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第二話 陽気な新人

街の酒場は船乗りたちの皺伸ばしの場所だ。ここには朝も夜も関係ない。仕事終わりに煽る酒は、海の男達の苦しい労働から得られる僅かな対価であり、そして格別なものだ。勿論、酒が入った上に気性の荒い人間が多く、気の弱い人間からすれば近づき難い場所だ。派手な喧嘩が起こることも珍しくないが、マスターの辟易した姿を見るのとともに、海の男達の娯楽の一つとなっている。そんな酒場に、まだ船乗りデビューを果たしていないイレーネ一行がやってきた。理由は単純、イレーネの船を動かすための水夫を募るためである。


 酒場の扉を開けると、例に漏れず男たちの賑やかな喧騒が場の空気を支配していた。仕事が終わったあとの至福の酒を煽る者、職にもつかずに呑んだくれる者、仕事前の景気付けの一杯に飲みに来るも三者三様である。


 慣れていない者なら思わず顔を背けたくなるような光景だが、イレーネは後ろにヴァンとシドを引き連れ、脇目もふらずに大テーブルへと向かって、酒場の真ん中で声を張り上げる。


「私の船に乗りたい奴は私のところに来なさい!」


 真剣な表情のイレーネの号令に対し、荒くれ者共は一斉に静まり返る。そして一瞬の間を起いて揶揄いながら答酬する。


「ヘイヘイ、お嬢ちゃん。船なんか乗らず俺の上に乗らねえか?」

「ガッハッハッハッ」

「よっ色男っ!」


 酒場中に下卑た笑いが響き渡る。イレーネ達3人を除いた酒場全体が下品な空気に染まっている。「ゲス野郎共が」と、口にしながら前に出ようとするシドを手で制しながら、イレーネはもう一度呼びかけようとする。だが、荒くれ者たちはそれを許しはしない。


「海に出るよりもっと愉しいことを教えてやるぜえ?」

「ダンスしよう、ダンス!」

「嬢ちゃん、俺なら一緒に踊ろうなんてチンケなこたあ言わねえ、俺が踊らせてやるぜ?」

「ヒューヒュー」


 イレーネに向かって再び様々多方向からの品の無い野次を浴びせる。拳を握りしめながら我慢していたのはシドだったが、遂に怒りは沸点へと到達した。


「あっ、ちょっと!」


 しかし今度こそはイレーネの制止が間に合わず、シドが荒くれ者の輪へ殺気を帯びながら飛び込んでいく。一瞬遅れて見かねたような表情をしていたようにみえるヴァンもそれに続く。


「やんのかコラァ!」

「やっちまえー!」

「ボロボロのギッタンギッタンにしてやらあ!」


 男たちの罵声と挑発の中、机の上のラム酒のグラスが落ちたのを合図に男たちの取っ組み合いの喧嘩が始まり、思わずイレーネはやれやれと言うように頭を抱える仕草を見せる。すると、不意に何者かに腕を捕まれ引っ張られ、そのままの勢いで走り出す。


 いきなりの出来事に驚いたイレーネは一瞬頭の中が真っ白になったが、直ぐに我を取り戻し自分の手を引く者をしっかりと見据える。視界に捉えたのは他の者と同じく質素な布地のパイレーツシャツを着た男だった。革のブーツにローズダスト色のズボンと、ベージュ基調のパイレーツシャツ、ボロボロなところがより一層荒々しさを強調している。そして、何よりもたなびく赤髪が特徴的な男だった。不思議なことに、悲鳴を上げたり助けを求めようという気にはならなかった。


 シドとヴァンのしまった! という視線と表情を後ろに感じながらイレーネは手を引く者の赴くままに走り続け、取り憑かれたように盛り上がる男たちをかき分けながら酒場の出口から外へと飛び出る。





 男たちの喧騒から離れた瞬間、酒場の灯とは違う種類の陽が二人の網膜を刺激する。


「はあ……はあ…………」


 二人が走ったのはたった数秒間であったが、手を引いた男はよほど気を張り詰めていたのであろう、息切れを起こしている。握っていた手を膝にやりながら息を整え、男はイレーネに喋りかける。


「いきなり悪かったね。僕はポール・リュクス。みんなはリュークって呼んでるよ」

「あ、えと、あの……」

「ごめんね。いきなり自己紹介されても何のことだかわからないよね。とりあえず僕は君の味方だから安心して欲しい。こんなこと言う奴は信用出来ないかもしれないけどね」


 ニコニコ笑うリュークと対照的に、イレーネはどう反応したら良いのかがわからず困惑していた。


「あの、さ……。頼み事が有るんだけどさ、聞いてもらえるかな?」

「え? はい」


 しどろもどろとしていた中、不意に真剣な眼差しをするリュークに対し、反射的に居住まいを正すイレーネ。


「僕を君の船に乗せてくれないかな?」

「はい……ってええっ!?」


 予想しない告白にイレーネが驚きの声を上げる。と、同時に酒場の扉が勢い良く開かれる。それに続いて一人の男――であろう影が派手に宙を舞い地に転がる。そして、地に伏した男の周りに立つ砂埃の中から2つの影を捉えることができる。


 2つの影はゆっくりと、ゆっくりと、リュークとイレーネの方へ歩みを進めてくる。まるで子を奪われた熊のように。


「うへー、マジかー。凄いね君のお友達は。はいはい降参降参、元から抵抗する気もないけどね」


 近づいてくる二人に参った参ったと言わんばかりに両手を顔の横に挙げるリューク。あの状況から抜け出せる人間がいるのかというように、その表情は心底驚いているように見えるが同時に、感心するような表情も垣間見える。


