第一話 やっぱり血筋は争えない
白塗りの壁にオレンジ色の屋根の家々が所狭しと立ち並んでいる迷路の先に、活気あふれる港町が姿を見せる。川の港町と形容され、心地よい潮風の吹き抜ける、ポルトガルはリスボンの港町、<サンタマリア・デ・ベレン>。多くは<ベレン>と略されるこの港町にある港は、テージョ川の河口に面しており、かつてはヴァスコ・ダ・ガマがインドへ、ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルへと旅立った由緒のある港である。
しかし、決して歴史の重みがのしかかった町ではない。河口に面した町は多くの人で溢れ、商人たちは数えきれぬほどの露店を開き、集まる客に向けた料理店も多く開かれる。時には冒険家が発掘した財宝を見せびらかして注目を浴び、富豪への階段を駆け上がることもある。
港を見れば、商船でごった返し、常に交易品の昇降が行われている。人々の喧騒や海鳥達の嗄れ(しゃがれ)声だけでなく、ヤギやニワトリのけたたましい鳴き声が聞こえ、出港を告げる鐘の音がどこまでも響き渡る。
肌をも透き通すような陽射しが照らされているこの日、普段通りの喧騒に混じって少女たちの姿がそこにあった。背後にはイレーネ達の船であろう、2本マストの小さなキャラベルが停泊している。
「みんな、お金をここに出して!」
船着場の前にある木のテーブルの前で、金髪の少女は言い放った。その一言で少女の周りに集まっていた男二人が、テーブルの上に持っている金貨を置いていく。そして最後に少女が自身の金貨を置き、満足そうな表情を浮かべる。
「これでどうにか出港できそうね」
「今日まで頑張って貯めた甲斐があったな」
「ええ、これもシドとヴァンさんのお陰です。なんとお礼を言ったらいいか」
そう言われて少し顔を赤らめたのは、見た者に少し怜悧な印象を与える雰囲気を持ったシドと呼ばれた男だった。イギリス訛りのポルトガル語を話すこの男は、頭に厚手の白黒の布を巻き、上は黒のジャケット下は緑と黒のタータンの七分ズボンといった格好だ。
変わらず無口なヴァンに比べれば、良く喋るシドが会話をつなぐ。
「そんなことはない。俺もヴァンも自分のペースで金を稼いだけど、マリーは勉強しながらだっただろ? これは3人の頑張りだよ。マリーも胸を張っていい」
「ありがとう、そう言ってもらえると少しは気が楽になるわ。後、外ではマリーって呼ばないでって言ったでしょう?」
「わかったよ、イレーネ。いや、船長!」
『船長』、その単語に対し、ニコニコしながら頷くのはイレーネと呼ばれた緑色のプールポワンを身に纏う、長いブロンドの髪をなびかせている少女。その姿は誰が見ても満更ではなさそうだった。
「じゃあ、まずは水夫を集めなきゃね!」
「酒場に行ってみるか」
意気揚々としながら酒場に向かおうとする二人だったが、ふと海の方を見ると船が二隻近付いてきていることに気がついた。普通なら気に留めるようなことではないのだが、
「ねえ、あの船」
「ああ、あの船は……」
二人の視線が捉えたのは、彼らが良く知っている、とても良く知っている船だった。二人が動きを止めている間にも船は近づいてくる。スプリットセイルを取り付けたバウスブリットと、スクウェアセイル(四角帆)のフォアマストとメインマストを中心としたシルエットは、この時代には数が少なく非常に高価で珍しいガレオン船だ。その脇には、おおよそ100門近いであろう大砲を装備したキャラックが帆走している。
やがて二隻の大きな船がイレーネ達の小さなキャラベルを飲み込むかのように、その両脇に停船する。その手際は見事なもので、縮帆しつつ減速して岸のすぐ近くに停船した後、舫綱を岸に渡して船を寄せる。操船技術の高さを伺わせる動作に、思わずイレーネは圧倒された。よほど操船士の腕が良くない限り、決められた錨地に停船し、艀を用いての連絡や、小舟で引くのが普通である。
岸の直ぐ側についたガレオン船から、青地の布の服に背丈の長い赤いベスト(俗にいうサーコート)に、銀色のベルトの巻いてある黒の中折れ帽を被った男が、帽子を右手で抑えながら二人の従者を従えて下船してくる。痩身ではあるが、動作や顔つきを見た限り中年くらいであろうか。そして、二人の従者を船に戻らせ、イレーネ達の前に来て足を止める。
「お父さん……」
眼前の男に対し、そう呟くイレーネ。いつしかヴァンもイレーネ達の側に来ており、シドも苦虫を噛み潰したような顔をしている。父がイレーネが海に出ることを反対していることは、3人の知るところだった。
「ふう、風の噂でお前たちが船に乗るってのは聞いていたけれども、まさか自前の船まで用意しているとは。親に何の断りもない癖に、他の準備だけは一丁前にこなして……」
「お、お父さんはこれから呼ぶつもりだったのよ」
口元にひげを蓄えた優しげな男が相手だが、イレーネは動揺を隠すこともできず、蛇に睨まれた小鳥のように萎縮しきっている。加えて、親に内緒で出港しようとしていた罪悪感も相まって変な汗も出てきていた。その耳に、自分に向けられてはいない熱を感じない声が響く。
「シド、君か? ウチの可愛い娘を誑したのは?」
「ち、違いますよ! 俺がそんなコトするわけ無いでしょう! 確かに手は貸しましたけど、これはイレーネの意志です」
「つまり全部娘が悪いと?」
「あ、いや――」
「ならヴァン、お前か?」
「……」
「その沈黙は肯定と受け取って良いか?」
「……」
好きな様に解釈すると良い、と言うかのようにに沈黙を続けるヴァン。それに対する父は、既に優しげな目から光を消し去っていた。今にも一触即発の雰囲気を感じ取ったイレーネは、自分を叱咤する。
――始まる前から仲間を見捨てて、どの口が船長を名乗るっていうの?
