルが虚しく一隻で佇んでいる姿は、哀愁が漂っているようにも感じられる。


「ああー、遂に着いちゃったわね……」


 溜息をつきながら落胆するイレーネであったが、すぐに両の手のひらで頬を叩き自分に活を入れる。大きく深呼吸を行い、平静さを取り戻す。そして、水夫長の元へ向かおうとした時、微かな違和感を感じ取った。


 何やら船の上から喧騒とも言える声が端々と聞こえるのだ。水夫長を一人で船に残したはずなのに、他人の声が聞こえてくる。それも2,3人といった数ではなくもっと多くの、まるで先ほどの酒場ほどの人数がいるように感じられる。思わず立ちすくんだイレーネだったが、雷に打たれたかのようにハッと我に返ると駆け足で船上へと駆け上がる。


――まさか、お父さんの・・・!?


 悪寒が全身を走り全力疾走で船上へと向かう。だが、そこでは予想していたような事態は起こっていなかった。不安心からくる錯聴というのは事実を知れば滑稽なもので、見渡す限り見知らぬ男たちが談笑しながら船の整備をしているようにしか見えない。非常に和やかで良い雰囲気にキョトンとし、目の前で起こっている事態を飲み込むことが出来ずにキョトンとし、イレーネは茫然自失といった様子で立ち尽くす。


 するとイレーネの背後から、「どうしたんです? お嬢」と、聞き覚えのある声がかけられた。一瞬ビクリと体を震わせたイレーネは、急いで愛想笑いを作って振り向き返答する。


「あっ、どうも水夫長さん。なんだか賑やかですね」


 水夫長は作り笑いを貼り付けたイレーネの顔を見てか、笑いをこらえた表情になりながらも、どうにか表情を崩さないように返事する。


「その顔を見る感じやっぱりダメだったみたいだな」

「えっ?」

「こうなることを予測して正解だったな。どうだ? 早くも社会の荒波に揉まれた感想は」

「もしかしてわかってて行かせたんですか?」

「まあな。だけどいい経験になっただろ」


 満足気に笑う水夫長。イレーネはムッとしながらも船の随所で働く男たちを見渡しながら言う。


「えっと、あの人達って」

「ああ、あいつらは俺が集めた水夫だよ。なに、慣れれば簡単に集められるさ。それに、こんなボロっちいキャラベル船にそんなに人数はいらねえしな」


 事実を確認したイレーネは心の(つっか)えがとれたように安心した表情になる。色々と言いたいことがあったが、うまく言葉になって出てこない。


「あの、本当に有難うございます。水夫長さんがいなければどうなっていたことか……」

「有能な船長になりたいならまず、有能な部下が必要だろ?」


 そう言ってニヤリと笑い、水夫長はイレーネに背を向けて仕事に戻って行く。そして、4,5歩歩いたところで唐突に立ち止まり、イレーネの方を半身だけ振り返りながら、


「親父さんを超えたけりゃ、見て学べ。やって学べ。感じて学べ。あの人はなかなかに偉大な人だからな。壁は高いぞー」


 そういいながら水夫長は楽しげに、そして高らかに笑いながら水夫の輪の中へと入っていった。イレーネはその背中をただ見送ることしか出来なかったが、心は少し晴れやかな気分になっていた。


――お父さんは、私が海に出ることを認めてくれたってことなのかな。


そんなことを考えながら今度は大海原に思いを馳せるイレーネだった。

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