「待って! この人は敵じゃないわ!」


 今にも弾けてしまいそうな空気を察したイレーネがリュークをかばう。しかし、イレーネを連れ去った張本人が相手だ、そう簡単にその言葉を認められるものではない。


「何があったかは知らないが、人をそう簡単に信用するな。こういうやつほど信用が置けない」


 あからさまに警戒の色を見せるシド。その双眸はまるで凍てついた氷のようだ。しかし、リュークは物怖じすることもなく同じ調子で返答する。


「そうだよ? 例えば僕が君のお父さんの仕向けた刺客だったらどうするの?」

「!?」


 まさかの発言にリューク以外の三人は、言葉を失う。そして、張り詰めていただけの空気が今度は殺気を帯びた空気へと変わる。シドに至っては、何かの切欠さえあれば今にもリュークに飛びかかりそうな勢いだ。

「てめえ……」

「おっと、勘違いしないでよ? 船着場で偶然聞いてただけだよ。僕も就職活動のために情報を集めてたんだ」

「信じられるかよ」

「だったら彼女を連れて出てきやしないさ。あそこで怖い目を見させてるほうがよほど理に適ってる。それに、ここで待つ理由もないでしょ? まあ、あなた達二人がここまで強いのは僕もちょっくらびっくりしたけどね」

「だからっつって――」

「うん。じゃあ、もしこれが嘘だったら君たちはどうするかな? 今彼女に……えっと、イレーネ? に一番近くにいるのは僕だ。手の届く距離にいる彼女を人質に取るのは容易い事さ」

「ちっ、てめえそんなことしたらただじゃおかねえからな」


 今にも飛びかかってきそうなシドに対して、そしてイレーネとも距離を置くようにゆっくりと、ゆっくりと、円を描くように歩くリューク。イレーネを一点とすると、直径を計れる対極に位置したところで、リュークは足を止める。その距離は15フィートほどであった。一体何をしようとしているのか、どんな策を講じているのか、シドはリュークの一挙一動を瞬き一つせずに注視する。ピリピリと張り詰めた空気を肌で直接感じ取り、イレーネはその場に立ち尽くす他なかった。


 一同が身構えた時、その場の空気に合わない気の抜けた掛け声がかかる。


「よいしょっ」


「はあっ!?」

「ええっ!?」

「……」


 突如手を頭にやったリュークの行動を見て一同は驚きの声を上げる。赤髪が消えたかと思うと、今度は陽射しが反射して光を放っている。


 それはそれは綺麗に剃り上げられた頭だった。


「おまえ、それ。か、カツラだったのか」

「アハ……ハハハハハ」

「……」


 一同のそれぞれの反応を見てリュークは一人満足した表情を浮かべる。


「僕は元々大道芸人だからね。場を和ませるのは得意分野さ。ちなみにホラ、まだまだあるよー」


 リュークはそう言うと胸元から5,6個の色とりどりのカツラを取り出してみせ、ジャグリングを始める。リュークの行為は場を和ませる以上に、3人の意表を突き心を掴むという方向に大きく作用した。人間、こんな状況で全力でボケられたら怒る気も無くなるというものだ。シドも呆れた表情でリュークに向き直る。


「はあ、まったく……。信じるよ」

「ん?」

「とりあえずのところは信じてやるよ。俺らの船に乗りたいんだろ? もっとも、決めるのは船長だけどな」


 カツラを外した姿を見てケラケラと笑っていたイレーネも、自分に話が振られたことに気が付きリュークの方へと歩みを進める。そして、今度は相手の目をしっかりと見据えて、


「私と一緒に来てくれますか?」


と、たった一言、リュークの待ち侘びている言葉を掛ける。


「うん、よろしく頼むよ」

「ええと、私は船長のイレーネよ。どうしても名前で呼ぶ必要があるときはイレーネって呼んでくれたらいいわ。こっちの無口な人がヴァンさん」

「で、俺はシドウェルだ。シドとでも呼んでくれ、そのほうが俺もしっくりくる」

「僕はポール・リュクス。船長さんにはさっき話したけど、皆にはリュークって呼ばれてる」


「よろしくな」と、笑顔のシドが差し出した手をリュークが笑顔で握り返す。イレーネも笑顔で「よろしくね」と、握手を求める。そして、ヴァンも表情は変えないままだが握手を求める。すると、その手を握り返したリュークの耳元でヴァンが囁く。


「一つ言っておくが、俺は人間じゃない」


 常人が聞けば、挨拶代わりのジョークと受け取るような言動だが、リュークは手を握ったまま微笑み返し、同じように耳元で囁き返す。


「大丈夫です、そういうの気にしませんから」


 ヴァンは思わず驚いた表情をしたが、表情筋にはほとんど力がはいっていないため誰も気づきはしなかった。ただひとつ、ヴァンの心にわずかなわだかまりを残したまま新たな仲間を迎え入れるための儀式は終わった。




「あの、ところで」


 リュークが遠慮がちに手を挙げる。


「えっ?」


 イレーネは遠慮がちに返答する。


「マスター、カンカンなんだけどどうする?」


 リュークの指さした方を見ると、コメカミに青筋を立てながらも笑顔を崩さないマスターの姿がある。その手には何故かグラスと白い布が握られている。先のシドとヴァンの殺気とは比べモノにならない程の禍々しいオーラを纏っている。イレーネは直感的に身の危険を感じて36計を講ずる。


「…………逃げましょう」

「えっ?」

「逃げましょう!」


 すべてを理解した面々は、一斉に走り出す。


「マスター! 出世払いだ! 船長がいずれビッグになって絶対返すから! 今日のところは見逃してくれ!」


 シドの叫びはマスターに届いたか届かぬか、後ろから迫ってくる影は無かった。

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