拳を握り、震える足を必死に抑える。大きく息を吸い込み呼吸を整える。視線を前に正し、父に相対する。
「私が全部計画したのよ!」
振り向いた父の冷徹な視線が突き刺さる。凍える背筋をしゃんと景気付け、足を踏ん張る。
「シドもヴァンさんも私が勝手に巻き込んだの。私が海に出たいって考えてたのはお父さんも知ってるでしょ?」
「ああ、知ってるよ。嫌ほどね。小さい頃からずっと言ってたからね」
うってかわり、まるで昔を懐かしむかのように口髭を触りながら遠くを見つめる父。その姿は年齢よりも20歳も老けて見えるようだった。
「心配なんだ。お前は……イレーネは本当の海の怖さを知らないだろう? いくら昔から私の船によく乗っていたとはいえ、あんなのは良い部分だけだ。ものすごく酷い嵐に遭遇したわけでもなく、海賊に襲われたわけでもなく、食料も水も無くなって飢えとの戦いをしたわけでもない。いわば箱庭で育てられたお嬢様とほとんど変わりないってことだ。その年でいきなり船長をやるのは無謀だよ」
「お父さん、お父さんの心配もわかるわ。だけど、何事も経験でしょう? 前例がなければ作ればいいのよ。誰だって最初は初心者。バルトロメウ・ディアスがいなければ喜望峰は発見されなかったし、フェルディナンド・マゼランがいなければ世界一周は達成されなかった。彼らが未知の領域に挑戦したように、私も未知の領域に挑戦してみたいと思ったの」
そう言ってイレーネは、エメラルドグリーンの双眸で父を見据える。固い決意を表すかのように、口は真一文字に結ばれている。その表情に込められた想いを読み取ったのか、諦め半分呆れ半分といった顔で父は再び帽子に手をやりながら言葉を紡ぐ。
「どうしても行くのか?」
「どうしても行くわ」
「止めても無駄だろうな」
「ええ」
「……」
お互い、次に発する言葉が出てこずに気まずい沈黙が流れる。お互いに視線を逸し、あるいは晴れ晴れとした空を見つめ、あるいは帽子を抑えながら地面を見つめる。あらゆる生命の鼓動が止まったかのような静寂が感じられる中、助け舟を出したのはこれまで一言も言葉を発することのなかったヴァンだった。
「こいつの努力を、認めてやってはくれないか?」
たった一言、そう告げた。この一年間、イレーネの側にいたからこそ言える言葉だった。航海資金を集める傍らで、学校に通い勉強を続けてきたイレーネの努力をヴァンも認めたのだ。その言葉に命を吹き込まれたかのように、イレーネは頬を紅潮させる。そして、沈黙に完全な終息を告げる為に父を再び見据える。
「血は争えないのよ。おじいちゃんもお父さんも、そして兄さんも。みんな海に出ていった。私も海に出るのは自然の摂理よ」
「私もお父さんを超える商人に、いや、世界一の航海者になるのよ」
「私も?」
「おじいちゃんから聞いたわ。お父さんもおじいちゃんを超える航海士になるって言って飛び出していったって」
「で、実際に超えたわけだが。まったく親父め、余計なこと喋ってくれちゃって」
肩の荷が降りたかのように苦笑を浮かべる父。その姿にもその口調にも、本来持っているのであろう、優しい性分が溢れ出てきている。
「まあいい、今更止めはしないよ。自分で決めて自分でやろうとしてるってことだろう? 子の巣立ちってのは寂しいものだけど、子の成長が見られるのは親の特権だ。嬉しいものだよ。だけど、やるからには私を超えなさい。血は争えない、その言葉通りそれはお前に課せられた使命なんだよ」
真剣な表情でイレーネに語りかける父。
「お父さんにできることがあったら何でも言ってくれ。出来る限りの援助はするよ」
「せっかくだけどお父さん、私はお父さんのコネを使う気はないわ。私は私の力で未来を切り開いていく。そうでなきゃ、意味が無いでしょ?」
「はははっ、そういうところまで私とそっくりだな。やっぱりお前は私の自慢の娘だよ」
「お父さん……」
「なら一つ、頼み事をしようかな」
「頼み事?」
「水夫長がいただろう? 良くお前の相手をしてくれてた彼だよ。彼を船に乗せてはくれないだろうか」
水夫長――父の船で水夫たちを纏め上げていた彼は、いつしか誰からもそう呼ばれるようになった。元はアラブの出である25歳の男で、12の時にイレーネの父の船に乗船した、今となってはベテランとも言える男である。常に粗野なパイレーツシャツとバンダナを身に纏っており、人の上に立つ身にありながら、全く驕りを見せずに船長からも部下からも厚い信頼を寄せられている。
「それはお父さんの意志?」
「いや、彼の意志だ。私は依頼人としてお前に頼んでいる。それだけだよ」
イレーネは少し考える素振りを見せたが、すぐに承諾した。
「わかったわ。だったら仲介料を差し引いた分、そうね……50ドゥカートでどうかしら」
「お、おい金を取るのか。しかも法外だぞ」
「これは依頼でしょう? 当然じゃない」
「まったく、商魂たくましいな」
再び苦笑を浮かべながら、なにやら考え始める父。イレーネの言葉の意を汲み取ろうとしている様だ。しばし長考に入るかに思われたが、どうやら結論に達したようだ。
「わかった、彼を連れて来るよ」
イレーネはそれに対し、笑顔を返答とした。父は、その表情を一瞥し、ガレオン船へと戻っていく。父の姿が消えたのを確認して、シドがイレーネに話しかける。
「良かったなイレーネ。船出は認めてもらえそうだな」
「ええ、全く。まさか、お父さんがくるとは思ってなかったから内心ひやひやしたわ」
「外から見ててもわかったけどな」
「う、うるさいわね、それはお互い様でしょ!」
「でも水夫長さんがくるなら頼もしいな」
「経験豊富な人が仲間になるのはありがたい限りね」
一息つきながら話していた二人の元へ、今度は水夫長を連れて父が再びやってくる。その姿を確認したイレーネとシドは思わず笑みがこぼれる。
「水夫長さん、お久しぶりです」
「お久しぶりですお嬢。ちょっと見ないうちに大人になったか?」
「そんなことないですよ」
「シド、お前も久しぶりだな。どうだ、元気してたか?」
「はい、お陰様で。水夫長さんもお変わり無いようで」
他愛の無い世間話を楽しむ3人。水夫長が頭につけているバンダナがそよ風に揺れる。ひと時の戯れを終え、イレーネは本題を切り出す。
「水夫長さん、ここにお呼びした理由はわかりますよね?」
「ああ、お嬢。俺を連れて行ってくれないか?」
その申し出にイレーネは口元を緩めて、隙間風が漏れるように笑う。
「もちろんです。あなたが来てくれればものすごく助かります。ですが、あえて問います。これは本当に水夫長さんの意思ですか? お父さんに命令はされていませんか?」
「勿論、これは俺が決めたことだ。昔から俺に懐いてくれてたお嬢の成長を見届けたい、これだけの理由じゃだめか?」
イレーネは顎に手を置き考える素振りを見せる。そして水夫長の目から視線をはずさないようにじっと見つめる。水夫長も終始その視線をしっかりと受け止める。その気持ちに嘘偽りが無いことを確信して、イレーネは歓迎の意を述べる。
「問題ありません。父の言葉が信頼に値するかどうかを確かめたかっただけなので」
「そうか、じゃあ万事解決ってことだな」
「はい、これからよろしくお願いします。わからないことばかりなので頼りにしています」
「ありがとよ、じゃあ早速準備に取り掛からせてもらうぜ」
そう言うと水夫長は、背を向けてイレーネ達のキャラベルへと乗り込んでいった。父もその姿を見て、イレーネ達に「頑張れよ」と言い残してガレオン船へと戻っていく。残されたイレーネとシドとヴァンは、互いの顔を見合わせほころびを抑えきれずに笑い合う。
「フルセイル!」
ガレオンから響く父の声が、3人の鼓膜を明るく震わせる。緩んだ口元と共に、3人の眼差しは既に未来を見つめていた。
お金の価値というのは流動的なもので、一概に価値を決めつけることはできませんが、本作ではとりあえずの所1ドゥカート=現在のおおよそ8万円といった具合で考えています。




